第56話 エルザの依頼

「エルザ?」


「お久しぶりね、ウィル」


「エルザ……様と言われますと、王妃様で?!」


 ワインの酔いに紅くなっていたはずのアロイスが、青くなっている。


「ああ、紹介するよ。俺の幼馴染にして元カノ、現在は王妃様の、エルザさ」


「あ、う……王妃陛下が、こんなところにおでましになられるとは……」


 アロイスが大慌てでひざまずく。奥方と、娘リアーネもガタガタとあわただしく立ち上がり、スカートをつまんでカーテシーの姿をとる。座りっぱなしで酒を飲んでいるのは、俺だけだ。


「ああ、気を遣わないでね。先触れもしないで突然押し掛けたのは私の方なんだから。勝手に座らせていただくわよ? あら、おいしそうな生ハム……頂いてよろしいかしら?」


「もちろんでございます! このようなむさくるしいところにご来駕いただき、恐悦至極にございます! かねてよりのお引き立てに赤心より感謝いたしまして……」


 アロイスはしどろもどろだ。額には冷や汗が流れている。


「いいのよ。アロイス商会が王宮に入ってから、調達金額は下がるし、品質も上がっているわ。この調子でお願いするわね」


「はっ、ありがたき幸せ!」


「そこでね……申し訳ないのだけど、ウィルとクリスタを借りて、ちょっと内緒話がしたいのよね。いいかしら?」


「はあっ! もちろんでございます! それでは、我々はこれにて……」


 アロイスと執事、奥方に娘のリアーネが、逃げるようにドタバタと食堂を出ていく。あとには俺とクリスタにエルザ……そして極上のワインとつまみが、卓上に残されたのだった。


「エルザ……いくら相手が御用達商人でも、平民の家にアポなしで押しかけたらダメだろ。かわいそうに、今頃無礼がなかっただろうかと青くなってビクビクしていると思うぜ」


「エルザお姉様、私もそう思いますよっ!」


「そうね、ちょっとは反省することにするわ。アロイスには後日の商いで借りを返せるでしょう」


 エルザは手酌でワインをグラスに注ぐと、優雅に飲み始めた。


「それで? 王妃様がこのようなご乱心に及んだ理由を、まだ聞いていないんだが」


「また、ちょっと二人の力を借りたいの。時間がないから、あなた達を王宮に呼んで……なんて余裕がなかったのよ」


 「ちょっと力を借りる」だって? その「ちょっと」で、半年前に死にかけたのを、俺は忘れていないぜ。


「いったい何をやってほしいんだ? こないだは国王暗殺騒ぎだったから、今度はよその王様を誘拐してくれとか言うのか?」


「あら、よくわかったわね?」


「えぇっ?」


 皮肉のつもりで言ったのに、当たりなの? 


「そうよ、お願いは、ドレスデン公国の大公……ではないけど、その長子である公太子を誘拐する作戦に参加してほしいってことなのよ」


「おいおい、さすがに説明してもらわんと、わからんわ……」


 ドレスデン公国は、王国の東北にちょこっとくっついている小国だ。一応独立国だけど、まあほとんど都市国家みたいなもので、経済力と工業力は強いが、軍事力は乏しい。ノイエバイエルン王国が強盛だったころは王国内の自治領みたいな扱いだったが、今は王国の影響力から完全に離れて、近年はザクレブ帝国と深い関係になりつつあるとの話も聞く。


「まだ王都には伝わっていないと思うけど……ドレスデン公国軍が国境を越えて、フライベルクの街を占領したわ。兵力はおよそ五千」


「五千か……公国が用意できる兵力はそんなもんだろうが、それっぽっちでノイエバイエルンの軍に対抗できるはずもないな。裏があるってことかな」


「そういうこと。五千の兵が街の城壁に立てこもったら、攻略には二万の兵が必要だわ。圧倒するには三万くらいはいるかしら。王国がその兵力を動かすことはもちろん可能だけれど……」


「北東のドレスデンに向かって三万も兵を出しちゃったら、とたんに南から帝国が攻めてくるって寸法ですかねっ?」


「クリスタは賢いわね。今回一連の動きはザグレブ帝国の指示によるものよ。帝国に潜入した諜報員から、数万の兵力が国境に向け集結中との情報が上がってる」


「兵を出せば帝国が攻め込んでくる。出さなければ帝国は攻めてこないが、公国がフライベルク周辺の実効支配を進め、ノイエバイエルンの国力は落ちるというわけだな……」


「ドレスデン公国からしたら、乾坤一擲の賭けでしょうね。領土が倍増するか、つぶされるか。だけど帝国からしてみたら……自分の懐を傷めずに王国を弱体化させる、いいチャンスということでしょうね」


「状況は分かったが、それと太子の誘拐が、どうつながるんだ?」


「ドレスデン軍の総指揮官は、今回、公太子たるドミニク殿下よ」


 しれっと爆弾発言をするエルザ。


「おいこら、五千の軍に守られた指揮官を誘拐するってのか??」


「そうよ。というより、それしか方法が見つからないわ。こっちの兵力は五十、この一年で潜入・暗殺・誘拐といった裏任務に特化して鍛えてきた特殊部隊を使うつもり。だけど、これを成功させるには、捕らえた末端兵士から、速やかに情報を引き出すスキルが、絶対必要なの」


「つまり、クリスタの法術を使えってことか?」


「そうよ」


 きっぱりと、エルザが言い放った。

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