晦 <前編>

新月

三十日月みそかづき

「つごもり」ともいう

「つごもり」は「つきこもり」が転じた

月が姿を見せないのでこう呼ばれた


―――――――――――――――――


 私が十代最後の大晦日おおみそかに体験した話です。


 その年の夏に免許を取得した私は、友人と二人で深夜しんや山道やまみちへドライブに行きました。

「女二人だけで、夜の山道へ行くなんて危険だ」と批難ひなんする人もいると思いますが、人や車の通りが少ない夜の解放感かいほうかん、山道特有の勾配こうばいを、練習がてらに楽しみたかったのです。


 大きな川沿いの国道をまっすぐに北上ほくじょうし、県境けんざかいの山に入ってから、きりのいいところでコンビニを見つけたので、助手席の友人と運転を交代しました。


「帰り道には、別の道を行こう」と国道から外れたわきの道にりました。


 その脇道わきみち農道のうどうのようで、しばらく進むと舗装ほそうされていた路面ろめん砂利道じゃりみちになり、道幅みちはばはどんどんせまくなっていきました。


 タイヤが砂利じゃりみ、かれた礫岩れきがんと砂のむらむと、たまにすべるような振動を感じながら、どんどん外灯がいとうが少なくなっていきます。

 心細こころぼそさはあったものの、カーナビはしっかり道を示していたので大丈夫だろうと、速度を落として走っていました。


 不安定で狭い砂利道をさらにくだると、左側に竹藪たけやぶ、右側には休耕地きゅうこうちらしい空間が現れました。


 道は左方向にカーブしていたので、竹藪が道の先をおおうように、視界がさえぎられていました。


「見通しの悪いところだ」「カーブミラーも外灯も暗すぎて役に立たない」「次にコンビニを見かけたら休ませて」など話していたら、竹藪の影から、血にまみれた人が飛び込んできました。


 友人は咄嗟とっさにブレーキを踏みました。

低速走行ていそくそうこうとはいえ、一気に停止した衝撃しょうげきは強く、二人同時に前のめった後、前方に視線を戻しました。


 車のライトが照らす範囲に、人は見えませんでした。



人間って、おどろきすぎると声が出ないんですよ。



「……消えた?」


沈黙ちんもくに耐え切れず、私から切り出しました。

実際は一分もっていなかったかもしれません。


「わたし、……い、た?」

友人の声が震えていました。


「いや。……ないよ」

ぶつかった衝撃なのか急ブレーキの衝撃なのか、私には区別がつかなかったです。


「なんで、いないのォ……」友人は泣き出しました。


「まって、まって。こっちは速度落としてたし、向こうから飛び込んできたんだから。……まだわからないよ」


われながら屁理屈へりくつだと思いました。


車と歩行者の事故の場合、ほぼ10対0ジューゼロで車のが悪いです。

頭ではわかっていても、友人を落ち着かせたい一心いっしん口走くちばしっていましたが、会話になりませんでした。


「とにかく、……確認しないとまずい、かな」

恐怖と緊張の中、必死に言葉をしぼり出すと、


「外に出るのは、ぜったいいやっ!」

友人は涙ながらに声をげ、ハンドルにしがみつきました。


運転していた立場からしたら、この状況は耐えられないでしょう。

私も怖くて嫌でしたが、このまま発車することもできないので、しぶしぶ助手席を降りました。


 エアコンで温められていた車内から一転いってんてつく外気がいきが、容赦ようしゃなく私の顔をすように吹きつけます。

 竹藪が強風にあおられ、笹のこすれる音と竹のきし反響音はんきょうおんが、見えない暗闇くらやみの奥行きを感じさせました。


 深夜しんやの山奥、人家じんかはなく、外灯も遠くの方にひとつしか見えない場所です。

もしも、ここに一人取り残されることがあれば、気が狂ってもおかしくないと思いました。


 車の前方から運転席側を通り、後ろを確認する形で車体の回りを見たところ、異常は見当たりませんでした。

人が倒れている様子や、へこみが見られなかったとなると、を確認しないと、発車するわけにはいきません。


最悪の想像が、現実に迫ってきました。


 助手席のドアノブに左手をかけては、引っこめてと、二回ほどり返したあと、ぎゅっとまぶたを閉じて深呼吸しました。


右手ににぎりしめたふたり携帯をパカパカさせ、消えかけた画面照明を再びけると、自分の足元を照らしました。


私はひざを地面につき、照明を当てながらを恐るおそるのぞき込み――……



なにもありませんでした。



 人身事故じんしんじこを起こした恐怖から、解放されたと同時に、別の恐怖が背筋せすじを刺激しました。



わけで。



急いで立ち上がり、両膝りょうひざの汚れを落とすためあらく叩きました。




――…セ……ン



背後の竹藪から、笹擦ささずれとはことなる音が聞こえました。



――……ィ……セ…ン



明らかに人、男の声でした。



――………マ……ン




 目頭めがしらが熱くなり、こめかみに集まる血液が耳の奥の鼓膜こまくを震わせるのか、動悸どうきがきつくなりました。

頭の中はふちいっぱいの水が、表面張力ひょうめんちょうりょくで保っているような感覚でした。



『ここで振り返れば、お約束のような恐怖体験に出くわすのだろうか』

『わざわざ背後に回り込んで、何がしたいんだろう』



おかしなことに、恐怖感情が破裂寸前はれつすんぜんになると、意味もなく追い詰められていることに、怒りが湧いてきたのです。



『今すでに怖い。どうせ怖いなら、確認して怖がりたい』



理不尽りふじんに他人をおどに、怒鳴どなりつけたい衝動がおさええられず、振り返りました。

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