第30話 乗り気のクリスタ
「おいエルザ、君は王妃だ。しかも妃将軍と呼ばれる身だろう。そんな調査に付き合ってなんかいられないはずだ」
「あら? 王族としての公務なんて、フリッツ一人で十分。『王妃は体調不良』でいいのよ。それに軍隊のほうはね、平時には私の仕事なんかないのよね。大規模演習とか、いざ戦争とかいう非常時の旗印なのよ、私は」
「しかし、そういう重要な立場の君を危険にさらすのは……」
「あら? 二年前まではそういう危険を共有していたじゃないの、私達。私の腕は落ちていないはずだし、あの頃と何が違うの? フリッツがついてきてくれればもっと安心なんだけど、さすがに国王がいないわけには、いかないわよね~」
一緒にいた頃と変わらない、強引な論理で自分の意志を貫き通すエルザ。俺はこういう姿に毎度げんなりしつつも、惹かれていて……結局全部受け入れて来たんだよな。だけど、今回はダメだ。フリッツのいないところでエルザと一緒なんて、俺がとても平静でいられそうもない。
「いや悪いが、今回は……」
「やりましょう、ウィルお兄さん! 私やりたいですっ! 王妃様も一緒に!」
それまで静かに俺達のやり取りを聞いていたはずのクリスタが、唐突にグイっと押してきた。
「しかし……」
「私、頑張りますよ? ダメですか? 私じゃ、頼りになりませんか?」
翡翠の瞳で、少し潤んだ上目遣いをされると、俺は弱い。ああ、なんなんだこの可愛い生き物は。
「ダメじゃ、ないけど……」
「じゃ、決まりですねっ! 頑張りましょう、ねぇ王妃様!」
一方的にクリスタに押し切られる俺を、エルザとフリッツが生暖かい目で見ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ……」
アロイス邸のダイニングで甘口のワインを飲みながら、俺は深いため息をついていた。結局あの変な依頼を、引き受ける羽目になってしまった。それもあの、かつて激しく愛し合ったエルザと組んで。
離れて過ごしていればいつか、忘れることは無理でも切なさは薄れるかと思っていたのだが、たった二年ばかりではとても俺の傷は癒えていない。そこに来て、仕事とはいえこれから共に過ごす日々を考えると……傷口に塩を塗り込まれるとはこのことだ。
王宮御用達に有頂天ではしゃいでいたアロイスも、俺が海よりも深く落ち込んでいるのを一目で見て取り、上等のワインをさっと目の前に置くとコソコソ出て行って、多分ドアの向こうで様子をうかがっている。
そんな訳でダイニングには、俺のはす向かいに座を占めて、先日とは違ってちまちまと舐めるようにワインをたしなむクリスタがいるだけだ。そのクリスタも、さっきからずっと俺の方をチラチラと窺っている。
「あの……やっぱり、ダメでしたか?」
翡翠色の眼に切なげな風情をたたえて、クリスタが俺を見つめる。俺はとっさに取り繕おうといろいろ言い訳を頭に浮かべるが、クリスタにはそれが通用しないことに思い至って、ここは正直になることにする。
「いや、ダメじゃない、ダメじゃないし……あの仕事はこの国のために必要なことで、それを俺達に頼まなきゃならなくなったフリッツの事情もわかるんだ。だけど、エルザと一緒にまた何日も旅をすることに、俺の精神が耐えられそうもないんだ。俺は弱い、ものすごく弱い男なんだよ」
クリスタの瞳がふっと緩み、柔らかく暖かい、幼子を見守る母親のような優しい色に変わる。まあ、俺のナイーヴになっている心が、そう感じさせているだけかも知れないけど。
「そんなことはないのですよ。ご自分の弱いところを、弱いと正直に認めることが出来る人は、本当は強い人なのです。ウィルお兄さんは、とても強い人だと思います。少し、優しすぎるかもしれませんけどね……」
今日のアルトは、まったく弾んでいない。ゆっくりと、心の底に語り掛けるような、穏やかな低音だ。俺の胸によどんでいた澱のようなものがゆっくりと溶けて……気持ちが軽くなっていくような気がする。これはもしや?
「なあクリスタ。今『ルーフェの法術』使ってるのか?」
「えっ? えっ?」
俺の言葉に慌て、ぶんぶんと頭を振るクリスタ。
「そんなっ! お兄さんの心を、勝手にいじくるとか、出来ませんっ!」
「そうか……クリスタと話していたら、何か気持ちが軽くなったような感じがしたからさ」
「断じて、やってませんっ! がっ……もしウィルお兄さんが望むなら、もっと心を軽くして差し上げることは、できますけどっ!」
なるほど。それは、ありかもしれないな。
「じゃあ……お願いしていいか?」
「えっ? いいのですか? マッサージでも頼むみたいな気楽な調子で言われても……私は心に触るのですよっ?」
「そうだなあ。どっちみちこの依頼は、引き受けなきゃいけないことだ。取り掛かる前にこんなに取り乱してちゃ、ダメだよな。エルザや、何よりクリスタを危険にさらしてしまう。こんなに俺を心配してくれる……大事なクリスタを、ね」
クリスタが、かあっと一気に頬を染める。それはワインのせいではなさそうだ。
「お兄さんは、私の喜びそうなことばっかり言いますね、ズルいですっ!」
「心配してくれてるのは本当だろ。この依頼を無理に引き受けさせたのだって、俺のエルザへの気持ちに、何か決着をつけさせたいとか、思ってるんだろ?」
翡翠の瞳がいったん下を向き……やがて、上目遣いで俺を見つめる。
「やっぱり、ばれちゃいましたか……」
「ああ、だから俺も頑張るよ。そのためにも、気持ちをすっきり、させてくれるんだろ?」
「う~ん、『ルーフェの法術』を、そんなにあっさりと受け入れてくれる人って、とっても珍しいんですけどね……じゃ、やりますよ。私の眼を見てください、ね?」
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