第70話 エルザの危機
作戦は、大成功だ。
味方に死者を出さずにターゲットを確保、倒した敵は百二十名ほど、残りは武装解除してフライベルク方面に放逐した。こっちがもっと悪辣だったら、放してやるんじゃなくて武装を奪ったところで皆殺しするところなんだろうが、そういうやり方はエルザの趣味に合わないらしい。もちろん、俺の趣味にもな。
そんなわけで、俺たちは敵の馬を奪って一気にケムニッツ郊外の拠点まで逃げ帰った。ここで体勢を整え、公国と交渉を開始するのだ。太子を返還する代わりに、フライベルクから撤退せよと。しかし俺たち実行部隊は寝ずの作戦でくたびれ切っている、まずは眠って、気力体力を回復しないと。
俺たち魔法部隊も、市街にあるマリウスの宿にすぐ戻るわけにもいかず、他の部隊と一緒に森の拠点で休むことになる。
「じゃあクサヴァー、今日も一応頼むよ」
クサヴァーの「探知」魔法で周囲の安全を確認するのが就寝前の、魔法部隊のルーティンになっている。今日は味方の部隊と一緒だから必要はないようなもんだが、一応念のためにな。
「ほう」
「どうした?」
異常などあるはずがないと油断していた俺だけど、クサヴァーの意外そうな声に思わず反問する。
「いや別に、敵がいるわけではないのですがね……珍しく王妃様の天幕に、どなたかいらっしゃるようで」
「なんだと?」
エルザは意外にも潔癖症で、自分の生活スペースに他人が入ることを頑強に拒む。ましてや男など、俺とフリッツ以外には絶対に入れてくれなかった。こういった野営の時でも、寝起きする天幕は彼女専用で、そこに部下を招き入れるなんてことは、ないはずだ。
強烈な胸騒ぎを覚え、俺は眠気を催し始めていた頭を振って、エルザの天幕へ急ぐ。もちろん、足音を抑えて。
天幕ごしに中の様子をうかがうが、かすかな衣擦れの音しか聞こえない。密談のために呼んだのではないとすると……やはり何か異常なことが、そこで起こっている。
声をかけることなく、俺とクリスタは中に飛び込む。そこで俺が眼にしたものは、上半身をあらわに横たわるエルザと、爬虫類が獲物を舐め回すような視線でエルザを見つめる男。そして俺はその男に、見覚えがある。
「貴様……ヘルムート!」
頭に、カッと血が昇った。無我夢中で剣を抜いて斬りつけるが、相手は軽々とかわす。
「ふん、そんな剣筋では俺に毛ほどの傷もつけられぬわ。お前のような、戦士としても魔法使いとしても中途半端な男に、俺の女神が抱かれていたかと思うと、おぞ気がするわ。丁度いい、ここで殺してやろう」
ヘルムートが、酷薄そうな薄い唇を歪める。万が一にも負ける可能性などないと思っているのだろう。無理もない、奴は暗殺のプロフェッショナルだ、屋内での戦闘であれば、どんな一流の騎士を相手にしても、負けないだけの修行をしているのだ。
俺は、無言で剣を水平に払う。「神速」のバフが乗っている一颯だから、普通の兵士なら必ず初撃で殺せる。だがヘルムートは、せせら笑うように斬撃をかわした。
「確かに速いな、だがその程度では、俺は殺せんよ」
そううそぶいた次の瞬間、俺の右脚に痛みが走る。見れば腿の真ん中に、錐のような暗器が刺さっていた。奴がいつそれを投げたのかも、わからなかった……圧倒的な近接戦闘力の差に、愕然とする。
だけどここで負けるわけにはいかない……今度は渾身の気合を込めて、突きを放つ。しかし結果は同じ、さっきやられたところのすぐ上に、同じ暗器を突き立てられた。
「無駄だ。すぐ殺すのが面白くないから脚に当てているだけだ、それはお前にもわかっているだろう? 俺がその気になれば、こいつを喉笛に突き刺すことなど、いと易いことよ。そこで悔しがっていれば良い、俺が女神を愛でるシーンを想像しながらな、くっくっく……」
俺たちと言う邪魔が入ったことで、奴はエルザを辱める場所を変えることにしたらしい。半裸のエルザを、悠々とその肩にかつぎあげようとしたその時……
「ふうん、そうなんですね。貴方のお母さんが赤毛の剣士だったわけですか」
「何っ!」
天幕に飛び込んでからずっと驚きで固まっていたように動かなかったクリスタが唐突に発した言葉に、ヘルムートがなぜか激しく反応する。
「あらあら、実の母子なのに、そんなただならぬ関係だったんですか! それもお母さんは嫌がっていたというのにねえ。獣でさえそんなことしませんよ、鬼畜の所業ですね」
「おい、やめろ!」
「その関係に苦しんだお母さんは、自ら命を断ったというわけですか。本当にろくでもない話ですね。大好きな大好きなお母さんを、殺しちゃったのは貴方自身なのですねえ」
「やめろやめろやめろ!」
「それで、エルザお姉様は、貴方の汚したお母さんと、似ているのですか?」
「貴様……殺すぞ」
ヤバい、奴がキレる。やめるんだクリスタ、無茶な挑発は。
「本当に、呆れたマザコン男ですね。そして、きちんと女性を愛することもできず、歪んだ欲望で苦しめるだけ……もう一度ママのおっぱいから、やり直してはいかが?」
「殺す殺す殺す!」
叫んだヘルムートが、半月刀を抜いてクリスタに襲い掛かる。だが、怒りで我を忘れた奴の脇腹にぽっかりと出来た隙が、俺にはその瞬間、はっきり見えた。
全力で地を蹴り、袈裟掛けに剣を振るう。今まで奴に一筋の傷すら与えられなかった剣に、今度は確かな手ごたえがある。怒ったような驚いたような表情を俺に向けた奴の頭蓋を、俺は大上段から剣を振り下ろして叩き割った。
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