第39話 サリエルの邪眼

「それこそ、知れたことよ。平民の娘でありながらその色香で王をたぶらかし、誇り高い歴史を持つこのノイエバイエルン王国を、閨房より牛耳らんとする、目の前にいる女狐……お前だ! いずれは垂簾の政を狙っておるのであろうが、そうはいかぬぞ!」


 騎士隊長は、ここぞとばかり言い募る。その手にする魔剣を見て、俺はようやく気が付いた。帝国の潜入工作員が言っていた「魔剣持ちの隊長」ってのは、こいつだったんだ。王国への忠誠を口にしつつ、帝国と通じているとは。だが、それをここで叫んでも、誰も理解すまい。俺とエルザで、倒すしかない……


 俺の剣にも「電撃」を付与し、エルザのサポートができる位置に回る。この辺の呼吸は、お互い知り尽くしている。あとは、戦うだけだ。


「おっと、そこの若い魔法剣士、動くな。お前の可愛い相棒の方を見ろ」


 騎士隊長の言葉に、俺はクリスタのいた方を見て絶望する。唯一の武器だった木棒を、フリッツを守るために、敵に背を向けて投じてしまったクリスタは、屈強な反乱兵の一人に捕まり、石畳にうつぶせに押さえつけられていた。後ろ手に捩じ上げられた手首には枷がかけられようとしている。


「お前達のような隠し玉を、フリードリヒが持っているとは、計算外だった。こんなに早く魔物使いの仕掛けをしのいで王妃を連れ戻してくるとは、さすがというべきか……しかしもう終わりだ、剣を捨てろ。捨てれば娘の命ばかりは助けてやる、貞操は無事とはいかないがな」


 反乱兵が下卑た笑いを漏らしながら、舌も噛ませまいと手早くクリスタに猿轡を掛ける。くぐもった呻きがあがる。


「さあ、どうなんだ?」


「だまされないで! 剣を捨てたら、ウィルが殺されるだけよ!」


 エルザが叫ぶ。ああ、もちろんわかっているさ。剣を捨てたら俺自身はもう終わりで……エルザとフリッツも絶体絶命になる。そんなことは、先刻承知だ。


 だけど、俺は目の前でクリスタが殺されるところなんか、絶対に見たくない。俺が死んでも、フリッツ……国王が死んでもいい。エルザは……大好きだったエルザは、何とか生き延びて欲しいけど、そのエルザより今はクリスタが……妹のように可愛く、仔犬のように懐いてくるクリスタが、何より大事なんだ。


 俺は、迷わず剣を放り投げた。みっつ数える間もなく、俺は反乱兵のメイスで殴り倒され、石畳に沈んだ。ああ、多分左腕は折れたな。まあ、すぐ死ぬんだから、関係ないか……


「ウィルっ!」


 エルザが悲痛な声を上げる。ああ、まだ俺が死ぬのを悲しく思ってくれるんだな、嬉しいよ。なんとか生き延びてくれよ、エルザ。


 さらに、倒れた俺の胸を反乱兵が思いっ切り蹴る。確実に肋骨がやられただろうけど、まあ、いいや。どうせ殺すならあまりいたぶらずに、さくっと殺してくれないかな。


 さらにもう一度腹部を蹴られた俺の姿を見たクリスタが、猿轡ごしに悲痛な声をあげる。だけどクリスタの上に乗っている反乱兵には、それが煽情的に感じられたらしい。相変わらず下卑た笑いを漏らしながらクリスタの身体を仰向けに起こす。


「へへ、嬢ちゃん。いい声出すじゃねえか。後でもっといい声で啼かせてやるからよ」


 反乱兵は、クリスタの幼くも美しい容貌を正面から楽しもうと、その綺麗なフォルムを描くあごを掴んで上を向かせる。


「ちょっと子供っぽいが、良く見りゃ絶品だぜ……」


 欲望によだれをたらしつつ、反乱兵が発した言葉はそこまでだった。


 クリスタの眼を正視した瞬間、兵士は暫時動きを止め……やがてクリスタを石畳に丁寧に下ろして立ち上がった。そして抜剣した姿のまま、いたぶられている俺の方に向かってくると、俺に足をのせていた兵を、一撃で切り捨てた。


「お前、何を……」


 騎士隊長が、初めて焦りの表情を浮かべる。クリスタから離れた兵は何かに憑かれたような表情で、さらに仲間の反乱兵を一人、二人と襲い、屠ってゆく。


「うん、何だかわからないけど、やるしかないわね!」


 エルザが手近の反乱兵を二人切り捨て、騎士隊長に向け突進する。部下の暴走を呆然と見ていた騎士隊長も我に返り、激しく切り結ぶ。魔剣と宝剣が触れるたび、まばゆい光芒が眼を灼く。


 俺も、こうしてはいられない。落ちていた敵の剣を拾い、よろよろしながらも立ち上がる。胸は痛いが、折れても動けるのが肋骨だ。「迅速」「剛力」「堅守」を重ね掛けし、右腕一本でザコ反乱兵どもに向かってゆく。ボスはエルザに任せて、おれはクリスタの周りを掃除するんだ。


「ウィル! こっちがきつい!」


「じゃあフリッツ、こっちと代われ! クリスタだけ守っていればいいからな!」


「すまん!」


 正直俺もヤバい、痛みは麻痺していても、体力そのものが尽きかけてるんだから。少しでも動けるうちに、その他大勢を何とかしなければ。モードを積極的に切り替えて、短時間での決着を狙っていく。五人、七人……八人までは倒した。あと五人は倒さないと……くそっ、身体が重くなってきた。


 まとまって斬り付けてきた二人の腹部を、「剛力」強化を乗せた最後の力で薙ぎ切ると、俺はもはや立ち続けることが出来ず、思わず膝をついた。一旦膝をついたら、もう二度と立てなかった。離れた位置にいた近衛が駆け付け、残る数名のザコ反乱兵を片づけてくれなかったら、俺はなますのように切り刻まれていただろう。


 そして……クリスタと眼を合わせてからおかしくなった反乱兵は、まわりの仲間を殺しつくすと、騎士隊長に向かっていく。


「来るな!」


 魔剣が一閃し、反乱兵の左腕が斬り飛ばされ鮮血が舞う。しかし、片腕となった反乱兵は、何事もなかったかのように騎士隊長に迫る。


「この、化け物が!」


 騎士隊長はその表情に恐怖を浮かべつつも、再度鋭く剣を振るう。今度は、魔剣が正確に反乱兵の首筋を狙う。頭を斬り飛ばされた兵は、さすがに動かなくなった。


「そうか、あれは……ルーフェの秘術『サリエルの邪眼』。あんな若い娘が」


 フリッツがつぶやく。そうか、クリスタが「ろくでもない精神操作技術」と言っていた業のひとつが、これだったのか。眼を合わせた一瞬で相手を支配下に置くなんて規格外としか言いようもない力。こんな力を使えるからこそ、クリスタはまだ子供ともいえる年齢で、司祭に任ぜられているのだろう。


 だけど、俺にとってはそんな能力のことなんか、どうでもいいんだ。クリスタが……俺を慕ってくれるクリスタが、そこにいてくれたら。クリスタは石畳に転がされているけど、何やらもごもごと動いてる。差し当たって命の危険は、遠ざかっただろう。


 もう一人、もう、俺の……とはもう言えないけど、大切な、大切なエルザ。すでに騎士隊長と数十合も切り結んでいるエルザの剣技は変わらず冴えているけど、時折辛そうな表情をする。それは当然だ、昨日あれだけの魔物と戦った後、一晩中寝ずに馬で駆け、そして王都へ来てこれだけの大立ち回りだ。いくら鍛え抜いていたって、疲れは極限に達しているはずだ。


 エルザが姿勢を低くし、騎士隊長の脚を狙って宝剣を振るう。騎士隊長は軽々と後方に飛びのいてかわす。空振りしたエルザが力尽きたかのように、がくっと膝をつく。ああ、やばい。


「限界か! 王室に巣食う奸婦、覚悟せよ!」


 騎士隊長は、「闇精霊の剣」を大上段に構え、エルザに躍りかかってきた。くそっ、俺も限界だが、あと一発くらいなら、エルザのために魔法を……


 俺のぼんやりした頭で詠唱準備できた魔法は、「遅延」のデバフだけ。もうこれを打つしかない。騎士隊長に五指を向け、最後の力で「遅延」を放つ。


 だがその瞬間、またぐらっと意識が薄れ、奴の胴体を狙った魔法は、足元に外れた。なんてこった、俺ってなんて間抜けなんだ。肝心の時に、大事なエルザを守れないなんて。


 そして、俺の意識は完全に闇に飲み込まれた。

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