第13話 旅立ちそして

 騒動から一週間が経ったある日、トラ男はなんだかあらたまった感じで俺の前で正座していた。

 正座が出来るという事は、膝関節は人間のそれなのだろう。


「大変お世話になりました」

「え?」


 手をついてトラ男はうやうやしく頭を下げた。


「そろそろ出て行こうかと」

「そうなの?」


 図々しくいつまでいるのかと思っていた矢先だった。


「一宿一飯の御恩、忘れません」


 何日も寝泊まりして飯を食って風呂を毛だらけにしといて控えめな言いようだ。


「出てって大丈夫か?当ては有るのか?」

「ご心配なく。大家さんからこの間の報酬も頂いておりますから」


 そしてトラオは白い封筒を差し出した。


「お世話になったあなたに、私からの気持ちです」

「いや、いいの?お前も入用じゃないの?」


 そう言いつつ、宿代として受け取っておいた。


「では、わたくしはこれで」

「ああ、寂しくなるよ。また会えるといいな」

「私も寂しくなります。お元気で」

「あ、今お前の着てる俺のスエット、餞別にやるよ。そのまま着てっていいからな」

「かたじけない。ではお言葉に甘えて」


 特に手荷物も無かったので、トラ男はそのまま玄関へと向かった。


「ここでお別れしましょう。あなたと過ごした日々、忘れません」


 なんだかそう言われるとチョッと感極まった。

 思わずトラ男をハグしてしまっていた。


「オス同士で気持ち悪くないですか」

「おまえが言うなよ。こういう時ぐらいいいんだよ」


 成る程、真由美が言ってたように、抱きしめた感じはモフモフしててなかなか良かった。


「じゃあな」

「さようなら」


 そしてトラ男は出て行った。

 まるで夢の様に去って行ったあの奇妙な猫人間。

 トラ男があちこちに残していった抜け毛が、夢ではなかったのだとフワリと舞った。



 トラ男が残していったのは抜け毛だけでは無かった。

 今向かい合って一緒に夕飯を食べている二つ隣に住むちょっと可愛い子。

 トラ男が置いていってくれた有難い贈り物だった。

 あいつどうしてるかな。


「今トラ男のこと考えてませんでした?」

「鋭いね。実はそうなんだ」

「まだ三日しか経って無いのにずっと前みたいな気がします」

「そうだね。あんなのがホントにいたってことが信じられないよ」

「私に何も言わないで行っちゃった」


 真由美は少し寂しそうな顔をした。


「なんかあっさり出てったよ。宿代だけ置いて」


 そしてまだ開けてなかった白い封筒を出して見せた。


「あ、お金置いてったんですか」

「そうなんだ。あいつにしては気が利いてるなって」


 そう言いながら真由美の前で封筒を開けてみた。

 そしてすぐに気付いた。

 入っていたのはお金ではなく手紙だった。


「へへへ、勘違いだった。手紙だったよ」

「なんて書いてあるんですか」

「えーと」


 俺は書いてある内容を読み上げた。


「短い間でしたがお世話になりました。ゴミ捨て場で出会い、罵り合ったこともありましたが今となっては良い思い出です」

「あ、駄目、これ感動するやつだ。涙腺緩んできた」


 真由美はこれから泣こうと準備しだした。


「良き隣人に恵まれ、素晴らしい名前まで頂き、人の温かさが猫の体温以上に暖かい事を知りました」

「トラ男……」

「君とのアパート暮らし、これからも私は一生忘れないだろう……」


 いかん、なんだか声が震えてきた。目頭がじんわり熱くなってきている。


「ちゃぶ台を挟んで食べたご飯、順番に入った狭いお風呂、重なり合うように眠ったあのベッド……」


 とうとうぽとりと涙がこぼれてしまった。

 トラ男との思い出が溢れ出して読むのが辛くなってきた。


「これ以上辛いよね。私が読んであげる」


 残りを真由美に読んでもらう事にした。


「えっと、重なり合うように眠ったあのベッドからだったよね。ここからだな、えーと」

「なになに、あのベッドいくらなんでも狭すぎる。本当なら君に出て行ってもらいたいところだがそこは譲って私が出て行くことにする」

「えっ?どゆこと?」


 耳を疑った。


「取り敢えず隣の部屋を大家さんに提供してもらえたから引っ越します。あ、一応、数日世話になったし何かあったら相談したまえ。木島トラ男……」


 読み終えてから二人はしばらく黙り込んでいた。


 ドンドンドン!


「いるんだろ!出てこい!」


 研一と真由美の部屋の間にある部屋。知らない間に木島と表札がかかっていた。

 しばらくして黒いジャージ姿のトラ男が顔を覗かせた。


「おや?どうかされましたか?」

「どうかじゃねーよ。大層な感じで出て行ってこれか!」

「大層にしたのはあなたでしたよね」

「ああ、感極まって思い切りハグしちまったよ!一生の不覚だ。あの時蹴とばしときゃよかったって後悔してるよ!」

「ハハハ。ご冗談を」

「俺が冗談を言ってるように見えるか?」


 切れまくっている俺の後ろでちょっと可愛い真由美はトラ男に手を振っている。


「トラ男君、またおやつ持ってくね」

「はい。お待ちしております」


 真由美はトラ男がここにいた事を歓迎している様だ。やっぱりちょっとズレてる人だ。


「では、ご用が無いのならこれで……」


 扉を閉めようとしたトラ男をちょっと待てと引き留める。


「いま気付いたんだが、お前の着ているジャージって俺のじゃないか?」

「正解です」

「てめー、よくもぬけぬけと!」


 こうして最初からどこにも行っていなかったトラ男は今もこうして隣に住んでいる。

 木島トラ男が猫なのか人間なのかは今もはっきりしない。

 ただ俺にとってはいつもイラっとさせられる隣人、いや隣猫、そういったものだという事だ。


 完

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猫人間 ひなたひより @gogotoraneco

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