第93話 地下教会(4)
「この扉、いかにも怪しそうですねっ!」
「そうね、だけど前に進む道は、ここしかなさそうよね。警戒はするにしても、行くしかないんじゃない?」
エルザの言っていることは、もっともだ。問題はどんな準備をしてからこの扉を開けるかだ。クリスタの法術を何人の兵に掛けておけばいいか……そんなことをじっくり考えていた俺の眼に、扉に手を掛けるエルザの姿が見えた。
「待てエルザ、危険だ!」
「大丈夫、うっすら開けて中を覗くだけよ……あ、うわあああっ!」
エルザにしては珍しい、狼狽が色濃く乗った声。それは、薄く開けたはずの扉が、それ自身に意思があるかのようにゆっくりと、しかし決して止まることはなく内側に向かって開いて行ったからだ。エルザやブルーノが必死で押さえても、開扉を遅くすることすらできない。
「仕方ない、エルザ、ブルーノ、一旦引いて戦闘態勢を組むんだ!」
「ごめん、ウィル!」「承知した!」
扉から七~八エレくらい後退した位置に、ブルーノの部下を隙間なく配置する。先頭の五名ほどが持つ武器には辛うじてクリスタの法術が施されている……数は足りないが、この時間じゃこれがせいぜいだ。
「扉が完全に開くぞ! 準備はいいか?」
「もちろんです……あ、あ、ひいぃぃっ!」
兵士があげた悲鳴の理由が、俺にもわかった。扉の向こうはだだっ広い空間……おそらく二階層との吹き抜けになっていて、幅も奥行きも大きい、広間のようになっている。おそらくこれが、千年以上前に禁教の信徒が集まった、礼拝堂のようなものなのだろう。何故か青白い不思議な光が弱々しく天井から降り注いでいて……それに照らされたものを見て、俺も絶句した。
そこには多数の信徒、いやかつて信徒であっただろうアンデッドたちが、何百体という単位で密集し、蠢いていたのだから。
「うわあああ、ダメだ、数が多すぎるっ!」
「逃げろぉぉ!」
「バカ者! ここまで魔法使いたちの力でたどり着き、ついて来ただけの貴様ら、恥ずかしくないのか! 身体を張って防げ! 敵が何百何千いようと、その扉以外からは出てこないのだ! 交代で前線に立って、敵をこっち側に出すな!」
ブルーノの発した大音声は、一瞬パニックに陥りかけた兵たちを、正気に引き戻した。ありがたい、やはりベテランの職業軍人は、頼りになる。
「おおう、仕方ねえ、やるぜ!」
「くっ……援護は頼むぞ!」
「任せておけ!」
俺は扉の前に立ちはだかった幾人かの兵に、「剛力」「堅固」を立て続けにかけていく。一番危ないところに他人を立たせるのは気が引けるが、俺は接近戦のプロじゃないからな。それぞれが得意なところで貢献するのが、集団戦っていうもんだ。
「お願いです皆さん! 二分だけ、持ちこたえてくださいっ!」
クリスタがそう言うなり、眼を閉じて両手を胸の上で重ね、朱色の唇から何やら長い祈りの言葉を紡ぎ出し始める。何かでかいことをやってくれそうな雰囲気を醸し出しているけど、この状態で二分ってのは、結構長いぞ。
兵士たちは奮闘している。奮闘しているけれど……数は力だ。アンデッドたちは圧倒的な数で、圧力をかけてくる。一体を斬り捨てても、次の一体が動かない仲間を踏み越えて襲ってくるのは、恐怖でしかない。クリスタの法術ならこの恐怖を除けるのだろうけれど……彼女は今、長い長い祈りをルーフェに捧げている。
一人、また一人と前線の兵が負傷して、後方のメンバーと入れ替わる。バフを掛けるだけの俺も、さすがに魔力消耗を感じて、ポケットから銅のスキットルを取り出して口に含む。薬酒が臓腑に染み透って魔力が湧いてくるのを感じるけど、飲み過ぎたらさすがに酔ってしまう、このくらいで抑えておかないと。
「お待たせしましたっ、前を空けてくださいっ!」
前衛の兵が一斉に左右に散ると、ゾンビどもがのろのろと、しかし強い圧力で、前進してくる。クリスタが、両掌を前面に向けて、その大きな翡翠の眼を、さらに大きく見開く。
「死生の狭間にて迷いし者たちよ、汝らが在るべきところに、還れっ!」
弾むアルトとともに発せられたその法術は、魔法使いの術のように派手な炎も光も、ましてや音も出さない、静かな術だった。ゾンビが何事もなかったようにクリスタに向かって数体迫るのを見て、俺も剣に手を掛ける。
だが次の瞬間、先頭のゾンビがまるで砂のようにさらさらと崩れ、消え去った。そして二体目、三体目……開きっぱなしの大扉を越えて、俺たちに向かって静かに近づいていたアンデッドどもが、相次いで崩れていったんだ。その静かな法術は扉の向こうでわらわらと蠢いていた奴らも次々と飲み込んで……結局、広間に残ったゾンビは端っこにいた二十数体ほど。
「法術一発で片付けた敵は、七百体か、八百体か……クリスタ、『浄化は苦手』って言っていなかったか?」
「うふっ! 威力には自信があると言いましたよねっ! だけど、祈りが二分もかかっては、とても実戦では使えないのです。今回は敵の出てくるところが狭くて時間稼ぎができたから、たまたま使えただけなのですよっ!」
「それにしたってこれは規格外だろ……」
「ええ、私が特別優秀だってことは、否定しませんよ、ふふっ!」
薄明りの中でも、クリスタの弾む笑顔は、とてもまぶしい。
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