第75話 ドミニクの秘密

「ちょっと……どういうことよ? 貴方は公国の後継者なんでしょ?」


「そう、間違いなく、私は公国の太子だ。しかし、スペアがいないわけではない。そしてその者は、今の公国を牛耳っている連中にとって、より都合のいいスペアなのだよ」


 表情も動かさず、冷静に語るシルバーグレイの貴公子。俺は思わず視線をクリスタに向けて、彼女も表情に驚きを浮かべていることに愕然とする。それってつまり、この公太子の言ってることは、本当だってことだよな?


「だけど、そんな……自国の太子を見殺しにするって言うの?」


「おそらく、そうなるだろう。父大公の取り巻きは、みな主戦論者だからな、私の存在が邪魔なのだ」


「貴方は、侵攻軍を率いていながら、戦争に反対だってことなの?」


「不戦を説いていたからこそ、侵攻指揮官を命ぜられたのだよ。父から指揮杖を与えられて出陣を拒めば、許しがたき怯懦の徒として貶められ、太子にふさわしくないと謗られる。そして私が拒めばそれに代わるであろう弟は出来が悪くてな、政治には興味がなく取り巻きどもの言うがままさ。もはや戦争を止めるどころか、ノイエバイエルンの大軍に叩きつぶされるまで、ひたすら暴虐を尽くすことになるだろう、我が祖国の兵たちを率いて……」


 静かに貴公子の思考を覗いていたはずのクリスタが、はっと何かに気付く。


「もしや……執拗なまでに丁寧な宣撫工作を連日行っていたのは、軍をあれ以上前に進めないため?」


 クリスタに眼をやった貴公子ドミニクは、ふっと口元を緩める。


「そうさ、可愛らしい司祭様の洞察通りだ。すぐにもケムニッツまで部隊を進めたい本国をなだめ、とにかくフライベルクの支配を確立する方が先であると、宣撫工作ばかりやって時間を稼いでいたというわけさ。周辺の村を回っていれば、本国の貴族が進軍をせっつきに来ても、会わずに済むからな」


「すると……ドレスデン軍は」


「抑え役がいなくなったのだから、早晩ケムニッツに攻めてくるだろう。まあ、指揮官不在になったのだから、一週間や二週間は、混乱するのだろうが……再侵攻は遠いことではないよ」


 深いため息をつく貴公子は、少し疲れて見えた。細くはっきりした眉が寄せられ、その貌に憂いの色が広がる。


「それだけの重責をその肩に担われて……女性にはキビしいですよね、お察ししますっ!」


 うん? クリスタは、何を言っているんだ? たった今「女性」って言ったか?


「え? わかるの?」


 ドミニクが、驚いたように切れ長の眼を大きく開く。その反応は……クリスタの指摘が、当を得ていたということだ。そう言われてみればその高めの声は、男のものにしては柔らかい。高貴な生まれの者は声までエレガントなのかと呑気に考えていたが、そういうことか。


「もちろん、わかりますよっ! だって、女性と男性の心は、むぐぐっ……」


 俺は慌てて、このおしゃべりな小動物を黙らせる。よりによって敵国の後継者に、こんなヤバい能力を伝えることはない。「心を見る」ことが出来るなんて。


「そうか、わかる者には、わかってしまうのだな……」


「何だか、複雑な事情がおありのようね。あなたが男装の麗人だってことは、どこまで知られているの?」


「そうだな。父母と弟妹、そして私の世話をする限られた侍女だけだ」


 この公太子はクリスタの能力を詮索することはせず、そういうものとしてあっさりと受け止めているようだ。そして彼女……って言っていいよな、彼女はこの奇妙な設定の経緯を語り出す。


 かつてまだ太子だった頃のドレスデン大公と妃の間には長年子供ができず、重臣から側妃を娶るよう強く勧められていたのだ。だがその妃候補は当の重臣の娘……年上で高慢でその上容姿も大公の好みと大きく外れていた。そしていよいよ側妃の件を断り難くなってきた頃、ようやく正妃に子供が出来、彼は狂喜したが……産まれたのは姫だった。


 姫が女君主になってはならないという決まりがあるわけではないが、公国では前例がなく、首を横に振る者が多いであろう。このままではきっと明日からまた重臣の娘推しが始まるだろう、そんな焦燥に駆られた大公がなした愚かな決断は、その場にいた者に厳しく口止めをした上で、「姫誕生」を「若君誕生」と偽って発表することだ。


 そんな無謀なことがと思うが……高貴な一族ならばそれが可能だった。姫君の世話を本当に限られた一部の侍女と乳母に任せ、彼女らの家族の安全と引き換えに秘密を守らせるよう誓約……という名の脅迫をすれば、乳児幼児の頃にその偽装がバレることはない。そして幼い彼女に与えられた教育は、高貴な淑女になるための文化的教養やマナーではなく、善き領主、強き指揮官となるためのそれであった。


 そして、少女から女に育っていく過程でも、運よく長身でスレンダー体形のドミニクは、下着を少し工夫する程度で美青年として押し通すことができたのだ。毎朝剣術の稽古に汗を流し、毎晩欠かさず筋トレに精を出すという、たゆまぬ努力の末にであるが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る