第71話 目覚めぬエルザ

 貧相な小男の血まみれになった死骸を見下ろして、深い息を吐いた俺は、クリスタを振り返った。


 彼女は俺がヘルムートと対峙している間、ずっと静かに奴の心を読み、その弱みをつかむことに集中していたんだ。


 平常時の奴はクリスタの読心能力を警戒して、読まれて困る事項を頭に浮かべないよう注意を払っていた。おそらくそういう能力を持つ者に対抗する訓練を、十分に受けていたはずだ。


 だが、奴が執着するエルザを手に入れ、邪魔する俺と命を懸けたやり取りをする中で、その精神防御に微妙なほころびが出来ていたのだろう。クリスタはそこを突いて、自らの存在を薄めつつ、ひたすら奴の思考をたぐっていたんだ。


 そして、あの場面で奴が隠していた秘密を暴露することで冷静さを失わせてくれたことで、実力ではるかに劣る俺に勝機を与えてくれた。


「ありがとう、クリスタのおかげで死なないで済んだ。だけど……もうこういうことはしないで欲しいんだ。自分を餌にするような危ない真似は」


「ごめん……なさい。でもですね……」


 首をすくめて上目遣いをするクリスタ。いつもならこのあざと可愛い技にヤラれてうやむやにされちゃう俺だけど、今日はきちんとわかってもらわないといけない。


「クリスタが眼の前からいなくなるかと思ったら、身体が震えた。そんなことになったら俺はまた、生きている意味を失ってしまう。クリスタ、君が一番大切なんだ。もっと自分を大事にしてくれ……お願いだ」


「うぐっ、それはっ……」


 不意にクリスタが頬に血を昇らせ、耳まで紅く染める。うん? なんで、説教されているくせに、そんな反応になるのか?


「……はい、嬉しいです……ウィルお兄さん」


 クリスタの濡れた瞳と声に、俺ははっと我に帰る。ヤバい、さっきの俺のセリフ、はたから見ればもしかして……いやもしかしなくても告白してるみたいだよな? いや、このクリスタの反応は完全に、そう思っちゃってるってことか? どうしようこれ、今さら「いやあ~そんな深い意味じゃなくて……」とか言えないよな?


 いきなりキョドり始めた俺の胸に、クリスタがぽふっと顔を埋めてくる。両腕を俺の背中に回して、ただそのまま静かに、暖かい息を吐く。そこからじわっと熱が伝わって……全身がふわりと温まってくる感じだ。


 まあ、いいか。


 そこまで深く考えて出た言葉じゃないけど、俺が今クリスタを大事に思う心に、嘘はない。エルザに抱いていた想いとは意味が違うかもしれないけど、間違いなく一番大切な女の子だ。エルザを失った後の、惰性で進んでた空虚で灰色の人生に、色を与えてくれた、俺の天使なんだから。


 そうやって流されやすい俺は、発言の意味を修正しないまま、クリスタの肩をしばらく抱いているのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ゆっくりと身体を離したクリスタは、薄桃色に染まった頬を緩めて、ふわりと微笑む。可愛い……何か微妙な誤解に基づいた微笑かもしれないけど、まあいいよな。


「そうですっ、早くエルザお姉様をっ!」


 クリスタがはっと我に返ったように、あらわになっていたエルザの上半身にブランケットをあわてて掛ける。


 そうだった、思わず二人の世界をつくって、肝心のエルザを放置してしまっていた。まあヘルムートの奴はエルザに不埒な行為をしようとしていたみたいだし、せいぜい眠らすくらいで、死ぬようなことはしていないだろう。実際、胸を覆ったブランケットは、規則正しく上下している……ならば俺の魔法一発で解決だ。


「この者の意識を呼び戻せ……覚醒!」


 うん? 何も変化がない。エルザの眼は閉じられたままで、開かれることは無い。


「変ですねっ? 催眠ではないのでしょうか?」


「うん。もう一度……覚醒!」


 今度は、最大出力で覚醒の魔法を施す。だけど、エルザはひたすら、眠り続けている。俺の胸に、不安の黒いもやがかかり始める。焦った俺はさらに二度、同じことを繰り返すけれど、結果は同じ。


「くそっ、なんで効かないんだ……」


「お兄さんの魔法で目覚めないとすると、やはり毒物系のものでしょうか?」


「毒の治療なら、クリスタの領分かな」


「どういう毒かわかれば私も薬師、やりようはあると思うのですが、全く分からないので……」


 クリスタのアルトが今は弾んでおらず、気づかわし気なトーンを帯びている。俺も毒物の心得はさっぱりだし、ブルーノの部隊にもその辺の知識は期待できない。ヘルムートの部下であれば暗殺のプロだ、毒を判別して解毒処方を出せるかも知れないが……彼らの指揮官が血まみれになって転がっているここに連れてくるのは、いろんな意味で危険だ。


 八方塞がりの状況に俺が唇を噛んだ時、クリスタが何かに気付いたようにはっと視線を上げ、俺の背後を見た。


「ウィルフリード隊長殿、よろしければ私がお役に立てるかと思いますが」


 不意に若い女の声が響き、俺は思わず飛び退いた。

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