第62話 マリウスの宿

 唯一堂々と表を歩ける俺たち魔法部隊は、開業間もないマリウスの経営する宿に泊まることにした。二人部屋が三つあるだけの小さな宿だが、夫婦二人だけでやるには、このくらいの大きさがちょうどいいんだろうな。


「みんな、ここの主人のマリウスだ。俺とクリスタがいたパーティのリーダーだった男だから、めっぽう強いぜ」


「へぇ、それって特級のマリウスパーティ……」


 部下の四人はみんな冒険者だった経歴がある、その中で最高評価である特級パーティーを指揮していた人物という事実だけで、すでに興奮している。


「まあ、今はただの宿屋の親父だ。お客さんたちは気にせずくつろいでくれ。こっちが嫁だ、引退しているが弓の腕はかなりのものさ、今日の晩飯も嫁の獲物だからな」


 奥さんはごっついマリウスとはまったく似合わない、すらりとした大人の女性というイメージだ。どうやら、自分の冒険譚より嫁自慢の方がやりたいらしい。


「あら? 可愛らしい司祭様は、今日はお見えにならないのね?」

「そうだ、クリスタはどうしたんだ? いつもウィルにくっついてるイメージしかなかったけどなあ」


「いや、ちょっと小遣い持って街を遊び歩いているみたいで……」


 しばらくして、クリスタがようやく合流して来た。出かけるときにはなかった、小さなカバンを持って。何だろうと覗き込もうとしたら、翡翠の瞳をくりっと動かして、がばっとカバンを薄い胸に抱え込む。


「男の人には、必要のないものですからっ!」


 きっぱりと叱られた。そうか、女の子にはいろいろ、男に言いづらい買い物があるもんな。これは俺にデリカシーがなかったようだ、反省するとしよう。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「うわぁっ、これは美味しいですねっ!」


 クリスタが鳥モモの特大ローストにかぶりついている。特大ってことはアレだ、鳥のように見えても魔物なんだけどな。獲ってすぐ熟練の腕で血抜きされているらしく、臭みがなく実に美味い。


「そうだろう、今朝、嫁が一矢で仕留めた奴だ」


 マリウスの嫁自慢が止まらない。だが、こいつは相当動きが速い魔物だったはずで……奥さんの腕前が大したもんであることは、間違いない。


「こっちは実に珍しい味付けでござるが、野趣溢れてたいへん結構」

「味わいが濃いわね。食べると魔力が満ちてくる感じがするわ」


 クサヴァーとドロテーアがつついているのは、魔猪の鍋料理だ。何だか茶色く濁ったスープで、野菜なんかと一緒に煮込んであるみたいだ。なんだか発酵臭が強く、俺はちょっと手が出ない。


「むっ、これは美味いっす、クリスタちゃんも食ってみて欲しいっす」


「ではお言葉に甘えまして……ふむぅっ!」


 クリスタも気に入ったみたいだ。でも、どうも見た目と匂いがなあ。

 

「ねっ、ウィルお兄さん! 美味しいからちょっと食べてみましょうっ!」


「いや、俺はちょっと……」


「私が、信じられませんか?」


 こんなとこで無敵の上目遣いをかましてこられたら……俺はしぶしぶ言いなりになるしかない。いいじゃないか、他にも美味いものがあるんだから、これ一品くらい食わなくたって……眉間に皺を寄せながら口に入れた肉はやや硬めだが味が濃く、なんか泥水みたいな色だと思ったスープは、肉と、何かよくわからない複雑なダシの味が絡み合って、意外なほど旨味が濃い。


「お、ウィルもついに食ったか、美味いだろ」


 ドヤ顔でマリウスが解説してくれるところによると、この茶色は、豆を発酵させた調味料に由来するもので、近頃東方からもたらされたものなんだとか。魔猪肉はかなり癖が強いんだが、この調味料特有の香りが、それを柔らかく包んでくれている。


「でな、本当に美味くなるかどうかは、肉の処理次第なんだ。血抜きを手早くやるのはもちろんだが、三日くらい土の中に埋めることで、嫌な匂いがなくなるんだ」


「ほぇ~っ、知りませんでしたっ!」


 マリウスのジビエ講義は続き、エールのジョッキを両手で赤ちゃん飲みしているクリスタが、感心したようにうなずく。みんな楽しそうで……ここに来てよかった、本当は仕事抜きで来たかったけどな。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ありがとうな、ウィル」


 夕食の片づけが終わったテーブルに残ったのは、俺とマリウスだけ。後の連中はさっさと寝るか……クリスタはもちろん、湯を使いに行っている。


「いい宿じゃないか。料理もうまいし、部屋も快適だ」


「ああ、自慢の宿だ。だが……この状況下、いつまで続けられるか、だな。まさか、ドレスデン公国が攻めて来るとは……」


 深いため息をつくマリウス。そりゃあ俺も、その気分はわかる。


「そうだな、意外だった。ここが戦場になる可能性もあるが……逃げる先は確保できてるのか?」


「そのへんは大丈夫だ。俺たちだけなら逃げなくても何とかなるが、娘がいるからな。森の中に狩猟小屋を持っていてな、公国が侵攻してきたら、そこに三人で逃げ込むさ。ひと月やそこらは暮らせる」


 さすが、たくましいな。とりあえず安心した俺が口元を緩めると、マリウスがまた突っ込んでくる。


「お前たち、ただ懐かしくてここを訪ねてきたわけじゃないだろ、あんな手練れを連れてきやがって」


「まあね」


「また、あの派手な王妃様のずうずうしい頼みか?」


 うっ、さすが鋭いじゃないか。エルザ絡みの依頼だってとこまで、察しているとはなあ。そう、ずうずうしい頼みだったけど、受けざるを得なかったんだよ。


「まあ、そういうことなら、任務は言えないんだろう。だが、ここに来たってことは、目的はだいたい想像がつく。この戦を、お前たちが止めてくれることを期待するぜ。頼む、頑張ってくれよ」


 そう、お察しの通りさ。マリウスとその家族の幸せを守るためにも、俺たちにできることをやるつもりだ……クリスタと一緒に。

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