第87話 邪魔者は……
「寛大にも私をお赦し下さった殿下に、この小さき生命をお預けいたすでありましょう」
「この戦は国を亡ぼすものというお考えにはうなずかざるを得ない、殿下に従います」
「クリストフ次席指揮官がそう命ぜられるなら、是非もなし」
ヨーゼフと言う名の野心あふれる風貌の隊長に続き、他の隊長たちも複雑な思いをその貌に浮かべつつ、ドミニクの行動への賛同を表明する。最後に残った年かさの隊長も、苦渋の表情で言葉を絞り出す。
「主君に背くは武人の恥とするところ。なれどここで我々が仲間割れするわけにも参らぬ……そして小官とて、ドレスデンに残した家族を悲惨な目に遭わせたくはない。かくなる上は、この混乱を速やかに殿下が鎮めて下さるよう、御助力いたすしかなかろう」
「ありがとう。そして、諸君に苦しい決断を強いてしまったことは済まないと思っている。この借りは、ドレスデンにより善き治政をしくことで、返させてもらおう」
そう応えるドミニクの眼は、まぎれもなく支配者のそれであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
部下の百人隊長に指示を下すため、次々と広間を出てゆく千人隊長たち。
「意外に皆、もの分かりがよかったように見せているが……本当のところは、どうだ?」
物陰に隠れ、読心術を使いながら一部始終を観察していたクリスタに視線をやれば、少し難しそうな顔で走り寄ってきて、俺たちに告げた。
「五人の隊長さんのうち四人は、ドミニク様の説く道理に賛同しておられます。ですが、一番最初に賛同を示した隊長さんだけは、二心を抱いていますっ。ご自分の部隊に戻り次第、全兵力を率いて市内に突撃してくるでしょう。謀叛を未然に防いだ功を独り占めするつもりですねっ!」
なるほど、野心的な謀略家なら、やりそうなことだ。わざわざ反逆に賛成するような言辞を真っ先に発してみんなを焚きつけ、二階に上がったところではしごを外すつもりだな。
市内警備にあたる兵力は五百もいないという。千人隊が本営だけを目標に突っ込んで来れば鎧袖一触の勢いで蹴散らされるだろう。ドミニクとクリストフを一気に討ち取って反乱鎮圧を宣言しようというわけだな。他の千人隊長はまだ連携ができていない状態だ、即刻降れば赦すと布告すれば、従わざるを得なくなるだろう。
「なるほどヨーゼフ隊長は狡猾な野心家、さもありなんとは思うが……奴を罰する証拠がない。私は司祭殿の読心能力を信じているが、それを部下に示すわけにもいかぬ……」
ドミニクが苦しそうに絞り出す言葉は、至極もっともなことだ。クリストフも眉間に皺を寄せ、苦悩している。まあここは、部外者たる俺たちが、手を汚さねばなるまい。
「ギゼラ、やれるか?」
「はいな、お任せを」
姿は見えないが、どこからか女の声が響く。近くの小川でクレソンを摘んで来いと命ぜられたかのように気楽な調子で、闇夜の黒猫が了解の意を示す。
「なんだ、今の声は……?」
「ノイエバイエルンには、多彩な隠し玉がございますのよ。クリストフ様」
「いやはや、貴国を敵に回した我が公国の愚かさ、改めて思い知ったな……」
そう、ギゼラがずっとこの部屋に居ながらここに至るまで気配を気付かせなかったということは、もしドミニクやクリストフが俺たちの利益に反することをした瞬間に、その生命を容易に奪うことができたということだ。次期大公ドミニクの配偶者となるであろうクリストフは、首筋の冷たい汗を拭っていた。
やがて三十分後。ヨーゼフ千人隊長が他殺体で発見されたとの一報が、代理指揮官たるクリストフに届いたのであった。彼は大げさに驚いて見せ、ヨーゼフ配下の百人隊長を召集するよう、命令を下した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。フライベルク駐留ドレスデン軍の百人隊長以上五十名強が、市内の中央教会礼拝堂に顔を揃えていた。
「この街の司祭はわが軍侵攻の際に逃亡したが、ルーフェ教会より新たに高位司祭の方が見えられ、ありがたい聖歌と説教をお恵み下さる。護民の心得を授け、愛する者のため戦う勇気を与えてもらえるそうだ」
昨晩のうちに千人隊長からそんな指示があったのだ。
無論ドレスデン軍も大半ルーフェの信者ではあるが、敬虔な信者がそれほど多いわけでもない。坊主の説教会なんて眠たいものを企画する余裕があるなら、補給物資をもっと充実させろ、というのが百人隊長たちの受け止めだ。
だが、男たちのそんな不満は、青い司祭服が祭壇に現れた瞬間に霧散した。そこに立っていたのが、碧い髪と翡翠の瞳を持つほっそりした美少女であったのだから。
美少女は、深みのあるアルトで聖歌を唄いあげる。その姿は可憐かつ清純、それでいて包み込むような慈愛に満ち……歌唱が終わるころには、隊長たちはすっかりこの少女司祭の言うことなら何でも聞いてやろうという心理になっていた。
「それでは、戦に臨まれる皆様に、私よりお話を差し上げたいと思います」
そう言って翡翠の瞳を大きく見開いて聴衆に向けた少女司祭は、言うまでもなくクリスタだ。ルーフェ教会でも百年に一度の逸材と讃えられたその精神操作スキルが、百人隊長たちを虜にしつつあったんだ。
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