第48話 その後4:妖精のドレス

 その時、ただでさえ大きな翡翠色の眼が、三割増しほど大きくなったように見えた。そこにはまず驚きの色が浮かび、そしてその色は娘らしい美しいものへの憧憬に変わっていく。


 そこに運び出されてきたのは、若草色を基調としたドレス。


 エンパイアラインとでも言うのだろうか、胸のすぐ下できゅっと細く絞られ、裾に向けて柔らかに広がってゆく。その生地は、もちろん東方渡来の最高級絹地だ。


 そして裾から腰に向かって、銀糸を中心とした刺繍で咲き誇る草花が表現されているのだ……何人がかりだったのか知らないが、これを二週間で上げた職人たちは実に素晴らしい。肩から胸元は大胆に開いているけれど、胸から背面に、そして裾まで柔らかくドレープをつくる翡翠色のオーバードレスがぴったりと包んでいるので、不思議と色気を感じない。むしろ清冽で無垢な印象を与えるデザインだ。もちろん、肩から胸にかけてのポイントには、銀と翡翠の装飾が惜しげもなく、しかし上品にあしらわれている。


「えっ、あっ、これって……お兄さん、これはっ」


「クリスタに着て欲しいと思って、作ったんだ。受け取ってくれるよな?」


 クリスタは俺の言葉には答えず、柔らかくドレスを撫でさすり、滑らかな絹地の風合いを確かめて、はぁ〜っと深く息をつく。その頬は少し桜色になっているように見えるから、気に入らなかった訳ではないみたいだけど。


「どう、気に入ってくれた?」

「……」


「クリスタ?」

「……」


 返事がないことに一抹の不安を覚え、目を伏せ気味になった彼女の顔を、つい覗き込んでしまう。恐る恐る視線を向けたその先には……十五歳の娘らしい、弾ける笑顔があった。


「ウィルお兄さん! 素敵、素敵です! こんな綺麗なドレス、私に下さるのですか?」


「うん、クリスタのためだけに誂えた、一着だよ」


「……う~ん……お兄さん大好き、大好きです!」


 そう叫ぶなり、俺に飛びついて首のまわりにぎゅうっと腕を回し、熱烈なハグを仕掛けてくるクリスタ。彼女の足が床から離れたのに慌てて、腰を抱いて支えると、まるでクリスタが俺の首にぶら下がっているみたいで……女性従業員から、明るい笑い声があがる。


「お気に召して頂けたようで、よかったですわ。それでは試着を致しましょうね?」


 クリスタに向けたマダムの視線は、まるで自分の妹でも見るかのように、どこまでも優しげだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ああ、とっても綺麗なのに落ち着いたデザインで、素敵でした……」


「サイズも直さずに済んで、良かったな」


「ああっ、そうでした! ウエストがギリギリだったのですっ! これはしばらくエールのお代わりを我慢しないといけないのですっ!」


 クリスタの反応に、思わず笑ってしまう。あくまで「エールを我慢」じゃなく「お代わりを我慢」するだけなんだなと。だが、あの細っこいドレスを、コルセットなしでしゅっと着こなせる彼女は、やっぱり理想的なスレンダー美少女なんだろう。


「でも……やっぱり、ものすごくおカネを使わせてしまったのでは?」


「うん、とんでもない値段だった。だけど大丈夫……俺が払うつもりだったけど、結局王室が勝手にカネを出してくれたから」


 真剣に心配そうな表情をするクリスタに、俺は正直に告げてしまう。先程マダムから支払いが王室からされていることを告げられ、驚く俺に渡されたエルザのメモには「ウィルが払ったことにしなさい。それでクリスタはイチコロよ」と力強い文字で書いてあった。だけど、そんなことでクリスタに秘密を作りたくない。その気になればいつでも俺の心を覗くことができる、彼女なのだから。


「ちなみに……おいくらくらいか聞いても?」


「ドレスだけで、千マルクかな。小物は、別料金」


「ひいいっ!」


 クリスタが青くなる。彼女は千マルクどころか百マルク金貨ですら、見たこともないはずだ。教会にいた頃にはカネに手を触れることもなく、俺と出会って一緒に冒険者稼ぎをするようになってからは、自分の稼ぎを全額まるっと俺に渡して、ほんのわずかな小遣いだけねだるような、そんな暮らしなのだから。


「ああ、そんな大金をお兄さんに払わせてしまったら、大変なことになるところでした……今頃、何で返せばいいのか必死で悩んでいたはずですっ!」


「いいんだ。俺はクリスタのおかげで、毎日が楽しい。灰色に沈んでた俺の心をもう一度引っ張り上げてくれたクリスタには、感謝してるんだ……そういうことさ」


 そう、この言葉には、嘘はない。クリスタは、俺の人生を再び、明るくて彩り豊かなものに変えてくれたんだから。


「う~ん、それでもっ……そうですっ、いっそのこと、この私の身体で払い……」


「ねえよ」


 やけに大胆なクリスタの発言にそう返して、彼女の白い額を、軽く人差し指で弾いてやる。彼女は唇を軽くとがらせて俺をにらむが、すぐに目尻を緩めて優しい視線を向けてくる……ああ、なんか幸せだ。


 その後は約束していたマリウス達と「冒険者の酒場」で飲み会だったのだが……いつもになくべたべた懐くクリスタの様子に気付いた魔法使いのアデリナに根掘り葉掘り聞かれて、結局マダムの店での顛末を全部ぶっちゃけることになってしまった。


 俺が悪酔いさせられたのは、もちろん言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る