第31話 魔物寄せの魔道具

 俺はクリスタの言うとおりにした。クリスタの瞳が優しく、慈愛をたたえたものになる。俺はだんだんその瞳に吸い寄せられていく。何かが胸のあたりから静かに引きずり出されているような気がするが、抗わない。クリスタが俺のためにならないことをするわけも、ないからな。ああ、なんか、とてもいい気持ちだ。ほんとに、心に触るマッサージみたいだ……


「ウィル……お兄さんっ?」


 俺は我に返る。あれ? 俺、もしかして寝てたか?


「ん? どのくらい時間がたったんだ?」


「えっと、だいたい一時間ですねっ!」


 え~っ。俺、そんな長時間、いったい何やってたんだ……?


「俺、寝てたのか?」


「いえ、起きてましたよ? でも、ず~っと幸せそうに、見つめてくれていましたよっ! この私をっ! むふっ!」


 一時間も……か? 俺の中ではほんの二~三分くらいだった気がするんだがなあ。


「それで、気分はどうですか、お兄さんっ!」


「ん? 悪くはないけど……」


「ちょっと、王妃様のことを想ってみて下さいっ!」


 クリスタに言われたとおり、エルザの姿を思い描く。記憶の中で、紅い瞳のエルザは、いつも凛々しく美しい。だけどエルザを思い出すたび、いつも胸にちくちくと鋭い痛みが……あれ? 痛みがない。そりゃちょっとは切ないけど、いつもの苦しさがそこにはなく、エルザとの素敵な思い出だけが鮮やかに残っている感じだ。


「どうですかっ?」


「これは……すごいな。エルザとの思い出は綺麗で全然色あせていないのに、苦しさや胸のモヤモヤだけがなくなってる。ルーフェの法術って、こんなに都合の良いものだったのか?」


「これは特別サービスで、普通の神官には難しいかなり高度な技なのですよ! 記憶はそのまま残して、そのなかの負の感情だけ、少しづつ丁寧に間引きするんですよね! マイナスの想いを全部どけるとおかしなことになっちゃうので、ある程度残すのが、またコツなのですよっ!」


 自慢気にグッと薄い胸を張るクリスタだ。


「普通の場合なら、どうするんだ?」


「悲しいことも楽しかったことも全部そっくり忘れさせるのは簡単なので、普通はそうしちゃいますね! でも、王妃様との思い出を消しちゃったら、ウィルお兄さんがウィルお兄さんでなくなっちゃいますからねっ!」


 うわっ、危ない危ない。エルザとの記憶を全部消されたら、人生の半分がなくなってしまう。


「うん、いずれにしろ、すごく楽になった。ありがとう。これで前向きに働けるかもしれないよ」


「やっぱりウィルお兄さんは面白い人ですね。心をいじくられてありがとうなんて言ってくれる人は、いないですよ……」


 そうかなあ。まあ俺は、目の前の現実を受け入れて、だらだら流されるタイプだからなあ。


「さて、気分が良くなったところで、調べないといけないことがあるな」


◇◇◇◇◇◇◇◇


「ウィルお兄さん、さっきから馬車をがさごそ、何をしてるんですかっ?」


「う~ん、必ず何かあるはずと思ったんだがな……」


 俺は、王都までアロイス一家を運んできた馬車を調べている最中だ。クリスタは不思議そうに首をかしげて、それを見ている。


「何か、というと?」


「ゴブリンにしろフェンリルにしろ、魔物の目的は俺達というより、この馬車そのものを目指してきたように思えるんだよね。そうなると魔物を引き寄せる何かが、馬車のどっかにくっついてるんじゃないかなと……」


「たとえば、どんな形のもの?」


「たぶん、このくらいの厚みの、円盤みたいな?」


「む~ん、円盤……例えば、これとか?」


 クリスタが爪でひっかいたのは俺の目前わずか一エレの、馬車の車輪を貫いている、車軸の先端だ。車軸の先端に一筋の境目みたいな線が一周入っていて、そこにクリスタが爪を引っ掛け、ちょっと力を入れると簡単に外れて、探していた円盤になった。俺はすっかり見落としていた。


「お兄さんはこういうお仕事には、まったく向いてなさそうですねっ!」


 自慢気なクリスタ。まあ、ここは実績をあげた方の勝ちだ。ぐうの音も出ない。


「面目ない……」


「そんなことより、これがウィルお兄さんの探しているものかどうかですよっ!」


 そうだ、確かめないと。おれはいつも携帯している小刀で慎重に円盤の、いや円盤に見えるが円柱状の容器になっているのだろうそれの、蓋にあたるだろう部分をこじ開ける。目論見通り蓋が開き、中から小さい機械が現れる。


「お兄さん……これは?」


「魔道具だな。俺は専門家じゃないから細かい仕組みはわからないが、これが魔物を引き寄せていたのは、ほぼ確実だと思うよ」


「ふ~むっ? でも、この機械がそういうものなら、魔物が王都までついてきちゃったりしないんですかね?」


「う~ん、都市まで魔物が来ると騒ぎになるから、途中で効果が切れるように仕掛けをしてあるんじゃないのかな。多分、魔道具の動力になる魔石を……ああ、これだな。道中で魔力が切れるように、こんな小さいのを使ってるんじゃないかな」


「ということはっ?」


「敵は王都に向かう商隊の馬車に、この魔道具を仕掛ける。そして街道沿いまで魔物を連れてきて、放す。魔物は魔道具に引かれて馬車を襲う……ってことだろうな。他の商隊もみな王都へ向かう途中だったようだし、王都への商流を乱すのが目的なんだろう」


「そうなると、どうなるのですか?」


「王都は生産より消費が圧倒的に多い都市だ。商業が滞ればあっという間にモノ不足になって価格が高騰する。そうなったら庶民の不満が爆発しかねない」


「なるほどっ! 王国を乱そうとする勢力としては思うつぼですねっ!」


「フリッツが帝国を疑うのは、まあ当然だな」


「問題はこれを、どう防ぐかですねっ!」


 物騒な話をしているのだが、クリスタは翡翠の瞳をくりくりさせて、この状況を楽しんでいるらしい。まったく、聖職者らしくない娘だよな。

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