第10話 癒しの法術

 王都シュツットガルトへの道は平坦ではなく、いくつも小さな峠を超えては森をくねくねと縫って進む山がちの街道だ。アロイス一家は馬車で、護衛役である俺とクリスタは騎馬で移動する。


 意外なことに、クリスタが芦毛の馬を実に巧みに操っている。その乗馬姿勢もすっと背筋が伸びて、思わず見とれるほど美しい。


「なあクリスタ。乗馬まで、ルーフェの修行のうちに入ってるのか?」


「もちろんですよ! そもそも馬に上手に乗れなければ布教の旅もできないではないですかっ! ほら、だから聖職者の服はこんな風に……」


 クリスタが司祭服の裾をぴらぴらとめくって見せる。ルーフェの神官や司祭の服は、ひざ下までのワンピースっぽい男女共通のデザインだが、脚の両側には腰のあたりまで深いスリットが入っている。聖職者たちはその下に自由な色のボトムスをはくことで、労働にも乗馬にも動きやすいものとしているわけだ。


 クリスタのボトムスは黒だ。すらりと健康的に伸びる脚に誂えたようにぴったりとフィットするフォルムに、ちょっと眼を奪われてしまう。うむ、いかんいかん。


 馬車の馭者を務めているのは、昨日ゴブリンにめっためたに打ち据えられた護衛の一人で、ハンスという中年の男だ。左腕が折れていて護衛としては使い物にならないのだが、馭者ならできると本人が頑固に主張するので、連れてきている。まあ、このままローゼンハイムの街に置いていかれたら報酬はほぼゼロになってしまうのだから、郷里に妻子を置いて出稼ぎしに来ているという彼としては、雇用継続のため必死にならざるを得ないのだろうな。


「なあハンスさん、ゴブリンに相当棍棒でやられたはずだろ。昨日の今日で、良くそれだけ動けるな」


「いやあ、司祭様に貼って頂いた湿布と、癒しの法術がこれまた良く効いたんですよ。腕も脚も動かせなかったんですがね、ルーフェの法術を施してもらったら、筋肉の痛みがすう~っと引きましてね。さすがルーフェのご利益は、大したものだと感服いたしましたなあ」


 ハンスは命を救われたことをきちんと認識し、俺とクリスタには始終丁寧な態度をとっている。俺が「王妃の元カレ」の二つ名を持っていることがわかったら、彼の対応が変わるのかどうか、ちょっと興味があるのだが。


 それにしてもあれからたった一晩しか経っていない、いくら何でも治るには早すぎるんじゃないか。俺は先行するクリスタの馬に並び掛ける。


「なあクリスタ、湿布ごときであんなに早くハンスが立ち直れるはずないよな。クリスタが掛けた癒しの法術って奴のご利益なんだろ?」


「そうですね! う~ん、ちょっと前に出ましょうか」


 クリスタは馬に軽く鞭を入れ、馬車をかなり引き離す。なんだかよくわからないが、俺も後を追う。並びかけるのを待って、クリスタがおもむろに話し始める。


「一般の方には、あまり聞かれたくないお話ですからねっ! まあウィルお兄さんなら、特に問題ないんですが」


「聞かれるとマズいのかい?」


「まあ、若干マズいですね! え~、癒しの法術ってのはですね、直接怪我を治す効力があるわけでは、ないんですよ!」


「と、いうと?」


「癒しの法術は、その人の精神というか、心を操作して『この怪我はルーフェ神の奇蹟のおかげでたちまち治るのだ!』と心の奥深くに刷り込んで、信じ込ませる技術なのですよ。そうすると人間が本来持っている自己治癒力が何倍にも高まって、治りがものすごく速くなるのですね。ほら『病は気から』って言うじゃないですか、あれですねっ! それとですね、人間は治ったと信じてしまうと、痛みなんか感じなくなる不思議な生き物なのですよ!」


「じゃ、ハンスに『これは精神操作だよ』って真実を教えたら、効果がなくなって痛みがぶり返してしまうということか?」


「そう、多くの人はそうなってしまいますねっ! だから軽々に教えてしまってはいけないのです!」


 これは、驚きだ。癒しの法術、とか聞くと何か神のご加護だかでどうたらこうたらと、何かのんびりとファンタジーっぽい雰囲気を感じていたが、実はヤバい、催眠術みたいなものだったんだな。


「なるほど、民達が神の奇跡と信じている業は、実は心を操る『技術』だってわけだ。全く知らなかったよ。だが、それが信徒たちを救う役に立っているなら、いいことじゃないのかな」


「『癒し』だけだったら、そうなんですけどねえ……」


 珍しくクリスタの歯切れが、かなり悪い。何か、他にあるのかな。


「民のためにならない、後ろ暗い法術もある、ということか?」


 俺が突っ込むと、クリスタは視線を虚空にさまよわせて、しばらく考えている。その表情はこれまでの底抜けに明るい彼女とは、まるで別人だ。何か迷っているのだろうか。


「どうしたんだ、クリスタ?」


 クリスタは、はっと我に返ったようにその視線を真っ直ぐに俺に向けた。そして弾むアルトが、その口から紡ぎ出される。


「そうですね、この続きは結構複雑になってしまいますけど……ウィルお兄さんには聞いて欲しいかもです。今晩お話ししますので、楽しみに待っててくださいねっ!」


 その表情には先ほどまでの屈託はなく、明るい少女のものに戻っている。俺も空気を読む男だ。ここまでにするべきだなと気付いて、この話題を打ち切った。

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