第37話 とんぼ帰り
おおよそ十分後。
「はい、もう十分『仕上がって』ます。では、まずは魔剣士のことですね」
魔物使いは少しとろんとした表情だが、意識は覚醒している。
「あなたの上役に、魔剣を持った軍人さんがいましたね……その方は、今どこにいらっしゃいますか……?」
「ああ、あんたはそんなことも知らないのか。隊長は王都へ向かってるさ……なにしろこっちの作戦は、陽動だからな……」
それを聞いたエルザの背筋が、緊張でこわばる。俺も驚かざるを得ない、こんなデカい仕掛けが陽動だなんて。
「隊長さんは、王都で何をしようとしているのですか……」
「そりゃあ、決まってる。王国を支える、フリードリヒ陛下を亡き者にするためさ」
「こっちの作戦は、国王を暗殺するための目くらましということなのですか?」
「もちろんそうさ……何しろフリードリヒ王の傍らには、いつも妃将軍エルザが伝説の宝剣を持って控えているから……さすがに暗殺には分が悪いというわけさ。これだけ王都の商流を引っ掻き回せば、耐えきれなくなってエルザが自ら出てくるだろうとな……」
エルザの顔面が蒼白になっている。俺も意外な展開に、ついていけていない。
「エルザ……フリッツを暗殺って、王宮から出る予定があるのか?」
「明日……明日、閲兵式があるわ。軍のパレードを目抜き通りで視察するの……」
「明日だと??」
「行かないと……行かないと、フリッツが……」
白い首筋に冷や汗を流しながら、震えているエルザ。
「落ち着けエルザ。早馬を飛ばせば危険を知らせることが出来る」
「知らせるだけじゃダメなのよ……敵に魔剣士がいるのなら、騎士隊長か私くらいしか相手が出来ないわ……」
常に凛々しく輝いている紅の瞳が、今は迷子の子供のように、焦点を失って揺れ動いている。昔なら黙って抱き締めてやればよかったのだが、それはもうやっちゃいけないことだ。
「王妃様、落ち着きましょう。大丈夫ですよ、ほら、私の方を見てくださいね……」
俺の代わりにエルザの肩を抱き、額がぶつかりそうな距離まで顔を近づけ、優しいアルトでクリスタが呼びかける。エルザは母に頼り切る子供のような眼で、クリスタを見上げる。
「そうです……そのまま私の眼を見ていてください……そう、貴女はできます……フリードリヒ陛下の盾となれるのは、貴女しかいないのですよ……ほら、力が湧いてきたでしょう?」
翡翠色の視線がエルザを射貫いたまま、そのまま数分が過ぎる。いつしかエルザの冷汗は止まり、その頬が次第に桜色に染まる。
「そうね……私は、できる。私が……フリッツを守る、そして……この国と、民を守る」
もう、クリスタは言葉を発せず、ただエルザを慈母のような優しいまなざしで見つめる。やがて、エルザはすっくと立ち上がる。その背筋はいつものように、凛々しく伸びている。
「行くわ、王都に。一晩通しで走れば、明朝には着けるはず! もちろん、ウィルも一緒に来てくれるわよね?」
さっきの動揺がウソのように、一旦心を決めたらきっぱりと前を向くエルザ。こういう決然とした美しさは、全く昔と変わっていない。
「よしわかった、行こう」
俺が低く同意すると、傍らのクリスタも深くうなずいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
およそ一時間ごとに宿場に用意された官馬を乗り替え、すでに四頭目。俺達三人はひたすら王都への街道を突っ走っている。
すでに周囲は暗闇だが、俺の支援魔法「魔灯」がエルザの前方を青白く照らし、その灯りを頼りに、夜行には無謀な全速力で走り抜ける。クリスタと俺はエルザの軌跡をひたすらトレースしていけば、小枝にも石にもつまづくことがない。やはりエルザは、剣術や体術だけではなく、馬術の腕前も抜群だ。
五頭目の官馬に乗り換えた宿場で、クリスタが俺達にルーフェの法術を施す。
「眠気を払って、疲労を忘れさせる法術ですっ! いかがですかっ?」
「うん、これは素敵ね、身体が一気に軽くなるわ! 癖になりそうで怖いけど……普段は使ってはいけない術だわね」
「王妃様のお考えは健康ですっ! これは、皆さんの心を騙しているだけの術なので、乱用すると、身体がボロボロになりますからねっ!」
さらっと怖いことを言うクリスタ。だが、今はこそ使わなければ……朝から行軍し、あれだけの魔物と戦い、さらにこの強行軍……俺もかなりきつい。
「体力的に一番無理してるのはクリスタのはずだ。大丈夫か?」
「そうですねっ! 用事が片付いたらぐっすり寝て、その後はウィルお兄さんにたっぷり甘やかして頂きますねっ!」
「そうね、目一杯可愛がってもらいなさいな。さあ、行くわよ!」
何か話がおかしな流れになった気がするが、修正する間もあらばこそ、俺達はまた馬上の人となるのだった。
そして……クリスタの法術をさらに二回施され、十一頭目の馬がへとへとに疲れる頃、俺達の眼にようやく、王都の城門が映った。
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