第27話 私、だめなんです!

「木掛さん! 木掛さん! 大丈夫ですか!?」


 何が何だかわからず、慌てて彼女を抱きしめた。

「ううう、うう~ん」

 木掛さんは顔面を紅潮させて呻いている。

 突然のことに周囲がざわつく。

 キッと頭上の太陽を睨みつけた。

 もしかして熱中症か。

 今日も最高気温は三十度を超えている。こんな炎天下で、熱い愛の告白なんてするんじゃなかった。

 落ち着け。一旦、冷静になって、こういう時はどうすればいいのか考えるんだ。

 焦る俺の目の前に、一本のペットボトルが差し出された。


「木掛さん大丈夫かな? なんか急に倒れたけど……」


 カナコだ。心配そうに俺と彼女を覗き込む。


「ありがとうっ」

「う、うん」


 俺は礼を言い、差し出されたペットボトルを奪い取る。

 カナコは一歩引いて、俺たちの様子を見守る。


「木掛さん、水飲んでください。気分はいかがですか?」

 俺の必死の呼びかけに、木掛さんは徐々に意識を取り戻した。

「ううううん」

「ああ、よかった。木掛さん大丈夫ですか?」

「うう、すいません」


 彼女はまだ辛そうだ。早急にこの場を立ち去り、涼しい場所に移動せねば。

 俺は彼女の肩を取るが、木掛さんからやんわりと断られる。


「大丈夫……です」

「ほんとに? 熱中症ですよね。動けますか? 頭くらくらしてるんじゃないですか?」

「い、いえ、暑くて気を失ったんではありませんから、心配しないでください。ほんとに大丈夫ですから」


 ん? そうなの?

 俺の小さい脳みそでは理解が追い付かない。


 とりあえず、木掛さんの上半身を起こして、彼女が落ち着くまで介抱は続けた。彼女の柔らかい肌が熱を帯びている。その小さな体に似合わぬ熱いぬくもり。こんな状況で不謹慎だが、ぎゅうっと抱きしめたくなってしまう。

 てゆうか、半分そんな状態なのだが。

 やがて、彼女は落ち着きを取り戻し、「ご迷惑おかけしました」と軽く頭を下げた。


「いえいえ、びっくりしました。でも、大丈夫そうでよかったです」

「あ、あの。て……」

 彼女は恥ずかしそうに俺を見つめる。

「て?」

「はい。手、です」


 今さらながら、はっとなる。さっきからずっと木掛さんの上半身を触っている。ようは介抱ってことなんだが、彼女が意識を取り戻した今、それは介抱ではなくただの接触(セクハラ)に置き換わる。


「いや、別にそんな意味じゃないんですが、すいません」

 木掛さんは赤面したままうつむき、慌てて両手を離した。

「ところで、どうして急に倒れてしまったんですか? この暑さのせいじゃないって言うし、もしかして貧血とかですか?」


 女性は生理現象から貧血に陥りやすい。もしかして、それかも。木掛さんは透き通るような白い肌をしている。裏を返せば、血の巡りが悪いのかもしれない。


「あの、いえ、違います」


 彼女は苦しそうに声を出す。


「うーん。じゃあ、どうして」


「アレです」


 彼女はゆっくり腕を上げて、とある方向を指差した。

 そこには、一枚の立て看板があった。


「アレを見たからなんです」


 その看板は『世界の昆虫館。特設展示』と書かれていた。


「虫……?」 


 この水族館に隣接する展示会場で催されている看板なのだろう。キャッチコピーと一緒に、カナブンやオオクワガタの写真がにぎやかに踊る。

 一体全体、これがどうしたんだろう。


「もしかして、木掛さんは虫が嫌いなんですか?」


 でも、たかだか虫が嫌いなだけで気絶はしないよな。


 木掛さんは、静かに首を横に振った。「い、いえ、昆虫は好きですよ」


「? じゃあ……。あの看板がどうしたんですか?」

「だ、だめなんです」


 だめって何だ? 意味がわからない。


「やっぱり虫が苦手なんですか?」

「ちがうのっ!」


 突如として、今まで見せなかった強い口調に変わった。

 こちらも強い不安を感じて、ぶわっと汗がふきだす。

 木掛さんは絞り出すように、その続きを口にする。


「虫が、たくさん閉じ込められてる」

「虫が? どういう意味ですか?」


 なんだなんだ、閉じ込められてる?

 猛スピードで思考を巡らし、はたと気付く。

 木掛さんが指差した看板を。

 昆虫館の展示品。これのことか。


「昆虫館に沢山の虫が囲われているって意味ですか?」

 木掛さんは曇った表情でこくこく頷く。

「でも、それがどういう意味で……」

「私、わかってるんです。本当は自分でも気づいてるんです」

「何を、ですか?」



「変なこと、です」



「変?」

「はい、自分でもわかってるんですけど心配なんです。どうしようもなく心配になっちゃうんです」

「いいじゃないですか、心配になっちゃうのって。無神経な人より、よっぽどいいですよ。それに、心配になっちゃうのって、きっと木掛さんが優しい人ってことですよ。人に優しくないやつは心配なんかより、自分の都合しか優先しませんから」


 うん、そうだよ。

 木掛さんが心配性、それもかなりの心配性っていうことは、今までの言動から嫌というほど理解している。でも、それは裏を返せば、何にでも優しいってことに繋がる。

 彼女は人に気を遣い過ぎる心温かい人なのだ。

 俺はそう信じている。

 彼女は虚ろな目のまま俺のフォローを無視して、全てを諦めたようにつぶやく。


「わ、やっぱりだめです」

「あの、だめって?」


 ちょ、ちょっと待ってくれ。

 何だ。この悪い予感。

 虫の知らせ?

 このまま今ある世界が音を立てて崩壊してしまう。

 そんな絶望に満ちた、ある言葉が俺に迫っている。

 どうする。

 止めたい。

 でも止められるのか。

 どうすれば……。


 そして――。



「私たち、もう会わない方がいいと思います。私がこんな性格なんで、きっとうまくいきません。今日のデートで――」


「いや、ちょっ」


 その続きを制止することは叶わず。

 木掛さんはすっと能面のような表情をまとう。一切の感情を交えず、冷たくこう言った。




「――私は営治さんと『合わない』ってことが、よくわかりました」




 もう私のことは忘れてください。


 突如として、終わりの鐘が鳴った。



 物語は第六章へ――

 急転直下のデートが終わり、営治は奈落の底へ。

 そして、この物語の真の主人公、木掛優の物語へと突入する。

 序に続き、破の最終章。

 さあ、どうなる?


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