第33話 捕らえた間者

 エルザの紅い瞳が好奇心でキラキラ輝いて、俺を見つめている。


「口説いちゃいないよ。クリスタの持ってる強烈な『ルーフェの法術』に、俺が何も抵抗とか嫌悪とかを示さなかったのが、気に入られたのかも知れないけどなあ」


「本当に、心……記憶も、あの娘に全部見せちゃったの?」


「ああ、全部見せた。最初はそんなことができるなんて信じられなかったけど、俺たち二人が大人の階段を登ったのは月明かりの下で……とかいうところまでずばっと言い当てられると、クリスタの能力は本物だと信じざるを得ないね」


「あら、あの娘も聖職者なのに、そういうところに一番関心あるのね、ふふっ」


 口元を緩めるエルザ。ちくしょう、相変わらずこの微笑には惹き付けられてしまう。


「そうかぁ~。じゃあもう、私がウィルにしたひどい仕打ちなんか、全部わかっちゃってるわけよね。あの娘、一生懸命隠しているけど……私へは明らかに敵意を向けているわ」


「そうか? 凛々しいエルザの姿に、憧れているようにしか見えなかったけど」


「そこは、女同士にしか、わかんないことなのよ」


「ふうん……ん?」


 視点を絞らず広場全体をざくっと監視していた俺の眼に、一人の影が映った。


「エルザ! 見えるか、右から三両目!」


 声を押し殺しながらエルザに告げる。エルザもすぐに気が付く。


「うん! 私が捕まえるわ! ウィル、『軽量化』をお願い!」


 答えを待たずエルザが窓を開け放ち、敷居を蹴って広場に向かって跳び出した。


「くっ……彼の者を、重力の軛より解き放て!」


 俺はあわてて短い詠唱でエルザに軽量化の魔法を施す。


 エルザはふわりと着地すると、そのまま膝を大きく曲げ、次の瞬間怪しい影に向かいジャンプした。軽量化の恩恵で四十エレ……およそ十馬身位くらいかな……ほど一気に跳び、異常に気付いた影が振り向いたときには、もうすでに剣の柄がそいつの首筋をしたたかに打った後だった。魔法の支援があるとはいえ、相変わらず凄い体術だ。


 遅れて俺も駆け寄る。怪しい影は特徴のない容貌の、やせた三十絡みの男だ。


「相変わらず敏捷性なら誰にも負けないな、エルザ」


「そうね。ウィルの支援魔法も、相変わらず……というより、力が増してるんじゃない?」


「そうかな……エルザと別れてからは、魔法の勉強はしてないけど」


 そう、エルザを守るっていう目標がなくなったから、新しい魔法を習得しようという意欲がなくなったんだ。もし力が増しているとすれば……ソロで戦っているうちに自然に鍛えられたのかな。


「そうね……ウィルは、守るべきものがあると、努力する人なのよね」


 エルザが俺を見る眼が優しさにあふれている。何でそんな眼で俺を見るんだ。切なさが戻ってくるじゃないか。


「そんなことより、こいつを」


 やせ男は気絶しているだけのようだ。手には予想通りあの魔道具が。俺はそれを、男の狙い通り馬車の車軸に取り付ける。


「やっぱり、それ、付けちゃうんだ」


「たぶんこの男は下っ端だからな。本丸をやるには、この魔道具でおびき寄せないとなあ」


「そうね。そうなると、もう一度ウィルに私の戦いを見てもらえそうね。じゃあ、この男は……可愛らしい司祭様にお任せしましょう!」


 そう言ってニヤリと笑ったエルザの紅い瞳が、暗闇の中で光る。ちょっと怖いけど、やっぱり綺麗だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 捕らえた男を地下室に引っ張り込んで、次の段階だ。これからはクリスタが主役になる。


「やはり、やらないといけないですよね……」


 翡翠の瞳にいつもになく沈んだ色をたたえて、つぶやくクリスタ。


「そう……敵の指揮系統や戦力、できれば背景を知りたいわ。そしてそれは司祭様……クリスタさんでなければできないわね」


 エルザが冷静に促す。ためらうクリスタの心理にはまったく忖度していない。俺はフォローする必要を感じる。


「やりたくないだろうけど、頼むよクリスタ。敵がどの程度魔物や工作員を抱えているかわからないと、作戦の立てようがないからね」


 何かの感情に揺れていたクリスタの視線が定まる。


「そうですよね……がんばります」


 その声にいつもの弾むトーンは窺えないが、決心がついたみたいだ。


「では、私達は部屋を出た方がいいわね?」


「いえ。私が何をするか、お二人に……特にウィルお兄さんに、見て欲しいです。嫌われちゃうかもしれませんけど……」


 一瞬切なそうな表情をするが、すぐ平静に戻るクリスタ。これは、見守ってやらなきゃいけない気になるよな。


「じゃあ、ここで見ているよ。大丈夫、そんなことで嫌いになったりは、しない」


「……はいっ。では、この人を起こしてもらえますか?」


「わかった。この者の意識を呼び戻せ……覚醒」


 俺が短く詠唱すると、やせ男の眼がうっすらと開かれた。何が起こったのか分からないようで首を振っている。クリスタが優し気なアルトで呼びかける。


「目覚められましたね……そのまま、私の方を見てください」


「お、綺麗なお嬢ちゃん、俺はどうしたんだっけ?」


「何も心配することはありません……貴方は守られています……大丈夫、そのまま私の眼を見てください……そう、いいですね……今、どんな感じですか?」


「うん? 何か、身体が温まってきた感じだな」


「それは、私と貴方の心が、つながってきたということ……私は貴方……貴方は私……」


 クリスタのアルトが、だんだん小さくなっていく。


「ああ……俺はあんた……あんたは俺……」


 しばらく、ぶつぶつとつぶやくような、あるいはささやくような声で、あまり意味のないまったりしたやり取りが続く。そして……


「私は貴方のことを、もっと知りたいのです……」


「ああ……俺もあんたに、俺のことを知ってもらいたいよ」

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