第34話 クリスタの精神操作

「貴方は、どこから来たのですか……?」


「王都さ……と言いたいが、生まれはザクレブ帝国だな。彼の国の命を受けて、王国に潜入して、もう十五年にもなるかな」


 やはりそうか。俺とエルザは素早く視線を交わす。


「貴方は、何をしようとしているのですか……?」


 ゆっくりしたアルトで、クリスタの質問は延々と続く。やせ男はためらうでもなく、同じ部屋にいる俺やエルザを気にするでもなく、淡々と答える。多少話が行ったり来たりしたけれど、要約すると、だいたい次のような話だった。


 男は帝国の意を受け、普段は王国の一市民として暮らし街に溶け込みつつも、帝国のために調査や破壊活動、果ては誘拐や暗殺まで……を行う、潜入工作員。今回も密命を受け、ニュルンベルクから仕立てられるという大商隊に、魔道具を取り付けることを命じられ、活動していたということだ。


「その魔道具を貴方に渡した人は誰でしょうか……?」


「ああ……旅人風のいで立ちの若い男だったが、身のこなしが軍人だった。持っている剣も普通の業物ではなく……あれは魔剣士だと思う。部下に魔物使いがいて……その時はフェンリルを二十匹くらい従えていて、かなりびびったよ」


「その魔道具は、どういう効果があるのですか……?」


「魔物を引き寄せる効果があると聞いた。動力となる魔石が小さくて、ある程度時間がたつと効果がなくなるからと、魔石をセットしたり馬車に仕掛けたりするタイミングを、細かく指定されたな」


 俺の予想通りだ。そうすると途中で襲撃があるのが確実だが……


「どこで商隊を襲うか、貴方は知っていますか……?」


「俺はそんな余計なことは聞かなかったが……この魔道具は仕掛けてから二日しか働かない、だから仕掛ける時間を厳密に守れという事には、しつこく念を押された。だからニュルンベルクから一日以内のところだとは思うがな……」


 これは有力な情報だ。足の遅い商隊が一日以内に移動できる道程で、多くの魔物を隠せる場所となると、それなりに絞れる。


「ありがとうございます……あなたのことがよくわかりました……では……そろそろ……お休みになる時間ですよ……」


「ああ……そうだな……うん、なにか……いい気持ちだ……」


 ほどなく、やせ男は椅子に座ったまま、ことりと寝てしまった。


「さてっ! この人、どうしますか?」


「コトが終わるまで拘束しておくか? どう思うエルザ?」


「……クリスタさん。あなたは、高位聖職者の中でも、とりわけ強い力をお持ちのようね。あなたの力なら、私達に捕まって情報を吐いたことを忘れさせて、放してやることはできない?」


 クリスタがきょとんとした眼で、首をかしげる。


「ああ、さすがに難しいよな……」 と俺がフォローを入れようとすれば、


「え? そんなことですか? 簡単ですよっ!」 と即答するクリスタ。


「さすがね……実は、帝国の密偵にはいつも手を焼かされているのよ。市民の中に完全に溶け込んでいるから、なかなか尻尾をつかませてくれない。せっかく無傷で捕まえたんだから、記憶さえ消してもらえれば、泳がせて監視しておくのが、ベストなのよね」


「わかりました王妃様っ! 任務を果たした後、しこたまお酒飲んで、その辺に寝てしまった……ということに書き換えておきますねっ! お任せをっ!」


 まるで、この食器片づけておきますね的な気楽さで請け合うクリスタ。改めて彼女の能力の規格外さを思い知る。この娘、俺となんか遊んでて、いいのかな……


 クリスタがまたちょっと記憶を「いじった」やせ男の口に蒸留酒を注ぎ込んだ後、裏町の隅っこに捨ててきた俺達は、明日に備えて寝ることにした。一番寝不足のエルザが、真っ先に寝室へ引っ込む。


 ふと見ると、クリスタが何かもじもじと言いたそうにしている。


「何だいクリスタ?」


「えっとですね! あのですね……王妃様とこの二日過ごして、いかがでしたかっ?」


「いかが……って、うん……特に、なんとも?」


「あれ? 辛いとか、憎いとか、やっぱり取り返したくなっちゃったとか……そういうことはなかったですか?」


「……なかったかな。やっぱりエルザは凛々しくて素敵だな、とは思ったけど……もう俺とは違う世界の人になっちゃったからな……」


 そう、エルザを綺麗だ、素敵だと思う気持ちは変わらない……というか、王妃や妃将軍とかいう地位がもたらす経験が、さらにエルザに気高い雰囲気や自信のようなものを与えているみたいで、俺と付き合っていた頃より、さらに凛々しさは増しているような気がする。


 だけど……それを見た俺の心が揺れることは不思議に、無かったかもしれない。


「これも、クリスタの『ルーフェの法術』が効いたのかな……?」


「う~ん、効きすぎちゃったですかね……?」


 なぜかもじもじしているクリスタ。


「効きすぎ?」


「ええ……『ルーフェの法術』でその人を楽にする時には、効き目を最低限に抑えるのが鉄則なのですね。いじりすぎたら、その人の人格が変わっちゃうってことですから。なので、ウィルお兄さんに施す術も、最低限にしようと思ったのですが……」


 クリスタの頬に、不意に血色がのぼり、やがて耳まで紅に染まる。いったいなんだ?


「お兄さんが王妃様と過ごして、また惚れ直しちゃったらどうしようとか、余計なことを考えてしまったらですね、ついつい強く『法術』を使ってしまったかなと……」


 この娘が言っていることは、いくら鈍い俺でも、わかる。エルザが「女同士にしか、わかんないことなの」と言っていたのは、このことか。俺の頬も熱をもってくるのがわかる。それは、俺にとってもイヤなことじゃない、そこは伝えないと……


「『法術』で楽にしてくれと頼んだのは俺だし、気にしなくていいよ。それに……エルザは今も素敵だ、素敵なんだけど……そうやって俺を心配してくれるクリスタの方が可愛いと思ってしまうのが、今の自分だから」


 我ながら、こっ恥ずかしい。なだめているんだか口説いてるんだかわからないな……あれ? クリスタの反応がない……


「おい、クリスタ?」


「…………はいっ! クリスタ、頑張りますっ!」


 さっきまで不安そうな色をたたえていた翡翠の瞳が、急にいきいきと輝いている。眼をくりくりと動かし、快活な弾むアルトは、いつものクリスタだ。うん、やっぱりこうじゃないとな。とりあえず対応は、間違えなかったようだ……女の子は難しいよな。

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