第8話 司祭様と飲み会

 夜も更けて、俺とアロイスは居間のソファに深く身を沈めつつ、ヴェネチアングラスに注いださくらんぼのブランデー……キルシュヴァッサーの甘い香りをたしなんでいた。透明な液体を薄めずそのまま、ほんの少量ずつ喉に流し込んでは、鼻に抜ける熱い刺激を楽しむ。アロイスは人生を思い切り楽しむ主義であるらしく、酒には十分カネをかけているようだ。雑味がなく、香りもすっきりとして、実に美味い。


「いやあ、ウィル殿に断られたら、どうしようかと思っていたのですよ。今から優秀な護衛を手配するのは、とても無理ですからね。ああ、もちろん謝礼のほうは、たっぷりと弾ませていただきますよ」


「俺が断りづらいように、クリスタをけしかけたんだろう?」


「ははあ、まあありていに言えば、そうですな。私の見るところ、ウィル殿はあの可愛らしい司祭様を、かなりお気に召していらしたようですしね」


「なんだその意味ありげな目は、あれはまだ子供じゃねえか。しかも聖職者じゃあ、女のうちに入らんだろ。確かに見た目だけなら、かなり可愛いんだがなあ……」


「そんなこともないと思いますがね。十五歳といえばこの国では立派な成人、そしてルーフェの大切な教義は、男女和合ですからな。ルーフェの聖職者はみ~んな結婚して、たくさん子供をつくってますよ、教会もそれを推奨していますからね。あの可愛らしい司祭様だって、いずれ教会にこもりっきりの青白い坊主と結婚するくらいなら、ウィル殿みたいに若くて強い殿方と結ばれるほうが、幸せってもんでしょう」


「ま、あれはちょっと騒がしすぎるから、パスだな。俺は、もうちょっと物静かでまったりして、俺の言うことをニコニコ微笑んで聞いてくれそうな娘がいいんだがなあ」


 ああ、これは嘘になってしまうな。俺、本当は元気娘が好みなんだ。エルザがまさに、そうだったからな。喜怒哀楽がはっきりしていて、やりたいことをはっきり口にして、俺を好き勝手に引っ張り回して……それでも振り回されるのが、何だか楽しかったんだよな。


 ああ、結局またエルザを思い出してしまった。数日振りの酒のせいなのだろうか、ちょっとブルーな気分だ。もうすっかり割り切っているつもりだったのに、何かの拍子に苦い過去を思い出して、胸がちくっと痛むんだ。


「む~ん。だれが騒がしいって話ですかっ!」


 弾むアルトが背後から不意に響いて、憂鬱な追憶に浸っていた俺はソファから飛びあがる。そこにはクリスタが両手を腰に当て、薄い胸を張ってドヤ顔で立っていた。湯浴みしたらすぐ寝ると言っていたはずだけどな?


「なんだクリスタか、びっくりするじゃねえか。それにしても背後に回られたのに全く気付かなかったな。ルーフェの教会では、隠形の術まで教えるのか?」


「うふっ。私も、いろいろ修行してますからねっ!」


 クリスタが当然のように俺の隣へ、ぽふっと座る。湯浴み後のクリスタからは石鹸の香りと、若い娘特有の甘い匂いがする。寝間着に着かえた胸元がきわどく開いているが、残念なことに……そこに良い眺めは、ない。


「なにかご不満ですか、ウィルお兄さん?」


 うっマズい、これは、顔に出てしまっていたか。


「いやいやいや……もう寝るんじゃなかったのかよ。子供は寝る時間だろう?」


「私は十五歳です、もう子供じゃありませんよっ! いえね、大人しく寝ようとは思ったんですけど、そこを通ったら、キルシュのいい香りが、ほわぁん~っと流れて来てですね……」


「ほほぅ。司祭様はお酒もいけるのですか。まあ、ルーフェの教えは自由ですからな。では少々、ご一緒しませんかな」


 アロイスがいたく面白がってヴェネチアングラスをもう一つ出し、キルシュヴァッサーをたっぷり注ぐ。甘いチェリーの香りが漂い、グラスを可愛い鼻に優雅な所作で当てたクリスタが、幸せそうに目をつむって、息を吸い込む。


「おいおい大丈夫か? キルシュは匂いだけならともかく、酒精は強いぜ……」


 俺が忠告する間も与えず、クリスタはグラスに溜まった芳香を胸一杯に吸い込み、はぁ~っと満足そうなため息をつくと、透明な液体を口に含む。その状態で息をゆっくり吸い込み風味をじっくり噛みしめた後、ごくんと飲み込んで、はぁ~っとまた幸せそうに息を吐く。


「本当にうまそうに飲むなあ」


「そりゃそうですよ、教会にはこんな良いお酒、ありませんからね! これは、すごく美味しいですねっ!」


「良い酒と悪い酒の違いまでその齢でわかるのか……いやそもそも、教会で酒飲むのかよ?」


「もちろんです! お酒の飲み方だって、聖職者修行の一つなのですよ! 聖職者はいろんなイベントで信徒に祝福を授けねばならない立場ですからね、そこにお酒は付き物ですから! 信徒の皆さんと一緒に楽しく飲む、だけど決して乱れないこと、というのが聖職者の鉄の掟であると教えを受けましたっ!」


「じゃあいったい、何歳から飲んでるんだよ?」


「そうですね~、十一歳で神官になってからは、少なくともずっとです!」


 ルーフェってのはとんでもなく自由な宗教なんだな、子供にまで酒を飲ませるんだ。まあ、気持ちよく酔っぱらうのも修行、ってのは面白い。


「それで? 何のお話をしていたのですか? あんなのは女のうちに入らんとかいう、お兄さんが私をディスる暴言が聞こえたような?」


 うわっ、しまった。そこから聞かれていたのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る