第88話 クリスタの説教
「ルーフェの教えは、戦争を否定していません。それが、妻や子、あるいは老親といった大切な人を守るための戦となれば、それは尊く聖なる行いとされます」
クリスタの言葉に、何人かの隊長が胸を張る。おそらく、母国に妻子や恋人を残して来た者たちなのだろう。その表情は、自らの正義を寸毫も疑っていない、純粋なものだ。うらやましいほど単純な価値観だが、為政者としては一番騙しやすいタイプだな。だが幸いなことに、そこまで単細胞な奴は、それほど多くないようだ。
「さて、さすれば今回ここに居られる皆さんが赴く戦は、何を守るためのものでしょう?」
いつもと違って弾んでいないアルトで紡ぎ出される言葉は疑問形であるが、ある意味鋭い弾劾でもある。それに気付いた者は多く、その場にいる半数ほどが、きまり悪そうな表情を浮かべる。
「皆さんもお気づきのようですね。この戦はドレスデン公国の民を守るためのものではなく、他国の領地を大義もなく奪い、大公とその取り巻きの金銭欲や虚栄心を満たすための戦です」
鋭い斬り込みに不快な顔をする者はいるが、反論の声は上がらない。さっきの聖歌にさんざんルーフェの法術を乗せて聞かせた効果が、出ているのだろう。そして今クリスタが発する言葉と聴衆に向ける視線にも、法術がしっかり乗せられているのだ。
「ノイエバイエルンが本気で向かってくれば、国力はヒトケタ相手が上。皆さんの生命は、はかないものになり、ドレスデンに残した大切な人たちを、悲しみに突き落とすことになるでしょう。そういう結果が出る可能性が、かなり高いことも承知で、ドレスデン大公は博打に出たのです」
ここには、素直にうなずく者が多い。ドレスデンの首脳陣が兵の生命を軽視していることへの不満は、軍関係者の中にも広がっているのだろう。認めたくない少数の隊長は、静かに唇を嚙んでいる。
「これは、ルーフェが嘉する戦ではありません。むしろ、教えには反するものと言えるでしょう」
「司祭様! なら俺たちは、どうすればいいのですか?」
ひときわ若い隊長が、切なげなトーンで問い返す。その気持ちはわかる、彼だってやりたくて戦に出て来たわけでは、ないのだからな。
「皆さん一人一人に、罪などありません。ですが、このままでは集団として、罪を重ねることになるでしょう。戦を終わらせるため、何ができるか考えることです」
「どうすれば戦は終わるんですか? 大公様が戦えって命令されているんだから、俺たちは逆らえないんですよ!」
必死な顔で訴える若い隊長に、クリスタはこの場には不似合いな、花が開くような微笑みを向けた。
「そう、大公様が侵略せよとおっしゃっているのですよね。では、大公様を変えてしまえば、よろしいのです」
「えっ?」「何を?」「そんなことができるはずは!」
「本当に、できませんか? そうですね、君主の権力は絶対である、それは神、あるいは天が与えた力である。この世界ではその考えが信じられています。ですが、いにしえよりこういう思想もあるのですよ。王がその徳を失った時、天命は革まると。すなわち……革命です」
微笑みながら、クリスタはとんでもなく過激なことを唆している。戦を止めるため、己の君主を倒してしまえと。
「しかし! それではドレスデン人同士で、血を流すことになるのではありませんか? そして大公を廃したとて、どなたが次の君主になられるのか? 皆が納得する方でなければ、また新たな争いが起きますぞ!」
「そうですね、民が納得する能力も、ご身分もお持ちの方となると、難しいでしょうね。では、この方ではいかがでしょう?」
その言葉に合わせ、祭壇の脇からしなやかな動きで一人の貴公子が進み出て、暫定指揮官たるクリストフに並び立つ。その貴公子はもちろん、ドミニクであった。
「ドミニク殿下!」「公太子様!」
「戦死されたと布告されたのに、生きておられたのか!」
「私は生きて捕らえられた。それを目のあたりにした者も、この中にいるはずだ。だが本国の大公は、私を戦死したものとした、これはどういうことを意味するか、英明な諸君にはわかるであろう」
「大公様は、太子様を見捨てられたのか……」「そんな!」「酷い……」
「そう、私は父に見限られた。この戦に当初から反対していた私が、邪魔であったのだろうな。戦死したことにしてしまえば、敵が私を人質に使うこともできぬ、持て余して殺すだろうと考えたのであろうな」
ドミニクは、自嘲気味に吐き捨てる。もっとも、大公が太子を死んだことにした理由の最大のものは、ドミニクが女であったことなのだが……それをここで明かすのは尚早だ。
「父が私を捨てたというならば、私も父を支えることを止め、信念に殉じよう。諸君、私とともに起ち、大公を廃してこの無益な戦を終わらせよう。大丈夫だ、我々は勝てる。大陸一の強国ノイエバイエルンが、バックアップをしてくれるのだからな!」
その宣言とともに、千人隊長四名が、ドミニクの前に膝を折った。
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