第20話 冒険者の酒場

 ものの十分も歩けば、目的の「冒険者の酒場」に着く。


 石造りの重厚で狭い入口から建物に入ると、そこは魔石の力で輝く魔法ランプではなく、油を燃やす本物のランプから放射される、控えめだが温かみを感じさせる明かりが揺らぎ、がやがやと大勢の会話がさざ波のように打ち寄せる、雑然とした空間になっている。


 もともとは特に冒険者に限定して商売をしていた店ではなかったらしい。だがギルドにほど近く、その穴倉のような雰囲気を好む怪しい冒険者達が日々集まるうちに、一般客が立ち入りがたい場所になり、いつしか「冒険者の酒場」と呼ばれるようになってしまった、というのが店の由来であるそうだ。


「ふわあっ! これが『冒険者の酒場』なのですね! 想像通りですっ!」


 俺には盛り上がる理由がよくわからないけど、やたらと入れ込んでいるクリスタ。


「俺の記憶を探って、どういうもんだか知ってるだろうに……」


「知っているのと、実際に見るのは、違うのですよっ! むしろ、ウィルお兄さんの記憶を見たから、ここに来たかったんですっ!」


 ふうん、そんなものなのか。ずいぶん物好きなことだな。


 酒場の入口は狭いが、店内には極太の丸太を縦に分厚く木挽きして磨き上げただけの無骨なテーブルが二十ばかりもあり、かなり広い。まだ夜に入ったばかりだというのに、テーブルはすでに半分程埋まり、今日の依頼をこなし終えた冒険者たちのだみ声や笑い声が、賑やかに響く。


 俺達は壁際のあまり目立たない席に陣取る。王都ギルドには知り合いも多いから、あまり絡まれたくないしな。まずはエールを二人ぶん、つまみはポメス……いわゆるフライドポテトだな……とヴルスト、それだけだと若いクリスタの栄養が偏りそうなので、ゆで野菜盛りを加えて頼む。


 クリスタはエールを銅のジョッキ半分ほど一気にくいっとあおって、ぷはぁ~っと満足そうなため息をつく。唇についた泡をペロッとなめるしぐさに、なぜだか少しドキッとして、慌てて混ぜっ返す。


「そういう飲み方、なんかオヤジっぽいな」


「えっ、えっ、そう見えてしまいますか! これはですね、教会で先輩の神官さんがこうやっていてですね……」


 わたわたあわてて言い訳するクリスタが可愛い。なるほど、神官の先輩っていえば三十歳以上なんだろう、オヤジっぽくて当然か。しかし、先輩のそんなところを真似なくてもいいだろうに。


「ん~っ! でも満足です、これが『冒険者の酒場』なんですね~! ウィルお兄さんの記憶の中で、とても楽しい思い出として残っていましたから、ぜひ来たいと思っていたのですよ!」


 そうだ、確かに楽しかったな。エルザと二人きりで冒険していた頃も、フリッツと三人になった後も。


 今日の目的を達成した後の高揚感をエールで冷ましながら、とりとめもない話をするのが、何と嬉しかったことか。周囲のざわめきも、銅のジョッキがぶつかる音も、ランプの脂が燃える匂いもみんな、会話のスパイスになっていた。会話をリードするのはいつもエルザ……そして明日はもっと難度の高い依頼に挑もうと盛り上がった。


 この酒場はあの頃と、何にも変わっちゃいない。素朴なエールの風味も、酔客の喧騒も、煤で少々黒ずんだ壁の色も。変わったのは、俺の差し向かいに、燃えるような瞳をキラキラ輝かせているエルザが、座っていないってことだけだ。


「ウィルお兄さんっ?」


 虚空を見上げつつ追憶の湖に沈んでいたらしい俺は、弾むアルトで我に返る。そこにはエルザの燃える瞳ではなく、深い翡翠色の瞳がやや心配そうな色をたたえて、俺を見つめていた。いかんいかん、クリスタを楽しませるためにここに来たんだった。


「ああ、すまんすまん。つい、懐かしくてなあ」


「ひょっとして、ここに来るのは、辛かったですか?」


 アルトの響きが少し沈む。本当に心配させてしまったようだ。


「そんなことないよ。俺の心を読んでくれればわかるだろ?」


「言ったでしょっ! 親しい人の心を、必要がないのに読んだりしませんっ!」


 必要があれば、読むんだな……と突っ込むのはやめて、俺は真面目に答える。


「うん、ここで過ごした思い出の中には必ずエルザがいる。だから思い出せば少しは切ないけど、それはつらい記憶ではないからね、本当に楽しかったんだよ。結局最後にはフラれちゃったわけだけれど、俺はエルザに誘われて旅に出たことも、一緒にいろんな冒険をしたことも、ちっとも後悔していないからね」


 ちょっとカッコつけ過ぎかな? とは思うけど、後悔していないのは本当だ。あのまま魔法学院に残って付与魔法使いとなる人生には、きっとエルザと過ごしたような高揚感はなかっただろうし……エルザを独占できたあの数年は、いろんな苦労や努力のご褒美だった気もしているんだ。


「……むふっ。はいっ、わかりましたっ! では、これから私と、もっと楽しい思い出をつくりましょうねっ!」


「何が『では』なんだかわからないけど、よろしく頼むよ。少なくともクリスタが教会に戻りたくなるまでは、な」


 クリスタは少し不満そうに頬を膨らませている。この娘の考えていることも、俺にはあまりよくわからない。こんなフラれ男に懐いて何がしたいのかな、まあ、いいんだけどさ。



◆◆作者より◆◆

しばらく21:16更新に固定します。

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