第76話 エルザの決断
「う~ん、あまりに突飛な話で、ついていけないわ……」
「そうかも知れないね。それでは、証拠を示すとしようか」
そう宣言するなりドミニクは、ためらわず上衣のホックに手をかけ、脱ぎ始めようとする。
「はわっ、お兄さんは見ちゃダメなのですっ!」
後方からクリスタが俺にがばりとしがみつき、両掌でおれの眼を覆う。しばらく衣擦れの音だけが響き……
「うっ……鍛え上げられた筋肉は思わず見とれるほどだけど、確かに女性の身体ね……」
「私よりも少し大きい……いえ、何でもありませんっ」
クリスタの小さな掌のせいでその姿は見えていないが、見えないことでかえって想像をかき立てられてもやもやしてしまうのは、俺が卑しいからだろうか。
「これで信じてもらえただろうか。私は表向き第一公子だが、実は公女なのだ。ああ、弟は正真正銘、男の子だぞ」
そしてドミニクは言葉を続ける。
彼女の誕生から六年後、公妃は待望の男子を産んだ。本来ならここで偽物の公子であったドミニクはその役割を終えて姫に戻るべきところであるが、父である大公はそうしなかった。小心で、他人の評判をやたらと気にするこの大公は、高官たちから「大公は我々をあざむいていた」と突き上げを食らうであろうことに耐えられず、歪んだ現状を修正することから卑怯にも逃げ、現状維持を図ったのだ。以来十六年間、ドミニクが二十二歳になる現在まで、この茶番劇は続けられているのだと。
「じゃあ、大公は自分の後継ぎをどうするつもりだったの?」
「私に継がせるつもりのようだった。弟は甘やかされて育ったせいか我儘で考えなしだ。君主としての教育にも身が入らず、自分の側近ばかりひいきすると、いたく評判が悪いからな」
「だけど、そうなったら公妃を迎えて……後継ぎを作れないじゃない?」
「そうだな。おそらく口の堅い家の娘に因果を含めて娶ることになるだろう。子供はできないが、私が死んだ後は弟の子供にでも大公の座を譲るという構想だった。その頃にはもう非難されるべき父自身はこの世にいないわけだしな」
さすがに俺も、この話にはドン引きだ。血を分けた娘の人生を思いっきり捻じ曲げて自分の体面だけ守ろうとするドレスデン大公の浅慮には、さすがに呆れてしまう。まあそんなお花畑の脳みそだから、帝国の甘い誘いにホイホイ乗っちゃったんだろうけどさ。
「いや、そんな深刻な顔をしてくれなくても良いのだ。私は行政も外交も、剣術だって大好きだ。そして国を率いる重責にも、やり甲斐を感じている。そして冷静に考えて、弟が大公になったらドレスデンの民は決して幸福にならんからな。私一人の問題である女としての幸福よりも……国を存続させ、民を安んじることが優先だ」
最後のところで少しだけ切なげな表情を浮かべる。クリスタの眉尻がそれに合わせて下がるのを見れば、この言葉は彼女の真意なのだろう。
「だが、私は不覚にも敵に捕らえられてしまった。これを知った父がどのような行動をとるか、私には手に取るようにわかる」
「どうすると言うの?」
「そうだな、『公太子ドミニクはノイエバイエルン軍と勇敢に戦い、名誉の戦死を遂げた』と発表するのさ」
「はあっ?」「はわっ?」
エルザとクリスタが間抜けな声を上げてしまってるけど、俺にも意味が分からん。捕らえられた太子を救うため軍を引いてくれるかどうかは五分五分と思っていたけれど、死んだことにするなんてのは、さすがに理解不能だ。そしたらこの女は、どうなっちゃうんだ。
「そんなに意外なことではないだろう。何より体面を気にする父だ、これで私が死んだことにしてしまえば、二十二年前の愚かな偽装工作を、すっきりなかったことに出来るのだからな」
「それなら、こっちが捕らえた貴女を明らかに示したら?」
「だが、その捕虜は女なんだぞ? それをどうやってドレスデンの『公子』だって主張するんだい? 『敵が捕らえたと言っている奴は顔が似ているだけの大女だ』って言われたら、反論出来ないだろう?」
「うぐぐっ……だけど自分の子供をそんな簡単に……」
「見捨てるよ、うちの父なら。数日も経てば布告が出るから、私の言うことが正しいと理解してもらえるだろう」
吐き捨てるような最後の一言に、俺たちは言葉を失う。自分本来の人生を奪った父親に対する不信と確執の深さは、想像以上だった。
「まあ、そういうわけだ。従って私には人質としての価値はない、処刑するなり幽閉するなりなんなり、思う通りにしてくれ。さすがに男として生きてきた私だ、男どもの慰み者になることだけは、なんとか勘弁してもらいたいのだが」
「くっ……」
天幕を、重い沈黙が満たす。
二百を数えるほどの時間、誰も言葉を発しなかった。やがて、沈思していたエルザが視線を上げ、ドミニクの眼を真っすぐに見つめる。
「貴女は今でも、ドレスデン大公になりたい?」
「え?」
「いないことにされてしまったのなら、このチャンスに女として別の人生を歩くこともできるわ。それでもまだ、ドレスデンの首長として、民を率いたいと思っているの?」
「……もちろんだ。私の望みは、民を安からしめること」
迷いなき澄んだ瞳で、ドミニクが答える。
「よし、じゃあ決まりね。私たちは貴女を旗印に、ドレスデンを乗っとるわ!」
エルザの紅い瞳が燃えている。思わずその美しさに見とれる俺だが、なんだかものすごく不吉な予感がする……
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