第100話 対決

「おい、コルネリア。父上母上になんという生意気なことを言っているんだ。民と苦楽を共にするだと? 民などと言うのは、我ら高貴な身分の者に傅き奉仕するために生まれてきた者たちだ、それが出来ぬ民は、虫けらなのだ。奴らが多少腹を空かそうが知ったことか!」


 ドミニクがその秀麗な眉間に、皺を寄せる。おそらくこいつが、本当の長男……ドミニクの弟なのだろう。薄っぺらな選民意識に凝り固まったその発言を聞いただけで、こいつを国主なんぞにしてはならないと俺の心が叫んでいる。うん、前言撤回だ、この大公親子は、つぶす。


 だけど、予想通りと言うかなんと言うか、俺より早くブチ切れて、扉を蹴り開けてダイニングに踏み込んだのは……やっぱりエルザだった。その豪奢に色濃い金髪が怒りにぶわっと膨らみ、紅い瞳の中に、炎が燃える。


「貴方たちに国を率いる資格はないわ、とっとと出ていくことね!」


「何だ、お前らは!」


 居丈高に怒鳴って立ち上がるのは、丸々と太った若者……おそらくこれが、不肖の弟なのだろう。大公らしき白髪の中年男も、怒りと蔑みが入り混じったような視線を向けてくる。だが、ドミニクがエルザの後ろからゆっくりと姿を見せると、その眼に狼狽の色が浮かぶ。


「ド、ドミニク……どうして……」


「どうしたのでしょう、父上? 私は本来いるべきところに戻ってきたまでのこと。何をそのように慌てておられるのか?」


「いや、その……」


 油汗を流し始める大公。だがそれを尻目に、小さな影が弾けるような勢いで、ドミニクにぶつかってきた。


「兄様、いえ姉様! 生きておられたのですね! 名誉の戦死を遂げられたとお父様から聞いて……」


 あとは言葉にならず、ぎゅうぎゅうとドミニクの腹にしがみつく公女。まだ、十三、四歳と言ったところか……この娘も、ドミニクが女だと知っている、数少ない人物というわけだ。まあ同性の家族じゃ、隠し切るなんて無理だよな。


「ああ、父上は私が生きたまま敵に捕らわれたことを知っていたのだよ、コルネリア。だが父はこれを奇貨として、私をいないものとして葬ることにしたようだ。二十年余自らがついてきた嘘を、糊塗するためにな」


「そんな……お父様、本当なのですか?」


 愛娘の追及に、無言のまま横を向くだけの大公。まあ本人が帰ってきて真実を暴露しているのだ、反論する材料など、持ってはいまい。


「ひどい……っ」


「何がひどいものか! そいつは僕が生まれるまでの身代わり人形の役目だったのだ! 正統な血を引く男子である僕がいる以上、形だけ男のドミニクなど必要ない。いや、かえって邪魔になるのだ!」


 不肖の弟が、わめき散らす。何たる自分本位な暴言……あきれる俺だが、どうも大公もその妃も、似たような考えを持っているのが、その表情から窺える。これでは家族の話になるたびにドミニクがクールに吐き捨てるのは、無理ないことだろう。


 一方的に罵られているだけのドミニクだが、顔色も変えていない。


「だが、私は戻ってきたぞ。そして、私の率いる軍はいまや、ドレスデンへの物流を遮断している。すでに民は飢え始めている、あと数日も経てば、暴動が起きるぞ」


「それはお前のせいではないか、ドミニク!」


「そう、今それを実行しているのは、確かに私ですね、父上。ですが、もともとこうなる原因を作ったのは、いったい誰なのでしょうね? ザグレブ帝国の甘言に乗って勝ち目のない戦を仕掛けたのはどなた? そして武運つたなく後継者が生け捕られれば、それを死んだものとして切り捨てたのはどなたですか? それも、公子が実は女だったという都合の悪い真実を、隠すだけのためにね。これでは、裏切られるのも、仕方ないのではありませんか?」


 大公は、頬の筋肉をぴくぴく震わせて、黙り込んでしまった。どうやら弁舌に関しては、まったく我が子に敵わないらしい。


「ですから私はもう、父上を信じることはできません。そして父上が大公の地位に居座ることは、国民を不幸にします。ですから速やかに退位して、ドレスデンの未来は若い私にお任せ下さい」


「う……」


 大公は、すでにドミニクを奉ずる俺たちの優勢を悟ったようだ、反論しようとしない。だが、状況把握ができていない奴が、一人いた。


「ふざけるな! 女のお前が大公だと? あり得ない、次期大公は僕だ! ええい、誰か居らぬか、この侵入者を討ち取るのだ!」


 不肖の弟が、顔を真っ赤にしてがなり立てるが、それに応えてダイニングに飛び込んでくる兵は、いない。


「馬鹿な男ね。外に警備兵がいるんなら、私たちがここに居られるわけないじゃないの。全部、片付けてあげたわよ?」


「お、お前……ノイエバイエルンの、エルザだな! ここで会ったが百年目、成敗してくれる! この尻軽女め!」


 バカ息子は、傍らの剣をむんずと掴み、わけのわからない雄叫びをあげながた突っ込んでくる。だがその剣筋は、まさに素人。エルザはひと打ちで、相手の剣を宙に跳ね飛ばした。もちろん、俺の強化魔法なんて、必要ない。


「もう一度来る勇気ある? 次はこの剣を、そのだらしない腹に突き刺してあげましょう。そういえば貴方はさっき、私のことをナニ女と言ったかしらね?」


「ひいぃっ!」


 出来の悪い弟は腰が抜けたらしく、尻もちをついたままいざるように後ずさる。よく見ればその尻の下には、だらしなくも水たまりが。そんなに怖がりなんだったら、よりによって一番怖いエルザに向かってくるんじゃねえよと、俺は胸の中でつぶやくのだった。

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