第86話 説得

 フライベルクに駐留するドレスデン軍は五千。ドミニクとクリストフの下に、それぞれ千人規模の部隊を率いる「千人隊長」が五名いて、さらにそれぞれの隊に「百人隊長」が十名ずついるということになる。ドミニクが軍監だの参謀だのという面倒な奴らを連れてこなかったから、非常にシンプルな組織だ。


 すでに夜だが、クリストフが伝令を出すと、千人隊長は三十分とかからず館に集合した。侵入時に拘束していた守備兵には、クリスタの暗示能力を使って、クリストフが賓客を迎え入れたと刷り込んであるから、隊長たちが異常を感じることはないはずだ。やたらとクリスタの法術を使わせたくはないが、流血を避けるためには、仕方がなかった。昨日はわんわん泣いたくせに、今は平然として敵兵に暗示をかけまくっているクリスタに、少し胸が痛くなる。声を掛けてやりたいけど、ここは我慢しないといけない時だろう。


「諸君、心配を掛けた」


「で、殿下……ご無事で」


 暫定指揮官のクリストフと並び立って現れたドミニクの姿に、驚きを隠せない千人隊長たち。ことに一番若く見える隊長が、彼女の前に走り寄り、素早く膝を折った。


「ドミニク殿下! 我が隊がお守りしておりながら、殿下ご自身が敵に身をゆだねねばならなかった事態を招いた小官の罪、万死に値します。いかなる処分も受けますゆえ、部下たちには何とぞ寛大なご処置を賜りたく……」


 なるほど、こいつの隊があの村でドミニクに同行していたというわけか。確かに三百もの兵力を持ちながら、数ではるかに劣る敵に斬り込まれ食い破られ、挙句の果てに最高指揮官を奪われ武装も解除されて放逐されたのだ、職業軍人としては大失態と言うしかないだろう。俺たちのような異能の部隊がやってきたのが不運ではあったが……やはり責められてしかるべきだ。


「いや、捕らわれたのは私の不覚によるもの。あのように目立つ宣撫工作を自ら連日行っていたのだから、狙われるのは当然であった。そして、ノイエバイエルンの特殊部隊があれほど優秀であったことは、誰にも予想できなかっただろう。トーマス、貴官の罪ではない」


「か、寛大なお言葉、お礼の申しようもございませぬ……小官は、殿下に絶対の忠誠を誓い申し上げます!」


 トーマスと呼ばれた若い千人隊長は、床に頭をつけんばかりにしてドミニクへの感謝を表している。うん、これはなかなか、掴みは上々ってところだ。


「しかし殿下、ここまでどうやってご帰還なされたのか……」


 一番年かさで上位であるらしい隊長が、代表して説明を求めてくる。さあ、これからが本番だ。


「ああ、私は敵に捕らわれた。だが、敵であるはずのノイエバイエルンは寛大であった。我々が兵を退けば、わずかの賠償でこの侵略行為を許すと。そして我が公国と、末永い友好を希望するのだと」


「むう、そのようなことが」

「確かにこの戦は、本気になられたら勝ち目がないものだ」

「部下を犬死させるのは不本意、それが本当ならば……だが、信じられるのか?」


「諸君の心配ももっともなことだ。だがこれは、ノイエバイエルンの王妃陛下が直接、約束して下されたことである。私は彼女の申し入れを、信頼している」


「王妃……エルザ王妃が直接ですと?」


 隊長たちがざわついたその時、タイミングを測っていたかのようにエルザがカーテンの影から姿を現す。紅を基調とした特別誂えの軍服が、凛々しく眩しい。


「貴、貴様……本当にエルザだ! おのれ!」


「やめぬか! 諸君ら全員で束になってかかろうとも、敵いはせぬ」


「殿下まで我々を愚弄なさるのか!」


「諸君、五千の兵が守るこの本営までどうやってエルザ様がたどり着き、こうして堂々と姿を晒せると思うのだ。圧倒的な実力の差がある証左だとは気付かぬのか?」


「ぐっ……」


 ドミニクの冷静な言葉に一時の激情を冷まされ、沈黙する千人隊長たち。彼女はさらに畳みかける。


「私は、エルザ妃様の申し入れに従い、同じ道を歩きたいと望んでいる。冒険的な領土拡張など民を不幸にするだけだ。善き隣人として、共に発展して行きたいと思う」


「ですが……そのような方針変更を、本国におわす大公様が肯じますでしょうか?」


 年長の隊長が疑問を述べる。もちろん、それは五人の隊長たちに共通する思いであろう。


「もちろん、承諾されまい。ゆえに、私は父上に反旗を翻すつもりだ。父を廃し私が大公位につくであろう」


「な、なんと……?」「大逆を為されようというのか?」


「大逆か……確かにそうかも知れぬ。だが、このまま大国ノイエバイエルンに対し愚かな侵略を行えば、いずれ逆撃をこうむり、国が亡ぶことは明白ではないか? 国と民の安寧と、父の威光と、どちらが重いのか、少し考えればわかるはずではないか、諸君よ?」


 青い瞳から発せられる眼光が、隊長たちを射抜く。まだ齢若い女性だというのに、その立ち姿は君主にふさわしい威厳に満ち、見る者を圧する。生まれながらの君主ってのは、こういう者なのかと感心してしまう。


「私! 私は、殿下のお考えに賛同致します! 我が部隊は殿下を大公とするため、生命をを掛けて戦うでありましょう!」


 三十代半ばと見える隊長の一人が、茶色の眼をギラつかせて真っ先に臣従を誓った。


「ありがとう、ヨーゼフ」


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