第63話 変身
翌日午後からエルザたち本隊と合流する予定だったこともあり、朝は寝坊も自由としておいたら、朝食の時間ダイニングに現れたのは俺と、同室だったクサヴァーだけ。なんだか年寄りの早起きみたいでカッコ悪い。
クリスタも起きていたようだが、焼き立ての黒パンとミルク砂糖たっぷりのコーヒーを一杯かっぱらうと、また部屋にこもってしまった。いつも朝から騒がしい奴なのに、珍しいこともあるもんだ。
昼近くなってダミアンとヘルゲがゆるゆる起きてくる。まだ寝足りなそうな顔をしているところが若さなのか? でも、俺と一つかそこらしか違わないはずだけどな。
「兄貴と違って、俺らはインドア派なんすよ。長旅で疲れたっす」
なるほどな。そろそろ早目の昼飯を食って出かけよう。
「むむっ、お食事の匂いがしますねっ!」
エサに惹かれて、クリスタが誘い出されて来た。テーブルにつくなり食前の祈りもそこそこに、奥さんの並べたポタージュスープの皿をがっついているその姿は、相変わらず小動物的で可愛い。
ふと気づくと、すらりとした黒髪の美人が、クリスタの隣の席に優雅に腰掛けようとしているところだった。うん? 昨晩は、俺たちの貸し切りだったはずだけどな。美人さんはスープに夢中のクリスタに、何だか優しい視線を向けているし。いったい、誰だ?
「お美しいフラウ、失礼ですが貴女はどのような?」
「いや隊長、あたしだけど?」
陰キャのダミアンたちは綺麗な女性が相手になったとたん、貝のように無口になる。仕方なく思い切って問いかけた俺の問いに、気の抜けるような声が返ってきた。それはまごうかたなく、俺の部下であるドロテーアのものだ。
「えっ? あの姉さんなんすか? 信じられないっす……」
そう思わず声に出したダミアンだが、俺も驚いた。
ボサボサで顔の半分を覆い隠していた黒髪は何やら良い香りのする油を塗って丁寧に梳られ、カラスの濡れ羽色とでも言うべき、漆黒の中にえも言われぬ光沢を放つストレートヘアに生まれ変わっている。眼にかかるかかからないかと言うところまでに切りそろえられたお陰で、その切れ長の眼とすっきりとした鼻梁、そしてやや細面の顔があらわになる。血色の悪かった頬には薄い紅、薄い唇には濃い目の紅が差され、はっきり言って、大人の魅力あふれるいい女に見える。
「なによ、そんな意外そうな眼で、見ないでよ……」
ドロテーアも、なぜだか照れて、頬を染める。ふうん、自分の身なりに興味がなさそうに見えた彼女だったけど、こうやって賞賛の視線を浴びるのも、嫌いではないらしい。となると、彼女をこんな風に変身させたのは……
一杯目のスープ皿を空っぽにしたクリスタの方に眼をやれば、なにやら薄い胸を張ってドヤ顔をしている。そうか……あの「お小遣い」で買ったカバンの中には、ドロテーアを綺麗にしてやるための道具がいっぱい詰まっていたというわけか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
早昼を食った俺たちは、マリウス一家に見送られて街を出る。じきに周囲が森に囲まれ、俺たちは街道を外れて森の中へ分け入っていく。
「あのヘアカットや化粧、全部クリスタがやったのか?」
「ええ、もちろんですよっ!」
隊のしんがりを行く俺とクリスタは、さっきの大変身を話題にする。ここで敵に出会う危険はない、なにしろ俺のバフに慣れたクサヴァーの探知距離は、半径四百エレ……徒歩四分くらいに達しているのだから。
「クリスタは、本当に器用なんだな。何でもできる」
「えへっ、お化粧も教会で学ぶのですよ」
ああ、また例の、貴族の妻に望まれる女神官ってパターンでか。それにしても、ルーフェ神官の修行科目は、何だか実用的と言うか……生臭いな。
「ドロテーアも、ああいうの興味ないかと思ってたんだけど、なんか喜んでたな」
「ええ、喜んでもらえるって確信してました。だから十五マルクも頂いたんですっ!」
なるほど、それはきっと……ドロテーアの思考の表層に、そういう願望がにじみ出ていたんだろうな。親しい人の思考は読まないというクリスタだが、近くにいる人間の考えていることの上っ面は、いやでも流れ込んでくるようだから。まあ結果的に、良かった。
「カネ使うんなら、クリスタも化粧くらい、すりゃいいのに」
そうだ、クリスタは日焼け止めの薬液くらいなら使っているみたいだけど、白粉も頬紅も口紅も、あの王室主催の夜会の時以外に、つけたのを見たことがない。
「ふふっ、私は素材がいいから、これでいいのですっ!」
何と言う高飛車な自信だよ、とは思うけど、確かに納得してしまう。クリスタの肌はシミもくすみもなく、なんだかマシュマロみたいに、押すとぷよぷよ弾みそうな張りがある。頬はいかにも少女っぽく血色が差しているし、唇も眉も、化粧の力を借りずとも色濃い。
「まあ、素でも可愛いのは認めるが……」
「……くっ、それは……」
クリスタの言い分に同意しただけなのに、いきなりその頬が紅く染まる。彼女はいつもそうだ、なんだかドヤ顔で攻めて来るくせに、綺麗だとか可愛いとか素直に褒めると、初心に恥じらう。まあそういうとこが、余計可愛いんだけどな。
「兄貴、イチャついてる場合じゃないっす、着きましたよ」
いつの間にか思いっ切り遅れていた俺たちを、ヘルゲが呆れたように呼びに来た。集結場所は、すぐそこだ。
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