第26話 王宮からの使者
クリスタを楽しませるために来たのに、何だか結局俺が楽しんでしまった。いかんなあ、次は気を付けよう。次は……河畔に行こうか。
「この河畔に公園があってね、そこのベンチに座って、屋台で買ったポメスをかじりながら、ぼ~っと河を眺めるんだ。なんか、余分な力が抜けて楽になるっていうか、そんな場所なんだよ。だけど、他に何にもないぞ?」
「いいんですっ! おおっ、ここですねっ!」
クリスタはだっと走り出すと公園内にいくつもあるベンチのうち、俺のお気に入りだったやつを的確に探し出し、占領した。
「う~んっ、この眺め、いいですねっ!」
「気に入ってくれて何よりだけど、本当に、眺めだけだぜ? はいよ、これ」
俺はすぐそこの屋台で買った大盛りのポメスを間において、二人並んで座る。
「ありがとうございますっ! はふっ! 熱いっ、おいしいっ!」
「じゃがいもは教会で食い飽きてるって言ってたんじゃなかったか?」
「どこで、誰と食べるかが重要なんですっ!」
何やら、深いことを言うクリスタ。確かにそうかも知れないな。
河は、俺が学院にいた頃とまったく変わらず碧色の水をたたえて、静かに北へ向かって流れる。運搬船が頻繁に通り、たまに漁船もゆっくりと河を遡ってゆくのを、クリスタは飽かず眺めているんだ。
「はいよ、コーヒー」
頃合いを見ておれは屋台で、たっぷりのミルクで割ったコーヒーを買ってくる。クリスタのやつには砂糖を三杯、俺のは砂糖なしだ。
「わっ、丁度のどが渇いていたところでっ!」
「ポメスばっか食ってればのども乾くよな。ちょっと甘すぎたか?」
「いえっ、このくらいがいいんですっ!」
まあそうだろうな、まだお子様だもんな。
「むっ? 今、何か失礼なことを考えましたねっ?」
「いや、まあ……ごめん、お子様だなとか思ってしまった」
よく考えれば取り繕っても仕方ない、表層の思考はクリスタにダダ漏れなんだった。
「む~ん。でも、すっごくいいタイミングで飲み物を持ってきてくれたから、許してあげますっ!」
「ありがとう。それにしても、こんなとこで良かったのか? 昼飯だって、河畔のこじゃれたテラスレストランとかもあるんだけどな?」
「いえっ、ここがいいんですっ! 本当に気持ちが楽になるところですねっ!」
「喜んでくれて嬉しいんだが……」
結局俺達はその公園で三時間もまったりして……他の場所を見る時間がなくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は奥方に厳命された門限があったので、陽の沈む前にアロイスの館に戻る。至って健全なもんだ。
「ただいまですっ! 夕食を楽しみに、戻ってまいりましたっ!」
たいへん欲望に忠実なクリスタの帰宅あいさつだ。が、何か家人の反応がおかしい。
「何か、あったのですか?」
俺は、なぜだか戸惑っているらしい奥方に問いかけた。
「あちらに……王宮からの使者様がおいでになっています。ウィル様にお会いしたいと」
「王宮??」
ああ、なんかロクな予感がしねえわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「俺がウィルだけど、今さら王宮が何の用だい?」
別室で丁重な扱いを受けていた使者に、俺は多少意識的にぞんざいな口調で声を掛ける。相手をしていたアロイスさんの顔色が一気に青くなる。そりゃそうだよな、アロイスさんはいくら金持ちでも、平民だもんな。王宮からの使者が来るってのはあり得ないし、お貴族様である使者に対して、平民のくせにこんなにラフに話す俺は、もっとありえないだろう。
「おお、ウィルフリード殿。貴殿が王都に見えられたとの情報を得ましてな、一度王宮にお出向きいただきたくお願いする次第です」
使者はさすがにこなれたもので、内心怒っているかどうかは知らないが俺に対して礼を失わず、丁重に対応している。
「俺はもうフリードリヒ王やエリザーベト王妃とは何の関係もない、ただの平民さ。国の御用を務める気はさらさら無い。帰ってもらえないか」
「簡単には帰れませんな。王宮に来られるという約束を取り付けぬ限り戻るなとの、国王陛下おん自らの御諚でござれば」
おいフリッツ、まだ俺に何か言いたいことがあるのか。
お前にエルザを寝取られても言いたいことをぐっと飲みこんで譲り、果てはお前が至高の座につくために、あれだけ力を貸した俺に。
「そうかい、だが俺にはもうフリッツ……フリードリヒ陛下と話すことはない、王宮に出向くことも、決してないよ」
冷静に答えようという必死の努力で声が震えるのは抑えたけど、首筋や背中に冷たい汗が流れ落ちていくのを感じる。ちくしょう、もう終わったことなのに、何でこんなに心が揺れるんだ。
だけどその時、いつの間にかクリスタが俺の後ろに立って、俺の背中に静かに掌を置いた。すると不思議に心が落ち着き、動揺が収まってゆく。そうだ、落ち着いて考えてみれば、俺が大人の対応をしないと、アロイスさんが困るんだよな。
「すぐには決められない。落ち着いたら返事をする」
「なるほど、承知いたしました。何時になろうとお待ちいたしますよ」
俺の怒りや混乱などお見通しの上で、余裕綽々といった風情の使者。できることなら、殺してやりたい。
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