第18話 カナコはめっちゃ不機嫌
金曜日の深夜一時。
終電間際の満員電車に揉みくちゃにされて自宅に帰る。スーツを脱ぐなり万年床に倒れこみ、そのまま寝落ちしてしまった。
木掛さんとラインの交換が出来たので、サンサン薬局本社へ訪問する必要もなくなったが、本業である仕事の方が振り子のように忙しくなった。
次から次へと企画が採用されて多忙を極め、毎日終電で帰ってくる日が続いた。そして、嬉しいことにサンサン薬局のバイヤーからも、商品の見積もり依頼や、売り場の状況を教えて欲しいといった要望が舞い込んでくるようになった。些細なことではあるが、メールをしても何のレスポンスもなかった頃に比べるとだいぶ前進だ。
そんなわけで毎日が忙しい。
日々のエナジードリンクから摂取できるアルギニンやナイアシンではとてもカバーし切れず、疲労が蓄積されていった。
カナコからの書き置きは毎日ドアの隙間に挟まっていたのだが、彼女に会いに里山を登る元気は残されていなかった。そんな俺の近況を知る由もないカナコのメモ書きは、
『今日も里山にいます。カナコ』から――
『昨日も里山にいましたけど。カナコ』へ――少し怒ったような文言に変わり、最後は――
『里山にいるって知ってるよね。カナコ』
『最近、仕事忙しいの? 無理しないでね。カナコ』に着地した。
お怒り、気遣い、両方のメモ書きが綴られるようになった。
ものすごく心配されているから、明日は里山を登るかと考えながら、意識の彼方へ飛んでいった。
◆◇◆◇
ピンポーン。
何者かが自宅の呼び鈴を鳴らしている。どうせ何かのセールスだろう。カナコなら容赦なくドアを激しく叩くはずだ。布団の脇に置かれた目覚まし時計を見た。昼の一時。今日は土曜日。まだ眠たい。俺は居留守を決め込む。
ピンポーン。
呼び鈴は続く。
早く帰ってくれないかな。一度でもドアを開けると面倒くさいんだよな。耳を塞ぐように布団をかぶる。
ピンポーン。まだまだ続く。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
まるで、俺がこの家に居るのがわかっているかのように、呼び鈴を鳴らす間隔が狭まっていく。しまいには――ピンポー、ピンポー、ピンポーと連続タッチへと変わった。
さすがに迷惑でうざい。なんて非常識なやつなんだ。ああもうと頭をがしがし掻いて、足音を立てずにドアアイを覗き込む。
見慣れた顔がそこにあった。
カナコは緑色の瞳を鋭く光らせている。
今日も服装はグリーン系。キウイのキャラクターが胸元に刺繍されたTシャツを着ていた。今日の格好は少し子供っぽい。
てゆうか、いったいどこで洋服を調達しているのか疑問に思ったが、目をつぶる。
「なんだカナコか。呼び鈴鳴らすから、何かの勧誘かと思ったよ」
ドアを開けると、カナコはムスッと頬を膨らませた。
「入るよ」とだけ言って、俺の了承も得ずに、ずんずん部屋に入ってくる。恐らく、俺がメモ書きを無視したから怒っているんだな。てゆうか怒られる言われもないのだが。
カナコは腰に手をあてて、室内をぐるりと見回す。お世辞にも整理整頓されていなく、とても女の子を呼べる部屋ではない。
「エイジさんはどいてどいて」
カナコは無い袖をまくる仕草をすると、厄介払いするように俺を端に追いやる。そして、何を思ったのか無駄に素早い動きで部屋の掃除を始めた。散乱したワイシャツや靴下、トランクスまで回収して、どんどん洗濯機に放り込む。
「おいおい、いいって」
さすがに下着は……。なんだか無性に恥ずかしくなってカナコを止めようとするが、「じゃまじゃま」と冷たくあしらわれた。まるで俺が一つのゴミかのように、掃除機のノズルをぐいぐい向けられる。
その後もカナコの家事は続いた。
床の掃除、溜まった衣類の洗濯、台所に無造作に放置されている食べかすのついた食器類を丁寧に洗っていく。ついでに万年床だった布団も持ち上げてベランダに干す。カナコが布団を叩くと、積もりに積もった埃が舞い上がり、「きったな~」と顔をしかめた。
今日は一体どうしたんだろう。いつものカナコなら「コーラある? 甘いのが好きよ」ってな具合に、勝手に冷蔵庫を物色しそうなものだが、やけにかいがいしく映る。
見た目は女子高生ぐらい。少女と大人の中間地点にいる子(元カナブン)から、押しかけ妻的に部屋の掃除をされている。俺が無理矢理させているわけではないのだが、妙な罪悪感が芽生えた。
そんな俺の心情を無視して、てきぱきと部屋が片付けられ、小ぎれいになっていく。
そして、一時間後――
カナコは短い両手を広げて胸を張る。どうよ、とでもいいたげな勝ち誇った表情。
「どうよ、きれいでしょ」
まあ、実際言ってきた。
「あ、ありがとう。全然、掃除してなかったから助かったよ」
なんとなく申し訳なさを感じ、冷蔵庫から冷たい缶コーラを取り出す。カナコは黙ってそれを受け取り、ぷしゅっとタブを開けて、ごくりと一飲み。
「かあー、ひと仕事のあとはコーラが美味しいねっ」
「てゆうか急にどうしたのよ。こっちから差し入れ持って里山に行こうかと思ったのに」
カナコはコーラをぐびぐび飲んで、喉元に込み上げる炭酸を押さえ込む。
「まあなんだ、いつも来てもらって悪いし。それに……」
なんだかカナコの様子がおかしい。しおらしく、もじもじしている。
「わたしってばさ、何にもしてあげてないじゃん。エイジさんには色々助けてもらってるのに。それこそ、ひっくり返った時に助けてもらったし、コーラとか差し入れももらってるし、他にも色々って感じ?」
「ま、まあいいよ。俺もカナコに色々助けてもらってるし。そうだ、これこれ」
と物置になっている部屋から一つの段ボール箱を持ってきた。
「ん? なにこれ?」
カナコは興味津々に、小刻みに顔を左右に動かして段ボールの四隅を確認する。
「これ? プレゼント」
「プレゼント!?」
「まあ、プレゼントって言うほど大したやつじゃないけど」
こんなに喜ばれて期待外れになっては後が大変だ。どうどうと一旦、興奮を鎮めてから、びりりと段ボールを開けた。
「これって……」
カナコは目を輝かせて、そのブツを手に取る。
「そう、抱き枕。Ogiboのやつだよ。最近忙しくて時間なかったからネットで買ったのよ。これがあったらひっくり返った時も自力で起き上がれるだろ。テント暮らしの必需品ってやつだ」
「ありが、と」
照れた様子を悟られまいと勢いよく床に仰向けになり、くいくいと俺に抱き枕を要求してくる。
「ほれ」と黄色い抱き枕を手渡した。
カナコは右手でそれを掴むと、うんしょうんしょと抱き枕を支えにして、自力でうつ伏せ状態になった。自分でも驚いた様子で、「やったよ!」と声を張り上げた。
俺に子供が出来たらこんな感じだろうか。こんな小さなことが出来るようになって喜ぶカナコが可愛らしく思えた。
ここで、子供のようにはしゃぎ過ぎた自分を恥じるように、「コホン」と咳払いをする。
「まあ、でも色は緑がよかったな。黄色でもいいんだけどね」
「抱き枕はバナナが王道だと思って黄色にしたぞ。それに、緑緑ばっかじゃ飽きるだろ」
「飽きる飽きないとかの問題じゃないのよ。あいでんてぃてぃーってやつ? 意味あってるよね? わたしってば、あんまり英語とか使わないから言わせないでよね」
そんなこと言うなら、自分の金髪はどうなんだって話だが、まあ突っ込むのは止めてあげた。
「でもさ、なんで急にこんなプレゼントを」
「まあ、前からカナコのテント暮らしが心配でさ。ひっくり返ったら自力じゃ起き上がれないだろ。それに、カナコにはお礼を言わなきゃなと思ってさ」
「お礼? なになに? わたしなんかやったっけ?」
内心嬉しそうに口元を緩ませながら、顔を近づけてきた。
「あのさ……、今度デートすることになったんだ」
「デートお?」
「そう。木掛さんとデート。やっと彼女と連絡先が交換できて、今度、デートしてもらえるようになったよ」
「そう……」
「いや~、カナコのおかげだよ。色々アドバイスしてもらって、その通りにしたら全部上手くいったよ」
「……」
「俺も彼女から『最低ですね』を二回もくらったから、きっと嫌われたなあと思っていたんだけど、カナコの言う通り全然怒ってなくてさ。まあ、真相は未だ不明なんだけど、その後……」
「わたし帰るね」
そう言うと、涼しい顔して手をパンパンと叩き、掃除の汚れを床に落とした。無造作に抱き枕を掴むと、すたすたと玄関へと向かう。
しまった。調子にのってお喋りが過ぎた。
「ごめんごめん、なんか一人で盛り上がっちゃって」
カナコは振り返る。そこには一切の感情の欠片も見られなかった。
「なんで謝るのよ」
なぜか狼狽える俺。
どうした。なんか怖いぞ。
カナコは俺を上から下まで舐めるように睨みつけてから、「よかったじゃない」とだけ言い残して、部屋をあとにした。
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