第73話 混乱するエルザ
「エルザ!」
「あっ、エルザお姉様、気が付かれたのですねっ!」
「ん? ウィル……クリスタまで。どうしたの?」
まだ少し毒の影響で意識がぼうっとしているのだろう、俺とクリスタを半眼で、代わる代わる見るエルザ。不思議そうに周囲を眺め、自分の天幕であることを確認して……はっとしたように眼を一杯に開けて半身を起こしたところで何もまとっていない自分の上半身を知って、一気にその貌が恐怖に満ちる。うん、最初はとりあえず何か着せてそのへんをごまかすことも考えたんだけど、彼女の紅い上衣はヘルムートのナイフで切り裂かれていたから、結局のところ糊塗しようもなかったんだよな。
「え、あっ、どうして……」
「うん、エルザ。落ち着いて聞いてくれ。話せば長くなるんだけど……」
結局さっきの顛末を、俺がゆっくりと話して聞かせる羽目になった。
本当は男からじゃなくて、女性からそのへんの説明をした方がいいんだろうけど、いくらなんでも十五歳のクリスタに生々しい話をさせたくなかったし、ギゼラじゃ「お前誰だよ!」になっちゃうからな。
だけど……話しているうちにどんどんエルザの顔色が白く、いや青くなっていく。マズいかなと思ったけれど、エルザの性格を考えれば途中でやめるわけにもいかない。そしてあらましをほぼ伝え終えるころになると、その身体は震え、歯からカタカタと音が鳴っていた。
エルザがこんなにショックを受けるなんて、俺は正直なとこ、思っていなかった。だって、じろじろ胸は見られちゃったかも知れないけど、決定的なナニかはされなかったわけだし、フリッツに対して引け目を感じることもないだろう。
だが実際、エルザはまるで何も知らなかった娘の頃みたいに、脅え震えているんだ。
う~ん、どうやって落ち着かせたらいいんだろう。付き合ってた頃なら無言でぎゅっと抱き締めてあげれば良かったけれど、もうそれはできない。でも、エルザがこんな状態じゃ軍の指揮もくそもない、何とか落ち着かせないと。
「エルザ……」
近づこうとした俺の肩を、クリスタの小さく細い手が制止する。彼女はそのまま俺の前にするするっと出て、エルザと向き合った。
「エルザお姉様……」
「クリスタ、私……」
ルビーのように紅い瞳が、大きく揺らいでいる。クリスタはエルザの両頬に掌を当て、至近距離で視線を合わせ、優しく語りかけていく。
「はい、もう大丈夫ですよ、エルザ……もう怖い人は、いないのですよ……そう、頼れるウィルが、守ってくれたのですよ……」
「……ウィルが、守ってくれた……」
「そう。だからもう怖くないですよ……そしてエルザは、強いのです。誰もエルザを害することなどできない……」
「そう、私は強い、誰にも負けない……」
紅い瞳の揺らぎは止まり、そこに光が戻る。さらにクリスタが言葉を重ねる。
「その強さは、王国の民を守るために与えられた強さなのです……エルザが前を向くことで、民が皆奮い立つのですよ……」
「私はノイエバイエルンの民を守る……そのために、前を向かなくちゃ……」
「そう、エルザにはその力がある……」
しばらく、教え諭すような、力づけるようなやり取りが続く。そして……
「もう、今晩は遅いですね……明日から正しく民を導くため、今は休みなさい……エルザ」
「はい、お母様……」
なぜかクリスタを「お母様」呼ばわりしたエルザは、その言葉と共にコトリと眼を閉じた。クリスタがその背中を支え、寝台に横たえる。エルザの寝顔は、子供のように安らかだった。
「はい、もう大丈夫ですよ。ひと眠りして起きたら、いつもの凛々しいエルザお姉様に戻っているはずです」
「あのさ、クリスタ……今のは……」
「ええ、思いっきり使ってしまいました、ルーフェの業を」
そう答えたクリスタの翡翠色した瞳に、不安の色がちらっと覗く。ああ、また余計な心配を、させてしまったか。
「ありがとう、エルザのために力を使ってくれて。大丈夫、心配しなくていい、いくらルーフェの力を使っても、俺がクリスタを可愛いと思ったり、一緒にいて欲しいとか思う心は、変わらないから」
「くっ……はいっ、クリスタ、嬉しいですっ!」
たぶん、クリスタはもっと、普通の人なら恐れるような凄い法術を使えるのだろう。だけど今の俺はもう、この可愛く懐く小動物みたいな彼女を、絶対手放す気になんかなれなくなっていた。
何だか、クリスタの目尻が濡れていた気がするけど、俺は見てない振りをすることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。気になっていた俺たちは、夜明けすぐに彼女の天幕に向かった。
「おはようクリスタ! そしてウィル、昨日はありがとう!」
「お、おう。よく眠れたか?」
「ばっちり! 今日はドレスデンの公太子と話をしないといけないし……その前にあのヘルムートの部隊をどうするか考えないとね」
その紅い瞳は完全に輝きを取り戻し、その声もまるで昨晩の出来事を忘れたかのように力を取り戻している。安心した俺がクリスタを振り返ると、弾ける微笑みが返ってきた。
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