第94話 不死の司祭
クリスタの法術から辛うじて逃れたゾンビの残党は、ブルーノの部下たちが、さくっと片付けた。奴らの強みは数が多いことだけで、一体一体はごく弱いのだ。
「ここはやはり、昔の礼拝堂であったようだな」
ドミニクが珍しそうに広間をきょろきょろ見回している。その少年のような振舞いの中に、よく注意してみれば女性らしい柔らかさが覗いている。
「ええ、そのようね。貴女が大公になった暁には、観光名所として整備するといいかも知れないわね。だけどまだ宮殿にも着いていないの、気を抜かず上へあがる道を探しましょう」
「もちろん忘れてはいない。国をこの手で奪い、そして貴国の手を取ろう」
にやりと笑って、ドミニクが視線を回す。
「それにしても、ここから上層へ、どう通じているのだろうな?」
「ぱっと見、他の出口はなさそうね」
礼拝堂の中には過剰な装飾はなくだだっ広い空間、壁には扉も階段も見当たらない。正面には祭壇らしきものがあり、その後方にどでかい狼の石像が鎮座している。禁教の崇拝対象は、この雄々しい森の王者であったようだ。
「こういう像って、得てして何か仕掛けがあったりするものなのよね。どっか押したりするとパカッと壁が開いたりとかね」
「やたらと触るんじゃないぞ、エルザ」
「大丈夫よウィル、こんなに可愛い狼さんだもの。ねえ、いい子いい子」
そんな軽口を叩きながら、バチ当たりにも神像の頭を乱暴に撫でるエルザ。ドミニクはそれを笑っていたが、エルザに触れられた狼の耳がぱたりと引っ込んだのを見て、その笑いが凍り付く。
「え? あれ、これどうなってるの?」
おいエルザ、またやりやがったのか。冒険者だった頃、迷宮の仕掛けとか隠し罠とかをやたらと作動させてしまう彼女に、俺もフリッツも閉口していたんだが……その癖は、まったく直っていなかったらしい。
ずずず、というような低音が、礼拝堂に響く。俺たちは思わず狼の神像から飛びのいたけど、怪しい音はその像じゃなく、その後ろの壁から発せられていた。造り付けだと思っていた、落ち着いた彫刻をほどこした木の内壁がずるずるとスライドして、やがてぽっかりと開口が現れる。
「うわ、またやっちゃったわ。ごめん、ウィル」
珍しく素直に謝るエルザに、俺は小さくため息をついてみせる。まあどうせ像に仕掛けがないかは精査するつもりだったけど、何か動かす前には心の準備をさせて欲しいんだよ。
奥の空間もかなり広く、何故だか蝋燭みたいな暖色系の灯りが揺らいでいるようだ。
「ここまで来たら進むしかないだろうな」
ドミニクが勇を鼓したようなつぶやきを漏らすのに合わせ、俺たちは慎重に、その怪しい部屋に入っていく。薄暗く、空間の奥は見通せないが、かなり奥行きのある、回廊のような造りだ。
「百エレほど先に、かなり強敵がいるようでござる」
「何体だ?」
「五体でござるが、本当に危ないのは、一体だけでござるな」
クサヴァーの「探知」は、相手の正確な位置だけでなく、敵意の有無、おおよその強さまで示してくれる、迷宮探索のお供としては最高の性能だ。そして彼の予知通り、一分ほど進んで回廊を左に曲がったところに、その敵がいた。
身長が普通人の二倍ほどもあろうかという巨大なアンデッドが、そのうつろな眼をこちらに向けている。まとっている衣はルーフェのそれとは趣が違うが、明らかに聖職者のもの。そして、俺にすら見えるほど強い力を持った暗赤色のオーラがその全身から放射されている。左右には二人ずつ、やはり聖職者風の服をつけたアンデッドが、メイスを構えているんだ。
「こいつは……禁教の司祭か?」
「そのようね、千年も地下に眠っているうちに、ずいぶん大きく育ったようね」
(ふはは。その通り、我はここで術を修め、信者たちより力を集めて大きな力を得た。ようやく我らを虐げ、地下に押し込めた腐った人間たちに、報いをくれてやる時が来たというのに、お主らは我の行く道を塞がんとするか?)
エルザの言葉に応えたそれは、声ではない。音がまったく響いていないのに、その言葉は確実に、俺たちの心に届く。兵士たちが驚きで、棒立ちになっている。
「これは念話ですっ! 高位の聖職者なら当たり前に使える術です、恐れる必要はありませんっ!」
(小癪なことを、その小娘、邪教の聖職者か! ならば我の力を知るがよい!)
アンデッド司祭の口が微妙に開いたかと思った次の瞬間、空間にうなるような低音が満ちる。その音量はゆっくりと変化し、リズムの周期が複雑に変化して……
「うわぁっ、許してくれ!」
「これは勝てねえ……」
「ひぃっ、助けてくれ……」
ブルーノの厳しい訓練で心身ともに鍛え上げられているはずの兵士たちが、次々と床にくずおれ、怯懦の言葉を吐き出し始める。ドミニクも膝を折り、剣にすがってようやく倒れるのを避けている状況だ。エルザはまだ気丈に剣を構えているけれど、その顔色は青白く変わり、こめかみに汗が流れている。ちくしょう、なんて強力な精神攻撃なんだろう。
だけどなぜか、俺はこの様子を、冷静に眺めていた。ようは俺には、この恐怖を呼び起こす不思議な声が、さっぱり効いていないみたいなんだ。そしてもちろん、この精神攻撃が効いてない人物が、もう一人いる。
「ふふっ、この程度ですか?」
俺の天使が、碧のセミロングをふぁさっと揺らした。
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