【破】第四章 ニューカマー! うじうじした童貞と処女は殺すわよ!
第17話 俺の物語【営治健司】
ありふれた場所での、ありふれた時間軸での、ありふれた物語――。
普通。
この普通ってやつは、一見して良いのか悪いのか白黒つけづらい。
ある人は言うだろう。まあ、無難なんじゃない。
ある人は言うだろう。普通に考えたら、そう思うし、そうするよな。
ある人は言うだろう。結局はそういうのが一番難しくて、一番いいんだよ。
他人の価値観と自分の価値観は合致しない。価値観なんて、他人が押し付けるものじゃないはずだ。
しかし、一方で、本当に個性的に生きようとすると、それを叩く社会ってシステムが目を光らせる。それは、学校であっても、会社であっても、家庭であっても変わらない。強固なシステムの基本となるのは普通ってやつで、決して異端ではない。
普通ではないと判断されたら、黙って距離を置かれるだけだ。
俺は人より普通であったと思う。また、人よりそうあろうと努めた。何故なら、小学生の頃から、あることで揶揄われていたからだ。
「エイジとケンジってどっちが名前なん?」
自分よりキラキラした名前の奴はいたのだが、ずっと悪意のない『イジリ』という扱いを受けていた。今でこそ慣れたものだが、当時、俺はそれが嫌で仕方なかった。思春期の頃は、こんな変な名前を付けた親を恨んで、名付けの理由を問い詰めた。なんてことはない、父親の名前が健一、だから俺が健司。返ってきた答えはただそれだけ。それに、両親は人も良く、心の底から憎むほどの対象にはならなかった。
俺にできることは人より目立たないこと。地味に普通に毎日を過ごすこと。その感覚が骨の髄まで染みついてしまった。
いまいち自分が自分の人生の主役である、という実感が湧かない。
そんなふわふわした感情のまま思春期を通り越して大人になり、流されるように満員電車に揺られて、わずかなサラリーのために人生を消化している。どこか他人事みたいな自分事を過ごしている。
そんな自分でも忘れられない出来事があった。それは高校一年生の夏だ。
クラスメイトに周囲から浮いた存在の女子がいた。その子は極度のあがり症で、上手く皆とコミュニケーションを取ることができなく、入学してすぐにクラスから孤立した存在となった。俗に言う『いじめ』みたいなことは幸いにして起こらなかったが、誰もが彼女を無視して、相手にしなかった。
彼女は休み時間も、登下校も、いつも一人。俺の目には彼女が寂しそうに映った。
そんな時、彼女と話す切っ掛けが生まれた。
暇を持て余した夏休み。公園にでも散歩に行った時だ。流行りの音楽を聴きながら、ぶらぶらと歩いていると、前方の草むらで彼女の後ろ姿を見かけた。彼女はしゃがみ込み、ごそごそと何かをしている。
なぜか俺は気になってしまい、息を潜めてそっと近づいた。気付かれないように忍び足で一歩、また一歩。二人の距離が1メートルも満たないところまで接近すると、彼女が何をしていたか判明した。
「カナブン、ひっくり返っとるん?」
彼女は急に声を掛けられて、全身を震わせて立ち上がる。顔を真っ赤に染めて、口を堅く閉じて下を向いた。
「虫、苦手なん?」
彼女は小さくうなずく。
ひっくり返ったカナブンを助けてあげようと思ったのだが、虫が怖くて触れないので、どうしたらいいか途方に暮れていたようだ。
俺は虫が苦手ではない。ひっくり返っているカナブンを掴み、手のひらに乗せた。
「別に怖くないよ」と、手の平で小さく丸まっているカナブンを彼女の目の前に突き出す。
彼女は最初こそ怖気づいていたが、次第に顔を近づけて、指でちょんと触れるぐらいになった。カナブンは彼女に軽く触れられると、それを合図に大きく羽を広げて、空の彼方へと飛び去った。
それから俺は彼女と仲良くなった。仲良しといっても、彼氏彼女として付き合うとか、昼休みに一緒に弁当を食べるとか、そんな親密度ではなく、若干話すようになった程度である。
彼女の極度のあがり症の原因は、強い心配症からくるものだとわかった。人から嫌われたらどうしよう、人から笑われたらどうしよう等、極端に『自分』に対する人目を気にするものではない。じゃあ何かと問われれば、極端に『相手』のことを思いやりすぎるのだ。
例えばこんな感じだ。
昼休みに一人で弁当を食べているのは――自分と一緒に弁当を食べると、相手が自分と会話をしながら弁当を食べなきゃならない。せっかく愛情込めて作ってもらった弁当を味わう機会を奪うことに繋がってしまう――といった具合だ。
万事がこの調子なら、そりゃあ皆と打ち解けられないよな。そう苦笑してしまったが、彼女にとってはそれが『普通』だということだ。
「じゃあ、なんで俺には遠慮なく話すん? 俺の貴重な休み時間を奪うことには繋がらんの?」
自分でも意地悪い質問をしてしまった。
俺の心配をよそに返ってきた答えは、
「だって、わたしと会話する楽しみを与えられない方がイヤかと思って」だった。
ずこーっとなったが、妙に納得してしまう自分がいた。
彼女は一年後の夏、ひっそりと転校することになった。親が銀行員ということもあり、元々引っ越しが多かったらしい。この学校に馴染めなかったのか、父親の転勤先についていくことを決めたみたいだ。
彼女とはそれっきりだ。学校で浮いた存在であった彼女に対して、お別れ会的なこともなかったし、淡々と担任から告げられて終わった。
別れ際に連絡先も交換できなかった。次の転校先は、福岡から遠く離れた千葉県とだけ伝えられた。詳しい場所を訊いても、下を向いて真っ赤な顔するだけで喋ってもくれない。彼女から言わせたら――
『引っ越し先の住所を教えたら、きっとわたしに会いに電車を乗り継いで来ちゃうだろうし、お金もない高校生にとってかなりの負担になってしまう』
なんて余計な心配性を発動させてしまったんだろう。
こうして彼女との関係はあっけなく幕を閉じた。
元々、そこまで親しくなかったし。そう、自分に言い聞かせた。
でも――本当は勇気がなかっただけだ。
「普通、そこにはいかんやろ。一番いっちゃいかん存在やろ」
「ちょっと引いたわ~。もしかして、あいつのイヤらしい姿とか妄想してんの」
「まあ、営治の名前も変わっとるし、案外お似合いかもな」
彼女の唯一といっていいほどの仲良しの俺に対して向けられたのは、温かく関係性を見守ってくれる眼差しではなく、常に嘲笑であった。
だから、俺は怖気づいてしまった。
普通ではないと思われていた彼女と深い関係になることに臆病になってしまい、積極的なアプローチができなかった。唯一できたのは、情けない自分への正当化ぐらいだった。
もしかして、彼女もそんな周りの空気を敏感に察知して、敢えて俺と付かず離れずの距離を保っていたのかもしれない。
『わたしなんかと仲良くしたら、営治くんが周りからハブられてしまう』
そんな、彼女の優しさとも言える心配性が姿を現してしまったんだ。
それが、俺の初恋だ。
揶揄われたくない。
そんな抵抗が、小さな勇気を埋没させて、今まで以上に人目を気にするようになり、積極性も欠けた。青春らしい青春を謳歌することもできず、時だけが流れて、大人になり切れなかった大人になった。言われた仕事をこなし、人様に迷惑かけないように生活して、何も起きない毎日を受け入れる。いつしか、人と深い関係を築くことに臆病になってしまった。
でも、心の底であの日のヘタレな自分に、そんな人生に、リベンジできる機会を待ち望んでいた。何も変えることができない普通の毎日に嫌気がさしていた。
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