第69話 クリスタの法術

「えっ……クリスタちゃんのあれは……『サリエルの邪眼』??」


「あの法術を知っているのか、ドロテーア?」


「ええ、私の父はル―フェの司祭だもの。ベテラン司祭の中でも『サリエルの邪眼』を使える者はごく少数と聞いているわ。しかもその多くはせいぜいその場で対象者を従わせるもののはず、あんな風に時間がたった後に合言葉で起動させるなんて、司教級の法術よ!」


 そうか、薄々は感じていたが、やっぱり規格外の力だったか。クリスタが息をするようにルーフェの業を操るから、司祭級なら普通できることなのかとついつい思ってしまったが……やっぱり、そんなはずないよな。教会から煙たがられて追い出された理由の一つが、これなんだろう。


「クリスタちゃん、まだ子供なのにあの力は……辛いでしょうね」


 そうだ、俺たちから見ればクリスタはまだ子供だ。だけど教会でも最高クラスの力なんかを背負ったおかげで、彼女が安らげる居場所はどんどん狭くなっている。


 そのクリスタは、右側の戦線が膠着したのを見て取ると、無双するエルザの後方を守るためアイゼンバウムの木棒を振るい始めている。想像できないほどの重たい運命を背負ってるのに、あんなに明るく振舞って、頑張るクリスタ。俺の力でできることは限られているけど、彼女の笑顔を、少しでも守ってあげられたら……そんなことを思いながら、自分に「神速」と「剛力」を掛け、その小さな影の方に向け、走り寄っていく俺だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 俺たちの前には、ひときわ大きな天幕。間違いなくここが、公太子のいる本陣だ。


 敵方もこの騒ぎに天幕を出て、五十人ほどの兵士が密集隊形をとってご本尊を守ろうという体勢だ。何人かの兵が松明を持っているから、俺の支援魔法で得た視界の優位性も失われている。この分厚い陣形を力技で切り開くのは、寡兵ではちょっと厳しい。


 だけど、エルザにはそんな不利は関係ないみたいだった。


 生まれ持った剣の天稟に、十年来日々積み上げた鍛錬、そこに俺のバフと「エッシェンバッハの宝剣」の力が加われば、相手が人間である限り、敵うものではない。すでに眼の前で蛮勇を振るって突っ込んできた公国の兵を、五人ばかりそれぞれ一颯で斬り捨てているのだ。


「素直に公太子を渡しなさい。それとも、みんな仲良く主人に殉じて、ここで骸になりたいのかしら?」


 意識的に高飛車な言葉を投げつけるエルザ。そうさ、いくらエルザが王国最強の剣士であったとしても、二十人三十人の雑兵が一斉に殺到してきたら、捌き切れるものではない。ここは、思いっきり高圧的に振る舞って敵の勇気を削ぎ、反撃を散発的なものにしておかねばならないのだ。


「この女め!」


 また一人無謀な勇者が長剣を振るって突っ込んで来ようとするが、動き出した瞬間にその表情が歪み、何かにつまづいたように無様に倒れる。そう、エルザが敵を威圧している間に、ダミアンとヘルゲ、そして俺が後方からこっそり、敵に「遅延」のデバフをバラまきまくっていたんだ。ダミアンたちは普段目立たないが、こうしてみると詠唱も速く大した腕前だ。あとで褒めてやらないといけないな。


 そして、俺の隣でクリスタが深く息を吐く。その思いつめた表情を見た俺は、彼女がまたルーフェの法術……それも今までにない威力の術を使おうとしていることを悟る。


 だめだ、彼女自身が忌避している精神支配系の術……確かにそれを使えば死傷者を出さなくて済むのかもしれないけれど、クリスタの心は、またざっくりと傷付いてしまう。俺は半ば反射的に、クリスタの肩を抱き寄せた。


「やめるんだ」


 揺らぐ翡翠の瞳を、思わず引き寄せ、胸に押し付ける。一瞬こわばったクリスタの身体がゆっくり弛緩し、小さな嗚咽と共に俺の胸はゆっくりと濡れていく。これでいいんだ、これより先は、俺たちが頑張るから。


 俺たちの遅延デバフが敵に行き渡ったのを見計らって、エルザが一歩前に踏み出す。ダミアンたちは、さらに弱視のデバフを施すべく、詠唱し始める。


「待て、もうよい。私が投降すれば済むことだ」


 一触即発の緊張を破ったのは、男性としてはやや高めだが、威厳にあふれる声だった。その声を発した青年は、何かもごもご言って制止する護衛の兵士を柔らかく押しのけると、最前面に出てエルザに対峙した。


「その勇壮なお姿は、名高い『妃将軍』とお見受けする。私はドレスデン公国、太子ドミニク。はなはだ不覚ながら我々の負けと認めざるを得ない、私は貴女の虜となろう。その代わり生き残った部下たちには、このままフライベルクへ帰還することを許して欲しい」


 肩まで伸びたシルバーグレイの髪、やや面長の貌に切れ長の眼、しゅっと細い鼻梁、白皙の頬……おそらく俺と同年代だが、高貴という言葉を彫刻にしたかのような美青年だ。その唇に緊張感はあるが、脅えているわけではなく誇りを持って堂々と敵の王妃にその視線を真っすぐ向けている。


「わかったわ、その条件を飲みましょう。部下に武器を捨てさせなさい」


 エルザが宝剣を下ろすと、数十本の長剣が地面に落ちる音が、夜闇に響いた。

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