第6話 アロイスの商館で
「う~ん、美味しいですっ!」
翡翠の瞳をくりくり輝かせながら、クリスタがローストした豚肉……シュバイネブラーテンを、優雅な所作で切り分けて口に運んでは、弾むアルトでその美味を賞賛している。かなりガツガツと食っているはずなのだが、それでも上品に見えるところが、さすがお貴族様だよな。
ローゼンハイムの街に何とかたどり着いた俺達は、助けた商人アロイスの商館に招かれ、遅めの夕食をご馳走になっているところだ。使用人も十人ほど抱えている、結構立派な館だ。アロイスはなかなか手広く商売をしていて、国内の主な都市にはそれぞれ同じような館を持っているらしい。なかなか大したものだと俺なんかは思うのだが、それでも彼に言わせるとアロイス商会はこの国で五指にはあと一歩届かないのだという。なんとか五大商会の仲間入りをして、王室御用達を承るのが、夢なんだそうだ。
食卓にはクリスタと俺とアロイスと、その奥方と娘。
「おお、司祭様に喜んでいただけるとは、何よりですな。私どもが普段食べているものしかなく、たいへん申し訳ありませんでしたが。何しろ急でしたので、特別なものをご用意するのは、間に合いませなんだ」
アロイスが謙遜する。だが豚肉の赤身は柔らかくフォークを入れただけでほろりと崩れ、脂身は口に入れただけで溶けるようで、庶民の口に入る硬くて筋だらけの肉とは明らかに質が違うことは、俺にだってすぐわかる。見た目は冴えない中年男だが、こんな上等なやつが「普段食べているもの」だとすると、アロイスは貴族でもなかなか難しい、贅沢な暮らしを楽しんでいるようだ。
「あはっ。私、お肉なんて贅沢なもの、年に何回かしか食べてなかったのでっ!」
「そうなのか? なあ司祭のお嬢さん、あんたは貴族様なんだろ? 豚肉くらいで……」
俺が疑問を挟むと、クリスタはにこっと微笑む。
「ふふっ。貴族っていっても、それは実家の話です。私は五歳の時から、ずっと教会で暮らしていますから、暮らしは質素そのものでしたよ! 毎日じゃがいもばっかり食べていましたからっ!」
これは話題を変えるべきだと、俺は気付く。貴族の家に生まれたのに、そんな幼少の頃から教会に出されるなんていうのは、間違いなくろくでもない……はっきり言えば家にいられなくなるような事情があるはずだ。この話を続けるのはヤバい。
「なるほどね。で、司祭のお嬢さんは、どこに向けて旅をしてるところだったんだい? どこか地方の教会長にでも、赴任する途中なのか?」
「お嬢さんじゃなく、名前で呼んで下さいお兄さん! ク・リ・ス・タ、ですっ!」
じゃあ、名前で呼ぼう。心の中で「ちゃん」付けしようか「さん」付けしようかと五秒だけ悩んだ後、フランクに呼び捨てすることに決める。どっちみち今晩だけのお付き合いになるんだろうから。
「じゃあ、クリスタ。クリスタはどこに行くんだい? そうそう、俺も『お兄さん』じゃなく、ウィルと呼んでくれよ」
「はいっ! ウィルお兄さん! 実はですね~、私の行き先は、まだはっきり決まっていないわけなのですよ!」
「はぁ? どういうことだい?」
「私のポストは無任所司祭と言ってですね、所属する教会が決まっていないのですよ! 好きなように大陸を旅してまわって、教えを広めたり、困っている人を助けたり、情報を集めたり……自分の判断で何をしてもいいという、実に融通の利く自由な役職なのですよ!」
なんだか、暇を持て余した年寄りの巡礼旅みたいなポストだな。いや、巡礼だって目的地くらいは決まっているよな。そんなどうでもいい役に立たなそうな職位に、十五歳の娘を付けるってのは一体どういうことなんだ?
使えない邪魔者だとしたらそんな扱いもわからなくはないが、この娘は教会ではおそらくぶっちぎり最年少の司祭……ようはスーパーエリートで、しかもお貴族様だ。普通だったら間違いなく中央教会でキャリアを積ませて、幹部への道を一直線に進むはずだ。なのに、どうみたって教会中枢部から忌避されている……よっほどの裏事情があるように思えるんだが、俺にそれを問い詰める権利はない。ここは無難な話題に戻すべきだろう。
「そうか、気の向くままのぶらり旅ってわけか、素敵だな。だけど、路銀はどっから出るんだい?」
「そこがちょっと問題なんですよね。一応、赴いた土地の教会に行けば、必要なだけ路銀を都合してくれるってことにはなってるんですけど、結局それはその教会の持ち出しになるみたいなので。ちょっと私としては申し訳なく……遠慮しないといけないのかなと!」
「その気持ちは実によくわかるがなあ……じゃ、クリスタは文無しで旅をしているわけなのか?」
「あはっ! さすがにそれは、年頃の娘としてはいろいろマズいじゃないですか! ちゃんと働きながら旅をしてますよ。ルーフェの聖職者はみな薬師ですので、その土地土地で具合の悪い方に薬餌を処方すれば、それなりのご寄進がいただけるというわけなのですよ!」
「なるほど、クリスタは薬師もできるのか。そんならどこに行っても稼げるなあ」
「それとですね! アロイスさんみたいな物持ちの旅人さんとご一緒すると、こうやって無料で美味しいお食事を頂いたり、泊めて頂いたりできるのですよ!」
「え……それって、金持ちにタカってるってことか?」
俺の思いっきり直截的な突っ込みに、あわててアロイスが割り込んでくる。
「いえいえ、違うのですよウィル殿。我々のように武勇のない者が長距離を移動する際には、旅の聖職者様とご一緒するのが、最も安全な旅になるのですよ」
ふうん、そんな御利益があるとは知らなかった。なにしろ、教会のことなんか興味がなかったからなあ。
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