第22話 クリスタの即興詩

「詩人様、失礼いたします。私にその竪琴を少々の間、お貸し頂けませんか?」


 クリスタのアルトが、いつものように弾んでいない。そして何やらひしひしと、静かな圧力が感じられる。


「おお、可愛らしい神官見習い殿、ずいぶんお若いようだが本当に弾けるのかな? ちょっとなら良いが、楽器を壊さぬようにな、なにしろ儂の商売道具じゃから」


「ええ……もちろん決して、粗末には扱いませんわ」


 さらに沈んだトーンのアルトで応えつつ、さすがお貴族様と感心する優雅な所作で竪琴を受け取るクリスタ。そして手近の椅子にふわりと腰かけると、膝の上に置いた竪琴をひと撫でし、ゆっくりとして澄んだ旋律を奏で始めた。


 視線を床に落としつつ、細く長い指でやわらかなメロディを紡ぎ出すクリスタの表情は、いつものにこやかで活気あふれるそれと違って、陶器人形のように白く冷たく、それでいて息を飲むような美しさがある。


 やがてクリスタのアルトが、酒場に響き始める。必死で声を張り上げているわけではないのに、すばらしい声量だ。揺らぎもなく安定した、それでいて語尾には余韻を残す、不思議な調子。その声に惹かれて広い店内の客が、一斉にクリスタに注目する。


 そしてクリスタは、ごくごく短い……吟遊詩人が唄ったものからすると五分の一くらいの、もうひとつの叙事詩を朗々と唄い始める。


『かつて深き山里に、青き瞳の若者と、紅き瞳の娘ありけり

 幼き頃より筒井筒の契りを交せし二人なり

 やがて女神の導きありて、娘は道を求めてはるかな旅に出んとす

 娘は若者に望む、我とともに歩かんと

 若者はその青き瞳を輝かし、娘の手を取りき

 あるときは娘を守る盾となり、あるときは娘の振るう剣となる

 深き魔窟を究め、いにしえの遺跡を巡り、幾多の妖魔を調伏す

 やがて二人はねんごろとなり、益々その絆は強く

 明け暮れ同じ道を進むこと、それが若き二人の望みなりき

 天に在りては比翼の鳥、地に在りては連理の枝と成らんと』


 クリスタがほうっと息を継ぎ、長目の間奏を紡ぎ出していく。


 気が付けば客のほぼすべてが、クリスタのアルトに聞きほれていた。男どもは眼を見開いてこぶしを握り締め、女たちは眼をうっとりと細め、竪琴が紡ぎ出す叙事詩の続きをいまかいまかと待っている。


『然れども、神に選ばれし乙女に天命下りき

 強き王と結ばれ、その者の剣となりて罪なき民草を戦乱より救い守れと

 折しも王国には風雲迫り、まさに帝国と干戈交えんとす

 まつりごとは乱れ、世は英雄王を欲す

 乙女は愛する者を想い心引き裂かれんとすれど、民の危うきを黙しがたし

 さては、乙女と若きフリードリヒは契りにけり

 若者の哀しみはいかばかりなれど

 耐えて陰に陽にフリードリヒを輔け、幾多の苦難を越えその者を王とせり

 これも、すべからく国民(くにたみ)のためならんと』


 酔客たちの表情がみな、哀しみに揺れている。なにか「若者」と「乙女」の悩みと決断を、酒場にいる者すべてが共有しているかのようだ。


『かくして乙女は、フリードリヒの妃となりき

 乙女は今日も剣を執る、ノイエバイエルンの民を守るため

 その心は未だ若者の上を離れざるも

 国と民の剣となり戦うさだめは如何ともし難し

 若者は乙女への想いを秘して、新たな旅に向かわんとす

 二人の想いは未だ失われず……強く、激しく

 今生では結ばれること能わずとも、願わくば黄泉にて再び逢わんと

 若者は決して乙女との過去を語らず……嘲られようとも、蔑まれようとも

 すべては、今も愛する乙女のため、そして無辜の民のため

 その若者の名はウィル、そして愛する乙女の名は……エルザと』


 クリスタが唄い終えた時、あれほど喧騒に満ちていたはずの酒場が、完全に静謐な空間となっていた。そして、男も女も、老いも若きも、皆涙を流している。さっきまであれがクズ男だと俺を指さしていた男も、涙をあふれさせている、いったいなぜだ?


 確かに、さっきの吟遊詩人のくっさい低俗な叙事詩に比べれば、クリスタの即興詩は実に上手い返しだと感心する。俺とエルザ、そしてフリッツの関係を正しつつも、国王夫妻たるエルザとフリッツの名誉を決して傷付けないように、上手に気を遣った展開となっている。これをものの数分でちゃちゃっと考えて、竪琴の旋律に乗せて美しく唄うなんてことは、なかなかできるもんじゃない。


 だけど、名文家でもない俺から見ても、あの詩は、文学的に観たら大したものでもないように思うんだけどなあ。美しい竪琴の旋律と澄んだアルトの歌声、そして唄い手たるクリスタの透明感あふれる美貌。そういったプラス要素を全部足したって、エンターテインメントとしては楽しめるけど、泣いて喜ぶのは大げさじゃないかと思うけどな。


 だけど、人々は実際に、泣いて感動しているんだ。


 そうか、これがルーフェの法術なんだ。クリスタの話によれば、ルーフェの「心を操る業」は、眼と声でなされるのだという。こないだ俺の心を覗いたときは眼だったけど、今日のやつは、クリスタのアルトによるものだったってことか。


 そして暫時の静謐が終わると、店内は一斉に喝采に満ちた。クリスタに向け、詩に唄われたエルザに向け、そして……俺に向け。

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