第68話 突撃
そうだ、俺だってもともと夢を持って魔法学院に入ったんだ。付与魔法使いとして、今までにない魔道具を世に送り出したいっていう夢を。ただ、そのぼんやりした夢と、眼の前にいたエルザの手を取ることを天秤にかけたら、エルザの方が重かったというだけだ。ナターナエル超えの攻撃魔法とか言われてもあまり心は動かないけど、諦めた付与魔法のことを考えると、やっぱり少しは切なくなる。
「ウィル……お兄さん?」
軍人たちに「鎮静の詞」を配り終わったクリスタが、気遣わし気な視線を俺に向けている。いかんいかん、こんなこと考えてたら、彼女に余分な心配をさせてしまう。
「魔法を……もう一度学びたいですか?」
うぐっ、ずばり突っ込まれた。クリスタが見える俺の思考はごくごく表層であったはずだが……きっと俺は、ずいぶんわかりやすい悩み顔をしていたようだ。ここはごまかしても仕方ない、正直になろう。
「うん、そんな気持ちも、少しはあるね。だけど、今はクリスタと一緒に旅をすることが、とても楽しいんだ。もう少し齢を取って冒険者を引退したら、趣味として学んでみようかな」
「……そうですか。うふっ、その時は、私も一緒ですよっ!」
え、俺が引退した後も、くっついてるつもりなのか? クリスタ、教会の仕事は、どうするんだよ?
なんだか怖い微笑を浮かべて、クリスタが離れていった。彼女の真意を確かめる暇もなく、俺も出撃した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
麦畑を這うように進むことほぼ一時間、ようやく五十ちょっとの天幕が俺たちの視界に入ってきた。あちこちに篝火が焚かれ、二人組の歩哨が警戒に当たっている。
「……時間だわ」
エルザのつぶやきに、かすかな風鳴りがかぶさったかと思うと、五十エレほど離れたところにいた歩哨が二人、ほぼ同時に倒れた。隊長のブルーノが右手を大きく振ると、二十数人の部隊が、足音を殺しながらも一斉に宿営地に向かって前進する。
一番近い天幕のそばに来たところで、ダミアンが杖を構えた。トウヒの根を燻して黒く仕上げた、実用本位の闇魔法杖だ。
「この者たちに、安らかな眠りを」
詠唱が完成し、ダミアンがうなずくと、軍人たちが音もなく天幕に侵入し、二十も数えぬうちに無言で出てくる。その刃が血塗られていることを見れば、中で何が行われたのかは明らかだ。隣の天幕では、ヘルゲを術師として、同じことが為されている。
まともに潰していったら、二つめか三つ目くらいまでには騒ぎになってしまうが、これなら無音のまま、気付かれずに中央に向かって浸透できる。まさに、デバフ魔法使いの面目躍如といったところだな。
だが、どうやったって上手の手から水が漏れるもので、天幕を十ばかり片付けたところで、さすがに俺たちの襲撃がバレたようだ。あちこちで異常を告げる切迫した声が聞こえ、天幕から兵が飛び出してくる。
「まずは篝火を消してっ!」
エルザのメゾソプラノが響き、あちこちの篝火が部下たちの手で叩き斬られる。敵が視界を失って狼狽する声が聞こえるが、味方は落ち着いたものだ。何しろ彼らには、俺の「暗視」が掛けてあるからな。
「さあ、あとは一気に押し切るわよっ! ウィル、お願い!」
その声に応えるべく、俺はエルザに「剛力」と「神速」を最高強度で掛ける。
「うわっ、久しぶりだけど最高ね! やるわ!」
そう言うなりエルザが「エッシェンバッハの宝剣」を一颯し、その尖端から紅い光線が円弧を描いたかと思えば、傍らの天幕が一張り、ぐしゃっと潰れる。八人用くらいの大型天幕は、当然長剣一本で断ち切れるようなものではないが……確かに彼女は、宝剣一本でそれを薙ぎ斬ったのだ。下敷きになった兵士たちがもがく間に、軍人たちが次々と上から剣を突き刺し、止めを刺してゆく。
正面は、エルザが俺のバフ込みで無双すれば負けないだろう、問題は左右だ。
左側からは、これだけの騒ぎになっているのに、まったく敵の増援がくる気配がない。どうやら、ヘルムート率いる闇仕事部隊が、その暗殺スキルを十全に発揮しているようだ。危険な奴らだが、さすがにやることはやる。
だが右からは、すでに二十人以上の敵が湧いて出てきている。暗闇が奴らの動きを妨げているけれど、数で押してこられたら、こっちも無傷ではいられない。まずは無力な魔法使いたちを守らないと……そんなことを頭に浮かべた瞬間、クリスタのアルトが響いた。
「さても勇ましきもののふたちよ、正しき道に帰り、エッシェンバッハの月を輔けよ!」
音程は低いが、驚くほどの声量。そしてその声を合言葉にしたかのように、敵集団の後方にいた三人の兵が不意に足を止めて抜剣すると、そのまま味方であるはずのドレスデン兵に斬り掛かった。よく見ればその三人は昼間捕らえてクリスタが怖い法術を施した連中だ。
味方と信じている者に背後を襲われては何でたまろう、混乱しつつ反転しようとすれば、背後からノイエバイエルン兵が刃を振るう。
圧倒的少数であったはずの俺たち奇襲部隊が、確実に有利になりつつあった。
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