―柳煤竹―

 大きな階段がある。この邸宅は眩暈がするほど大きい為に、階層があることも予想外のことではない。しかし踏み込むことに一定の勇気を要した。

 一段ずつ踏みしめながら昇る。先程の異常な少女の姿はないが、どこから何が襲って来てもおかしくないような、魔界に紛れ込んでしまったような気分だった。

 二階は緑色の電灯で照らされていた。相も変わらずそれが反射されることはないが。そういえばホールの一階は虹色の電灯で照らされていたが、あの場所がこの館の中心なのだろうか。しかし襲われて部屋の唯一の扉から出てみればあの場所だった。位置という概念は捨ててしまった方が良いのだろう。

 右を、左を、正面を見ても。見渡すばかりは観音開きの扉ばかり。どこから手を付けるべきか分からない。いや、正解などないのだ。私はただ気の向くまま進むだけなのだから。

 散漫とした思考のまま左の扉を選んだ。

 物音を立てないよう、秒速π⁄18ラジアンくらいのスピードで片側の扉のみを開いていく。つまりは10度なのだが、どうして私はラジアンという単位を無意識に想像したのだろうか。まだ六歳のはずだ。記憶もないのに数学の知識だけはあった。まあ、記憶喪失はそういうものなのだが、「記憶喪失がそういうものである」という事実さえ知っているのは些か奇妙であるとも思える。

 9秒の時間をかけて扉を90度展開した。頭を目の前の現実へと戻そう。

 この部屋は吹き抜けとなっていて、一階の様子が見渡せた。その部屋も普通のリビングに見えるが、少し驚いたのは少女が四人もいたことだ。皆で集まって椅子取りゲームをしている。異様なのは全員無言で遊んでいることと、四人とも緑色のワンピースを着ていることだった。先程会った少女は青い光に青い服。今度はそれが緑になっているのか。

 とにかく、見つかるとまた襲われそうだ。彼女らには触らずに通り過ぎよう。この部屋の奥に扉があるのが見えた。

 進む中で床が軋まないか心配だったが、足音は自分に分かる程度にしか聞こえてこなかった。あまりコソコソする必要はない。

 辿り着いた扉を開いた向こうは、緑の光に照らされた薄暗い階段だった。窓もなく狭い階段。しかもそれは階下の少女たちのいる場所へと繋がっているようだった。しかし今さら戻っても仕方がない。見つかってしまったら走って逃げ去ってしまえば良いのだ。

 こっそりと扉を開ける。幸いなことに環境音が響きづらい館のようなので、音で気づかれることはない。ただ、扉が開くという光景に関しては、常に椅子取りゲームでぐるぐると回り続けている彼女たちの視界に映らないはずもない。

 しかし、こちらに対して背中を向けている少女も含めて四人の緑色の少女は一斉に立ち止まる。そうして顔だけをこちらに向けた。そう、顔だけを。背中を向けている一人は首を180度回転させたのだ。そして全員が身体の向きを変えずに顔だけをこちらに向けて迫って来る。全員が全員、何かしらの凶器を持って。

 私は血相を変えて方向転換する。いや、自分の顔色など見ることはできないのだが、それでも青ざめているであろうことは脈拍の乱れからも容易に想像が付いた。

 今開けたばかりの扉を戻ろうとしたが、ドアノブに鍵が掛けられることに気づいた。咄嗟に施錠してから階段を登る。緑の電気があの少女たちの首を連想してしまって気持ちが悪い。

 二階に戻る。引き返しても仕方がないとは思ったが、あのシュルレアリスムを体現したような光景をもう一度見たいとは思わない。

 吹き抜けから下を見ると彼女らは椅子取りゲームに戻っていた。ただ先ほどまでと異なっているのは、全員が凶器を持ちながら歩いていること。そして持っている刃物の類が時に彼女らの脚や腕をかすっていて、それでも平然と遊びを続けているのだった。極め付けに奇妙な緑色の血を目撃してしまった。

 私はホールへ戻る観音開きの扉を通る。虹色の輝きが飛び交うその空間を抜け、左右対称の反対側の扉へと至る。

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