第101話 そして……

 市街を取り巻く高い城壁。その数少ない出入り口である南西の大門が、兵士五人がかりで巻き上げ機を回して、ゆっくりと開かれる。


 そこに入ってきたのは、大勢の兵士たち。何日にもわたる物流封鎖でいらだっている市民は、思わず眉をしかめる。


 だがその眉は、次の瞬間にはだらしなく緩んだ。兵士の後に続くのは、小麦粉を満載したロバ車、その次の馬車にはジャガイモが一杯だ。次の車には肉の燻製製品が積まれ、さらには果物に野菜……この十日ばかりというもの、ドレスデン市民が求めて得られなかった新鮮で多彩な食料が、一気に運び込まれてきたのだ。

 

「さあ市民の皆さんっ! 新しい大公様が、皆さんのために食料を調達して下さったのですよっ! 無料ですから、どうぞ順番に並んで、お持ち帰りくださいねっ!」


 街の広場に、弾むアルトが響く。ルーフェの白い神官衣に身を包んだクリスタが、配給係を買って出ているのだ。


「はい、大丈夫です、次々運んで来ますから、なくなったりしませんっ! はいそこっ、押したら危ないですよっ!」


 我先に押し寄せる民衆を柔らかく叱咤しつつものすごい速度で配給物資を捌くクリスタの翡翠の瞳は、活き活きと輝いている。


「なあクリスタ、なんでいつもの司祭服じゃなくて、神官の格好をしているんだ?」


 そうなんだ、クリスタは司祭だから、本来は青い服を身にまとわねばならないのだ。だけど今日は、ドレスデンのルーフェ教会から借りてきたらしい真っ白な神官衣に、なぜか着替えているんだ。清楚で無垢な感じがクリスタの透明感ある美貌にマッチしていて……俺はこっちの方が好きかも知れない。


「えへっ、やっぱりお兄さんもそう思うでしょう? 若いうちは絶対白いのが似合いますよねっ!」


 おいこら、今ナチュラルに俺の思考を読んだだろ。俺がクリスタの読心能力をあっさり受け入れてから数ケ月、こういうシーンが多くなってる気がする。まあ、いいんだけどさ。


「それにですね……ちょっと言いにくいのですが、遠征が長引いたので、ちょっとお洗濯が出来なくてですね……汗とか、何かと気になって」


「まあ、そうかも知れないが……俺はクリスタの汗の匂い、好きだけどな?」


「うっ、そ、そんな……」


 俺の何気ない返しに、クリスタが耳まで紅に染める。彼女は匂いをやたら気にするけど、戦いの後とかに少し汗ばんだ身体を抱き寄せると、男のそれとは違う、とってもいい香りがするんだよ。


「ほら、遊んでる暇はないぞ、次の人が小麦粉を待ってるぜ?」


「あっ、そうでしたっ!」


 クリスタが慌てて気を取り直し、またせかせかと物資を配る仕事に集中していった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 昨晩、公家のダイニングに乗り込んだ後は、実に順調だった。大公はさすがに俺たちとの圧倒的な力量差を悟り、生命をつなぐために徹底的に譲歩したのだ。


 まず、その日のうちにドミニクに大公位を譲り、自らは隠居することに同意した。莫大な個人資産も最低限を残してドミニクに譲り、自らは国の支給する年金で暮らすことになる。大公妃がぎゃあぎゃあと喚いていたが、どうなるものでもない。


 不肖の弟は、終身の牢行きだ。さすがに、これから最重要の同盟国になろうとするノイエバイエルンの王妃に向けて本気で剣を振り下ろしたのだから、死罪から罪一等を減じられただけでも、恩情があったというものだろう。


 そして新大公たるドミニクと、ノイエバイエルン国王の名代たるエルザが、同盟締結文書にサインした。不戦不攻と言うだけにとどまらず、どちらかの国が第三国から攻撃されたときは、もう一方の国は必ず援軍を送るという、ぐっと踏み込んだ相互防衛条約だ。大国ノイエバイエルンにとってドレスデンからの援軍など取るに足らぬものだが、この条約の意味はそれに留まらない。これまで背後でザグレブ帝国に通じ、のどに刺さった魚骨みたいな存在だったドレスデンが「こちら側」になったのだから。


 たった今眼の前でクリスタと共に民衆への配給を手伝いつつ笑顔を振りまいている公女コルネリアは、ノイエバイエルン王都へ「留学」することを願い出て、エルザはもちろん快諾。実相は同盟を確実なものにするための人質だが、彼女は各国の文化が集まり融合している王都に憧れていたんだそうで、ずいぶんと楽しみにしているらしい。すでにクリスタが街を案内することは決定しているようだし……年齢的には、アロイスの娘リアーネの、良い友人になってくれるんじゃないか。そしていずれは、ノイエバイエルンの有力貴族家と、縁組することになるのだろう。


 ま、そんなわけで昨晩のうちに一気に懸案を片付けて、今朝からはこうやって、ドレスデン市民の胃袋に「新大公ドミニク様」の名前を、しっかり刻み込む活動をしているというわけなのさ。


 ああやって一気に宮殿に突っ込む戦術ならば、本来は兵糧攻めなどやらずとも良かった。しかし政権奪取した後のドミニクにとって、市民の支持は必要だ。市民に彼女への感謝を捧げさせるためには、一旦腹を減らして、その後彼女の名で食い物を与えてやらないと……そんなことを考えて、事前に街への物流遮断を徹底させたんだ。


 我ながらあこぎなことだ、いい死に方はできないんだろう。俺が死んだ時は……極楽にでも行けるように、クリスタが供養の祈りをしてくれると、嬉しいな。

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