第83話 調略

 デバフ担当の二人にもう一回魔力譲渡をやって、薬酒のスキットルが残り三分の一くらいになった頃、俺たちはようやく目指す部屋にたどり着いた。三階までにいた全ての敵はすでに拘束済みで、ブルーノの部下が散って館を制圧している。


「中はどうだ? 念のためもう一度『探知』を頼む」


「三人いるでござる。まったく動いておりませんゆえ、机に向かって執務中なのでござろう」


「ターゲットは一番右の人物ね、間違いない」


「じゃ、その他の二人を眠らせるっす」「……安らかな眠りを」


 クサヴァーとドロテーアの魔法は、相変わらず敵を詳細に分析してくれる。割り出した方位と距離から放つダミアンとヘルゲの睡眠魔法も、実に正確だ。ニッチでマニアックな魔法に特化しているから評価されにくいが、こいつらはやっぱり凄い魔法使いだと思う。


「よし、踏み込むぞ」


「私が行く。クリストフは私の姿を見ていきなり斬りかかってくることはすまいからな」


 そう言うなり、ドミニクが剣も抜かず無造作に扉を開ける。その向こうには、同僚の異常に気付いて身構えていた、長身の青年がいた。


 年齢は……俺と同じか、少し上か。赤毛……エルザの燃えるような赤ではなく、くすんで落ち着いた色の髪、そして軍人とは見えぬ全体的に優し気な雰囲気の男だ。やや目尻の下がった茶色の眼は警戒の色をたたえているが、ドミニクの姿を見て驚きに見開かれる。


「ドミニク! ……いや、殿下。ご無事で何よりです……その者たちは?」


 喜びで跳ね上がったトーンをぐっと抑えたように、クリストフと言うらしい青年が不審者である俺たちを見る。一緒に部屋に入ったのはエルザと俺、クリスタ……そしてギゼラ。もっとも存在感を限りなく隠せるギゼラは、彼の視界に入ってはいまいが。


「クリストフ……この御方に見覚えはないか?」


「赤毛の女性……つっ、お前は、エルザ王妃! ドミニクを……いや、殿下を放せっ!」


「落ち着いて、話を聞けっ!」


 公国の高位貴族であろう青年は、隣国王妃の風貌を覚えていたようだ。血相を変えて佩剣を抜き、ドミニクの鋭い制止に戸惑いつつも、エルザをきっと睨みつける。


「クリストフ。私は武運つたなく、エルザ妃率いる精鋭部隊に捕らえられた。不法な侵略軍の首領たる私は、処刑されても晒し物にされても仕方のないところだが、ノイエバイエルンは寛大なものだ。我々が本国に撤退し、多少の迷惑料を払えば、今までの公国の行いは問わないと言うのだよ。私はもろ手を挙げてそれに従いたいところだが……」


「それが良いのでしょうな。ですがあの大公様は、ご承知されますまい」


「そうだな、『あの』父が、肯んじるはずもない。己の実力も把握せず、欲と妄想ばかり膨らませる、愚かな大公はな。だから私は、心を決めたのだ……父に代わり、私がドレスデンの主となると。そしてノイエバイエルンの善き隣人となり、帝国との争いにあたっては、その後背を支えるつもりだ。私は帝国を許せぬ……いかに父が愚かであったとしても、甘言を弄して絶対勝てぬ戦に、わが国民を引きずり込んだザグレブ帝国を!」


 切れ長の青い眼に、強い意志の光が満ちる。そしてその視線は、真っすぐクリストフを射貫いているのだ。


「それは……お父上に対し、反逆をなすということでしょうか?」


「反逆……そう反逆には違いない。だが、我々の守るべきは父ではなく、ドレスデンと言う国、そしてその国民なのではないか? このまま戦を続ければ、いずれノイエバイエルンはその兵を我らに向けよう。一万か、二万か……いずれにせよ、我々には滅びる以外の選択肢はないのだ」


「こちらに大軍を向けた背後を、ザグレブ帝国が襲うという筋書でありましたが」


 そう答えるクリストフの口調はクールで、諦観に満ちている。彼も、帝国の信義など全く信じていないのだ。帝国にとってドレスデンが捨て石であることなど、軍人たるクリストフは痛いほど理解しているのだろう。


「ふん、信じられるものか。そして、たとえ帝国がその策を採りノイエバイエルンを滅ぼしたとして、その後ドレスデン公国が存続を許されるとでも思うか? 併合され地方領として残されるなら良いが、おそらく大公家は邪魔者になる。何か理由をつけて処断されるが落ちであろうな」


「では、殿下は私にどうせよと……」


 青年は、茶色の眼を伏せる。無論彼は、このホテル全体がすでに敵手に落ちたことを、悟っているはずだ。敵軍の首領たるエルザが警戒することもなく堂々とした姿で、ここにいるのだから。


「クリストフ、私と共に父と闘って欲しい。フライベルクに駐留する五千の兵を説得し、反戦でまとめるのだ。そしてドレスデンに取って返し、街を包囲する。ドレスデンは大消費都市だ、持久戦になったら干上がって音を上げ開城するだろう」


「しかし……包囲戦をやるほど我々の補給は……」


「ふむ、それなら補給はノイエバイエルンが責任を持つわ。どう?」


 ここまでひたすらキャラに似合わない沈黙を保っていたエルザが、口を挟む。そう、ノイエバイエルンの経済力あらば、五千の兵站など負担にもならない。エルザからしてみれば、鎮圧のために大軍を向けなくて済むならば、兵糧でも資金でも何でも出してやろうという気分なのだろう。


「くっ……」


 赤毛の貴公子が、苦渋に眉を寄せた。

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