第5話 商人アロイス
街への道は実に順調だ。一番元気なアロイスに馬車を降りて歩いてもらい、重傷を負った護衛兼馭者達を、馬車のキャビンに乗せる。代わりの馭者を務めているのは、なんとクリスタだ。お貴族様だというのに、いろんなことができる器用な娘だ。
馬車の進む速度をごくゆっくりに落とさせて、俺とアロイスが後方からゆっくりとついてゆく。彼は少しばかり腹が出ているが体力は豊富であるらしく、その足取りは確かだ。並んで歩きつつ、アロイスが遠慮がちに切り出す。
「いや、まさか『王妃の元カレ』の二つ名を持つ方にこの命を救われるとは、思ってもみませんでしたな」
「その名前についちゃあ、相当な悪評を伝え聞いてるだろう? あんたが聞いてるのは、俺が浮気者だってパターンかい、それとも暴力男だってパターンかな?」
「私が聞いたのは『とんでもなく弱く役立たずで、エルザ様の足を引っ張って重傷を負わせた』っていう話でしたな。だが先ほどの戦いをこの目で見せて頂けば、それが根も葉もない虚構であることが、一瞬でわかりますなあ」
「そっか。まあ、わかってくれるんなら、有難いが」
「そうすると、本当のところはどうなので?」
まあここは、きちんと説明しておく必要があるだろう。このアロイスという男、庶民の間で無責任に広がるほら話には惑わされず、俺の話をフラットに聞いてくれそうだしな。
「うん、まあ、もともとは俺の恋人だったエルザを、フリッツが寝取っていった、っていうだけのことなんだけどな。だけど、英雄国王と讃えられているフリッツが悪い奴ってことになってしまうと取り巻き連中としては面白くないし、民への示しもつかない。だから俺が悪い奴で、苦しむエルザにフリッツが手を差し伸べたって話が、次々創作されてるってわけなのさ。もちろんフリッツやエルザは、知らないところでだけどな」
「なんと! それは怪しからん! ウィルフリード殿、それは断じて正さねばなりませんぞ。私個人にはそれほどの力はありませんが、商人のネットワークはなかなか強力です。情報の拡散力は何にも負けませんぞ。これを使って民に真実を知らしめ、貴殿の名誉を回復致しましょうぞ!」
アロイスは俺のために憤慨してくれている。俺の言い分を信じてくれるだけでも、ありがたいことだ。
「ああ、俺のことはウィル、でいいよ。アロイスさんの方が年上なんだからかしこまられると申し訳ないし。そうだなあ……申し出はとってもありがたいんだけど、遠慮しておくよ」
「しかしこのままでは……」
「本当のことが知れ渡ると、フリッツ……フリードリヒ王に対して民が思い描いている立派な偶像に、傷がついちゃう気がするんだよね」
「確かにある程度は、そうなってしまうでしょうが……」
「王国の国内は今、かなり不安定だし……たぶんザグレブ帝国との戦争も、近々不可避だよな。そんな中では、若く勇敢で、かつ市井の暮らしを愛する親しみやすいフリードリヒ王と、美しくも勇ましい妃将軍エリザーベトの人気が、庶民の不安を抑える大きな力になっている、という現実は否定できないんだよ。ここで王を『寝取り男』扱いしておとしめるようなマネをしたら、俺の名誉はともかく、民が不幸になる可能性が高いからなあ」
「おお……そこまでお考えとは。ご自身のことより国民を想う志、誠に尊いですな」
「いやまあ、俺はそこまで高潔な人間じゃないけどな。そういうわけだから、気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとう。それに、俺の悪事については創作なんだけど、エルザが俺じゃなくフリッツを選んだってのは厳然たる事実だから、受け入れないといけないと思うんだよね」
「わかりました。しかし、ウィル殿のような志士が報われない世の中とは、何とも口惜しいものですなあ……」
「なんだか大げさだなあ、俺はある程度割り切ってるよ」
そりゃ俺だって、あることないことというより、ないことないこと言われている現状が悔しくないわけはない。だけど、フリッツ個人の人望に依存している今の王国を、乱すわけにはいかないと思うんだよね。平和に暮らしたい普通の人が、一杯いるんだからさ。
それに俺はどうしても、フリッツのやつが嫌いになれないんだ。確かにあいつは俺というれっきとした恋人がいたエルザにこれでもかと迫りまくって、結局寝取っちまったひどいやつなんだけど……あいつがその身体を張って、俺とエルザを何度も守ってくれたのも、また事実なんだよな。
「わかりましたウィル殿、国民の間で流布されている噂には、あえて手をつけることは致しません。しかし商人達の間では、真実を知らしめるように動きますぞ。いざという時は商人ギルドにお越し下されば、私の名にかけて、肩身の狭い思いは絶対にさせません。まあ、それはさておき……街に着いたらぜひ私の商館へおいで下さい。今宵はぜひご逗留いただいて、おもてなしさせていただきたいですからなあ。そうそうもちろん、あの可愛らしい司祭様も、見えられますからね……」
そうか、それは興味深いな。
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