第84話 騎士の誓約

 俺が胸の中で百ばかり数えた頃、クリストフが、ようやく口を開く。


「私個人の思いは、まさに殿下のそれと同じ。国の存亡や民の生命を賭け事のチップとして張るような大公のお考えは、国主としてあり得ざるものだと思っております。ですが、私は武人として……主君から与えられた職掌に背くことはできません。殿下……どうか、この場で私を斬り捨てて頂きたい。誰よりも信頼する、ドミニク殿下の剣にかかって死ぬのなら、幸せな最期でありましょう」


 持っていた剣を静かに机上に置いて丸腰になると、クリストフはドミニクの前にひざまずいて、深く頭を垂れた。


「クリストフ……どうしても、この私と同じ道を歩いてもらうことはできぬか」


「はっ……申し訳ございませぬ」


 唇を震わせながらドミニクが発した最後の願いに、青年は静かに、だが迷いなく応えた。彼女は暫く眼を閉じ呼吸を整え……意を決したように剣を抜く。


「済まぬ……クリストフ」


「……お慕い申しておりました」


 透明な雫を頬に伝わせながらドミニクが佩剣を振りかぶって大きく息を吸った時、弾むアルトが彼女を制した。


「お待ちくださいっ、死にゆく者には、最期の教悔が必要ですっ!」


 気が抜けたように剣を降ろすドミニクの前にクリスタの碧い髪が滑り込み、クリストフと同じようにひざまずいて、その耳に何やらひそひそとささやいている。彼は眼を驚きに見開きつつクリスタにささやきを返し、しばらく二人の間で額を突き合わせるように密やかな会話が交わされる。


 そんな二人のやり取りを見ているうちに何だかもやもやと、不安のような、怒りのような感情が、俺の胸に湧いてくる。いったい何なのだろう、この感情は。


 確かに覚えのあるこの気持ちは……ああ、これは嫉妬、認めたくないが嫉妬心だ。俺は、クリスタと親密に言葉を交わすあの誠実そうな青年に、あろうことか焼き餅を焼いているんだ。妹のように愛しんでいこうと思っていたのに、俺はクリスタを、「女」として独占したいという欲望を、いつしか抱くようになってしまったのか。


 自分自身のもやもやに狼狽している俺のことなど知らぬげに、クリスタは益々親し気に男の耳に唇を寄せている。そして花が開くようなふわりとした微笑みまで浮かべて……対する男は、初心げに頬を染めているじゃないか。あの表情は、恋する男の顔だ、間違いない。


 もう我慢できない、そう思って一歩を踏み出そうとした時、クリスタが何事もなかったかのようにすっと立ち上がり、真っ直ぐに俺に歩み寄ってきてなぜか腕を絡め、上目遣いで口角を上げる。くそっ、可愛すぎるじゃないか……むくむく膨れ上がっていた俺の焼き餅は、クリスタの攻撃にあっという間にぶしゅっとしぼまされ、へらっとした微笑を返すしかない。


 クリスタに何を吹き込まれたのだろうか、クリストフはしばらくひざまずいたまま黙然と考え込んでいたが、やがてすっくと立ち上がり、先程置いた自らの佩剣を再び手に取った。エルザが思わず表情を厳しくして剣を抜こうと身構えるが、クリスタが微笑みながら首を振るのを見て、柄から手を放す。


 クリストフは何を思ったかその刃面を両手で持ち、もう一度ドミニクの前にひざまずいて彼女にその柄を向けた。


「何の真似だ、クリストフ?」


「殿下……いや、ドミニク。私……クリストフ・フォン・ノイシュタットは、君だけの騎士になることをここに誓おう。主君への忠誠や武人としての名誉、富など、もはやどうでもよい。一生君の傍にいて、君を守らせてもらいたいのだ。どうか、この誓いを受けて欲しい」


 ずいぶん古風な、騎士の誓いだ。誓いを捧げている男は落ち着き払っているが、受けるドミニクは、頰に紅を散らして戸惑っている。


「ク、クリストフ……貴殿はもしや、私が皆に隠していることを知ったうえで、なお私に従ってくれるというのか?」


 隠していること……それはもちろん、ドミニクが公女だということ。


「そちらの可愛らしい司祭様が、教えてくれた」


「そ、それは、一生私の隣に立ってくれるということで……よいのか?」


「そんなことを命じてくれるならば、無上の幸せだ」


 暫くの沈黙……静けさの中に、雫が床を打つかすかな音が響く。それは、ドミニクの切れ長の眼から、とめどなく流れ出している涙だった。やがて、彼女は差し出された剣の柄を、しっかりとつかむ。


「クリストフ……貴殿の誓い、確かに受け取った。私が間違った道に進まぬように、時には支え、時には正して欲しい。そして……互いの生命尽きる時まで、並んで共に生きることを、私も誓おう」


 作法通り軽く刃面を男の肩に当てると、ドミニクは男の手をとって立ち上がらせ、その胸にそっと顔を寄せた。びくっと緊張した風情のクリストフも、勇気を奮い起こして彼女の背中に手を回し、最初は遠慮がちに優しく、やがて力強く抱き締めた。




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