第57話 愛する娘を守れないの?
エルザはクリスタに、誘拐作戦のための尋問をやれと言う。
「それはダメだ。クリスタはルーフェの司祭だ。聖職者に誘拐なんかさせるわけにはいかないよ」
「ルーフェは自由な教えですが、さすがに暗殺誘拐は厳しいですねっ!」
クリスタもぷるぷる頭を振っている。まあ、ばれたら破門とまではいかないだろうけど、結構なお叱りを食らうだろうな。
「まあ、普通ならそうよね。クリスタがダメと言うなら仕方ないのだけれど……ドレスデン軍がフライベルクを足掛かりに次に侵攻してくるのは、どこかしら?」
「あ……ケムニッツっ!」
「マリウスの宿屋があるところか……」
そうだ。嫁さんの熱望にほだされて危険な冒険者をやめ、二人で故郷に帰っていった、リーダーのマリウス……故郷の街は、ケムニッツだった。ひと月前に、ようやくジビエが売りの小さな宿を開業したから招待したいと、手紙が届いたばかりだったが……そこはフライベルクに、一番近い街なのだ。
「あそこには、仲間がいるのでしょう? ケムニッツを戦場にしないで公国軍を撤退させるには、これしかないと思うの。ねえクリスタ、協力してくれない?」
「そう言われると、力をお貸ししたくなるのですが……」
「ダメだ、クリスタ。今回の仕事は、戦地にわざわざ乗り込む行為だ。クリスタのような若い女性がのこのこ出かけたら、どれだけ危ない目に遭うか……」
戦争における女性の立場はひどく弱い。餓えた狼みたいな男が何千人もうろうろして、しかも彼らは、敵方の人間などどう扱ってもいいと唆されているのだから。生々しすぎて口には出せないが、俺は悲惨な事例をいろいろ知っていて……クリスタがそんな目に遭うことを想像したら、気が狂いそうになる。
「うん、それならウィルが守ってあげるしかないわよね」
「俺一人が行ったってどうなるものでも……」
「あら、愛する女の子一人も守れないの? ウィルの素敵なところは、守るものがあると途端に何倍も強くなるところだと思っていたけれど……いつの間にそんな意気地無しになっちゃったのかしら?」
エルザが、意識して俺を挑発してくる。本来はこんな意地の悪い事を言う彼女ではないはずだが、あえてそれを言わなきゃいけないほど追い詰められているのだろう。だけど「愛する女の子」というフレーズに、思わず俺は言い返す言葉を失っていた。
「ウィルお兄さん、私……行きたいです。一緒に行って、守ってくれませんか……」
逆にクリスタは、もうすっかりやる気になっている。そして、いつもの必殺技、潤んだ碧い瞳で、上目遣いを向けて来るんだ。流されやすい俺はこれをやられると、弱い。
「前線には決して出ないって約束できるか?」
「出来ますっ!」
「俺とエルザ以外は信用せず、のこのこついて行かない。約束できるか?」
「はいっ!」
「……仕方ない、行こう。だが俺が無理だと判断したら、引き上げるぞ」
「はいっ、ありがとうございますっ! ウィルお兄さん、大好き!」
飛びついてくるクリスタを、慌てて受け止める。俺の腹に両手を回して、ぎゅうぎゅうとハグしてくる彼女は、相変わらず小動物系だ。可愛いが……エルザならここで柔らかくて大きなものが当たるんだよな、まあクリスタにはまだ無理か。
「むむっ、いま何か邪悪なことを考えましたねっ!」
「いや、まあ、つい……」
「せっかく私が感動していたのに、お兄さんひどいです!」
頬を紅く染めつつ、ぷうっと膨れてみせるクリスタ。それがまた可愛くて、俺も相好を崩してしまう。やっぱり、クリスタはこうじゃないとな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クリスタのくるくる変わる表情を眺めてにやけているうちに、ふとエルザが煽った言葉が胸に蘇った。「愛する女の子一人も守れないの?」って。
もしかして……もしかして俺は、クリスタを愛してしまっているのだろうか。
そりゃ、間違いなくクリスタを可愛いとは思っていることは認める。一緒にいて楽しいし、この子を守りたいとも、思ってる。だけどそれは、愛しい妹に向けるような、あるいはずっと大事に飼っていた仔犬に向けるような、そんな優しい気持ちだった……はずだ。エルザに向けていたような想い……この女とキスがしたいとか、抱きたいとか、独り占めしたいとか、そういう男の劣情に彩られた熱く燃える感情とは、違ったはずなんだ。
ずっと、そう思っていた。だけど、さっきエルザが「愛する女の子……」って言い放った瞬間、俺は激しく動揺してしまったんだ。だってその時俺の脳裏には、迷わずクリスタの弾ける笑顔が浮かんでいたのだから。その「愛する」は、エルザを愛したそれと、ひょっとして同じ意味なのだろうか……自分でも、わからなくなってきた。俺は、クリスタを抱き締めて、キスをして、さらにその先に進みたいと思っているのだろうか。
不意に考え込んでしまった俺を、くりくり動く碧の瞳で不思議そうに見上げてくるクリスタ。いかんいかん、こんなことを真剣に悩んでいたら、気付かれてしまう。心の「表層」は、いつだって彼女にダダ漏れになっているのだから。俺は不器用にクリスタから視線を外し、エルザに言った。
「よし、そう決まったら早速、エルザ自慢の特殊部隊と会わせて欲しい」
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