第80話 潜入

 特殊部隊の連中にとってフライベルクの市内に潜り込むことなど、いと容易いことだ。


 ドレスデン軍がほぼ無抵抗で街を占領して以降、ノイエバイエルン側からの目立った反撃はなく、駐留軍は着々とフライベルクの実効支配を進めている。


 実効支配の行き着く理想の姿は「ドレスデン軍が居座っていても、街が普通に機能する」ということだ。だから彼らは自分たちが市民生活を過度に妨げないようにと、何かと気を遣っている。特に食料品や日用消耗品が不足すればそれは即占領部隊への不満につながるのだから、生活必需品の流入にはある程度甘くならざるを得ないのだ。ケムニッツにつながる街道はさすがに閉鎖されたが、ドレスデン側に向く門の警備は決して厳しくなく、商人や農民の出入りは日中に限っての条件付きだが、特に制限されていない。


 そこでブルーノの部隊は一人か二人づつに分かれ、ある者はジャガイモを売りに来た農夫に、またある者は新鮮な肉を鬻ぐ商人に扮してドレスデン側から回り込んで街に堂々と入り……二十人ほどがすでに市内のあちこちに潜伏している。


 しかし、全員がこんな方法でぞろぞろ入ったら、さすがに怪しまれてしまうだろう。そして、ご本尊のドミニクはもちろん、派手な美貌が知られているエルザだって、完全に顔バレしているのだから偽装は難しい。彼女たちと俺たち魔法使い部隊、そしてブルーノの軍人部隊のうち十数人は、夜闇をついて城壁を乗り越えることにしていた。


「いいか、強化魔法に慣れていない奴は怪我をしやすいんだ、飛び過ぎるんじゃないぞ」


「はいな、隊長」


 気楽な調子で返事するのは、闇夜の黒猫みたいな女、ギゼラだ。相変わらず存在感がまったくない奴で、声を出してくれないとどこにいるんだかさっぱりわからない。


「じゃあいくぞ……この者を重力の軛から解き放てっ!」


「うわっ、これは……すごいね。じゃあ、いくよ」


 二回ほど軽く試し跳びする音がした次の瞬間、黒い影がすっと視界をかすめたかと思うと……ぽすっというようなごく淡い音に続いて、するすると眼の前にロープが降りて来る。


「うわっ、まじっすか。この城壁の高さ、二十エレくらいあるっすよ。あのギゼラって女、化け物っすね」


「ああ、俺も驚いた」


 全身の筋力を鍛え上げ、俺の全力を込めた強化魔法を受け止めることができるエルザでも、この城壁のてっぺんにひと跳びで手を掛けることはできないだろう。ギゼラが素で持っている身体能力が、常識外れと言うことだ。


「さあ、登るぞ」


 二人ほど特殊部隊員が先行して登り、城壁の上の安全を確保して合図を送ってくる。次に登るのはエルザだ、壁に足を掛けることもなく、リズミカルに身体を左右に振りながら、両腕の力だけでスイスイと登っていく……相変わらず抜群の体術だ。ドミニクは慎重に壁を伝いつつ登っていくが、とても女性とは思えない確かな登攀力を見せる。毎夜筋トレに励んでいると言うが、男として振舞うために血のにじむような努力をしてきたことが、その動きから窺えるな。


 クリスタが素で持っている腕力は……まあ女の子の標準より少しマシという程度。この高さのロープ登りなどとても無理だが……俺が「剛力」の強化を付与してやると、何事もないかのようにひょいひょいと登っていく。まあ彼女も、俺の最大出力強化を平気で受け止めて、使いこなせるからな。


 どうしようもなかったのが、ダミアンとヘルゲだ。二十代前半の男なのに、そもそも腕力が無さ過ぎて、ロープ登りが四~五エレしかできない。身体強化を掛けても、増した力がうまく使えない……結局奴らの胸にロープを巻いて、俺の強化を受けたエルザが、引っ張り上げてやる羽目になった。


「兄貴、なんだか俺ら男としてのプライド、ずたずたっすよ」


「そう思うんなら少しは身体を鍛えろ」


 冷たく突き放す俺だ。ダミアンたちがいつまでこの部隊にいるか知らないが、デバフ専門の魔法使いなぞ、冒険者パーティくらいしか求人がない。いくら魔法使いでも、パーティメンバーに遅れずついていく程度の体力を付けておかねば、冒険者稼ぎができないってこと、こいつらにわからせないといけないよな。


 城壁の内側にロープで降り、エルザの案内で城壁沿いの暗がりを忍び歩いて、ごく普通の何でもない一軒の民家に入る。迷いもなく台所に踏み込んだ彼女が床に手を掛けると、パカッと床板が跳ね上がり、食料貯蔵庫みたいな穴蔵が現れた。木箱や樽が雑然と置かれているそこにひらりと飛び込んだエルザはしばらく何かをごそごそ探っていたが、やがて手だけを穴蔵から出して、俺においでおいでをする。多少気味悪さを覚えながら滑り込むと、穴倉の奥には木の扉があり、その先には真っ暗な空間が続いているようだった。


「さあ、行くわよ。ウィル、灯りお願いね」


「わかった」


 短く答えて「魔灯」を宙に浮かべる俺だった。

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