第89話 作戦

 結果的に、その場に集まった百人隊長はすべて、ドミニクに従って現大公に刃を向けることを承知した。


 俺たちに斬り破られてドミニクを奪われた隊に属する三人の将校が真っ先に彼女に服従の意を示すと、あとは先を争うように鞍替えを申し出る声が乱れ飛んだのだ……こういうのは集団心理って言うのだろう。もちろんその前にたっぷりと、クリスタの法術が彼らの心に染み込んでいたから、素直になびいてくれたのだろうけど。


「クリスタ……よくやったな」


「頑張りましたっ!」


 俺が碧い髪を手櫛で撫で上げると、クリスタはちょっぴり切なげに、だけど嬉しそうにへにゃりと笑った。翡翠の眼が少し潤んでいるけど、そこは見なかったことにする俺だ。まったりとじゃれあう俺たちに近づいてくる影は……ドミニクだ。


「司祭様、ありがとう。血を流すことを最小限にして、駐留部隊を掌握することができたのは、貴女のお陰だ」


 わざわざ「最小限」って言ったのは、あのヨーゼフっていう二枚舌の千人隊長を片付けたことに対しても、遠まわしに礼を述べているんだろう。俺たちは、無言で礼を返す。


「さあ、これであとはドレスデンを陥とすだけよね!」


「ああ、それなのだが……」


 気楽に言い放つエルザに、言いにくそうに切り出すドミニク。


「確かに我々は五千の兵力を掌握した。本国に残る兵は三千程度、野戦なら勝利は疑いないところだが……戦を終わらせることを大義として彼らを従わせた私だ、彼らを自国民と正面から噛み合わせて多大な犠牲を出すことには、どうも抵抗を感じざるを得ないのだ。加えて、もし相手に籠城戦法を取られたら、力押しでドレスデンを陥とすにはものすごい被害が出るだろう」


「大公家を継ごうという方なら、そう言う配慮は当然するのでしょうね。大丈夫よ、そのへんはウィルが、上手い策を考えるでしょう!」


 はあぁっ? 何で俺に丸投げ? 


「おいエルザ、俺たちの仕事はドミニクを攫うところまでで終わりのはずだぜ。アフターサービスでこうやって駐留軍を掌握させるとこまで付き合ったけど、これ以上は……」


「あらウィル。いいアイデアがあるって、顔に書いてあるけど?」


「……」


 さすがエルザ、付き合いが長いだけのことはある、鋭いな。だけど俺は、もうこれ以上この戦に関わり合いたくないんだ。このままだと、クリスタを最前線に連れて行くことになってしまうじゃないか。


「悪いが俺は……」


 そう口に出した瞬間、不意に左手がひんやりした何かに包まれる。それは白くて細い、クリスタの両手。


「出し惜しみはだめですよっ! ね、ウィルお兄さん。私も役に立たせてくださいっ!」


「俺は、クリスタが何より大切なんだ、もう大事なものを、失いたくないんだ」


 思わず吐いた本音……いかん、これは恥ずかしい。慌てて取り繕おうとする俺に、クリスタががばっとハグを仕掛けてくる。


「わかっています、ウィルお兄さんの気持ち、とっても嬉しいですよっ! でも、今回は行きたいんです。私がそそのかしてしまったあの兵隊さんたちが無駄に傷ついたり死んだりしたら、後悔しちゃいますからねっ!」


 そう言って弾ける笑顔で、俺を見上げてくるクリスタ。その表情に、さっきまで浮かんでいた切なさのような哀しみのようなものは、すでに窺えない。


「守ってくれますよね、お兄さん!」


「う、うん……」


 結局流されてしまう、俺なのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ウィル殿、我々はどうすればいいだろうか」


 いつのまにか参謀扱いされている俺に、ドミニクが問いかける。軍人でも貴族でも、ドレスデン国民ですらない俺が、彼女に指図するのはマズいだろうと次席指揮官クリストフの表情を窺ってみるが、彼もこっちをじいっと見て、小さくうなずいたりしている。思うところを、言っていいということかな。


「あ~、まずあんたたちの希望は、できるだけ兵を死なせたくないってことだよな」


「そうだ、いい案があるのだろう? ぜひ、ご教示願いたい」


 ドミニクが眼を輝かせている。大公の後継者なのに、変なプライドにこだわらずド平民の俺に素直に教えを乞うなんて、なかなか偉いじゃないか。きっとこの公子……いや公女がドレスデンの主になれば、今よりかなりましな治政が敷けるのだろうな。


「ならば、まずは野戦を避けることさ。ドレスデンの城門にいきなり迫るなんてことは避けて、小部隊で街道を監視するんだ。そして、市街に向かう荷馬車を全部奪取または破壊する。たまりかねた敵軍が討伐に出てきたら、ひたすら逃げる。これを繰り返していれば、遠からず街は干上がるだろう」


 そう、ドレスデンは商工業とも秀でた巨大経済都市だが、食糧生産力はほとんど無い。こうやって兵糧攻めにしてやれば、普段ならば強みになる人口の多さが災いして、多少の備蓄があろうがごく短期間で飢えることになる。


「民を飢えさせることは本意ではないが……」


「おそらく、愚かな支配層は民衆から食糧を徴発し、軍に回すだろう。一時的には民を苦しめることになるな。だがその分、代わって立ったドミニクたちがまともな救荒をすれば、新政権への支持は広がりやすい」


「むう、確かにそうだが……」


 ドミニクが苦しげな表情をする。自分の権力より民の生活を気にして悩むあたり、いい領主じゃないか。さすがにこのまま考えこませたままでは意地悪ってものだ。そろそろメインの作戦を説明しないとな。


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