UFO
増田朋美
UFO
ある日、杉ちゃんの家の近所にある尼寺で、写経会が行われた。文字は書くことができない杉ちゃんであるが、何故か信仰心は持っているため、ジョチさんに、代筆してもらうという形で、毎回参加しているのであった。主催の庵主さまも、代筆してもらっても、本人の信仰心が大事だからと言って、杉ちゃんの参加を認めていた。
ところが、現代人の宗教離れというものはひどいもので、まあ確かに、最近宗教団体の事件というものが多いこともあり、庵主さまの話によれば、今回の参加者は3人だけだという。つまり杉ちゃんとジョチさん、あと誰か一人だ。杉ちゃんたちは写経会が始まるまで、お寺の周りを散歩させてもらうことにした。
寺はかなり広い敷地があって、本堂だけではなく、広い庭園もある。杉ちゃんたちは、この広い庭を、散歩した。杉ちゃんたちが、庭の池の鯉に餌をあげたりしていると、向こうから女性が一人やってきた。なんだか、思い詰めたような様子でなんだか深刻な顔をしている。
「おい、お前さん、今日はお写経やりに来たの?」
杉ちゃんがきくと、
「はい、ちょっと落ち着きたくて。」
と彼女は答えた。
「落ち着きたいというか、誰かに話を聞いてもらいたいという顔が見え見えだよ。今日の参加者は、僕と、こっちにいるジョチさんと3人しかいないようだし、誰かに言いふらしたりしないから、ちょっと内容を話してみな。」
杉ちゃんは強引に彼女にきいた。
「でも、そんなことはいってはいけないというか、誰も聞いてはくれないというか。」
そういう彼女に、
「聞くか聞かないかは、こっちが判断することさ。僕らは聞くと言っている。だから、聞いてくれないなんて言ったら困る。」
と、杉ちゃんは答えた。
「大丈夫です。僕らは悪人ではありませんし、あなたの悩みを悪用するとか、そういうことは、しませんから。」
ジョチさんが優しくそう言うと、
「はい。あたしの、娘が発達障害と診断されまして。どうしたらいいのかなって、悩んでました。」
と、彼女は答えた。
「つまり、学習障害とか、そういうことですか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「はい、読み書きができないそうで。」
と、答える彼女。
「はあ、そうか。あきめくらか。」
杉ちゃんは、すぐ言った。
「あきめくらと言う言葉は差別用語ですよ。」
ジョチさんはそう訂正したが、
「いや、僕も読み書きできないけど、こうして誰かに代筆してもらって、写経会に参加させてもらってる。だから、読み書きできないと、正直に言えば大丈夫。ちゃんと生きていける。」
と、杉ちゃんは言った。
「そうなんでしょうか。着物なんか着て、同じ障害を持っているとは思えないけど。」
と、女性がいうが、
「だって本当のことだもん、しょうがないだろ。僕は和裁屋だ。和裁をやってるから、それで生きてるようなもんなの。お前さんの娘さんにも、これさえあればちゃんと生きていけるっていう特技をもたせた方が良いよ。それは、他のやつが、やりたがらないようなものをやらせるといい。これは経験者のアドバイスだ。良かったじゃないの。ここでお話して、それでなにかに繋げられたんだからよ。やっぱりな、人間黙ってるってのは、良くないんだよね。特に、こういう障害を持ってるやつは、できるだけオープンにしていた方がいい。それも、経験者は語るだな。ははははは。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「ところで、お前さんの名前何ていうの?」
「はい、岡本と申します。正式には、岡本かおり。そういうふうに話してくれる方だと、やたら偉そうな感じの方でも無いですね。それに、わざとアドバイスして自分が偉そうに見せているようなそういう人でもなさそうですね。」
と、岡本さんは言った。
「そうなんだ、岡本かおりさん。娘さんは?」
と、杉ちゃんが言うと、
「岡本茉利です。」
と、彼女は答えた。
「そうですか、僕達は、怪しい人間ではありません。ただ、そういう発達障害とか、精神疾患などの方を日頃から相手にしているものですから。それで、あなたのような方を見ると、放っておけないんですよ。もし、なにか相談したいこととか、困った事がありましたら、教育機関とか、そういうところを紹介することもできますので、もしよかったら、ここに電話してください。」
ジョチさんは急いで、手帳のページを破り、自分の名前と、製鉄所の住所、そして電話番号、あと、自分の電話番号を書いて、彼女に渡した。
「ほんとうに、良いんですか?」
という彼女に、
「ええ大丈夫です。いつでも相談は受け付けておりますし、利用するのに年齢制限はございません。娘さんの年齢はおいくつなんですか?」
とジョチさんは聞いた。
「ええ、まだ五歳です。それが、断られてしまって、保育園には行っていませんけど。富士市内の保育園を全部回りましたが、全部ダメでした。」
と、答えるかおりさんは、本当に苦労したんだなという顔をしている。これがずっと続いてしまうとなったら、かなり疲れてしまうだろうなと思われる顔だった。
「そうですか。それは公立の保育園を回ったのですか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「ええ。私立の保育園は、お金がかかりすぎて面接を受けることができないのです。私、シンママですし。」
と、かおりさんは答えた。
「そうですか。それでは私立の保育園を当たってみたらどうでしょう?私立の保育園は高いというイメージが有るとは思いますが、市役所に申請すれば、補助金等が出る可能性があります。諦めてはいけません。」
と、ジョチさんはにこやかに言った。
「そうなんですか?全然知りませんでした。だってこども未来課に行っても、断られるばっかりで。」
と、かおりさんはいう。
「まあねえ、お役所は役に立たないからね。ときには感情的になってもいいよ。そういう威張ってばかりのお役所では、適切な子供さんの育成なんてできないよな。」
杉ちゃんは軽く口笛を吹いた。
「もし、そのようなことで、相談したいとか、そういう事があったら、僕に電話かけてくれれば、相談機関を紹介できますから、遠慮なくお申し付けください。僕達は変な宗教とか、そういうものとは一切関係がありません。ただ、そういう援助をしているだけです。よろしければ、僕たちが破っている製鉄所にも、娘さんを連れて遊びに来てください。」
ジョチさんがそう言うと、
「何をしているんですか?写経会、始まりますよ。」
と庵主様が声をかけたため、杉ちゃんたちは急いで、寺の本堂に行った。そこに行くと、写経用紙が三枚と、筆が三本おいてあった。杉ちゃんは文字がかけないので、ジョチさんに筆を持ってもらって、動かしてもらいながら、般若心経を書いている。それをかおりさんは、じっと見つめていた。庵主さまに促されて書き始めたけれど、杉ちゃんたちのことが気になっている様に見えた。
二人が、写経会に行って数日がたったある日。
「あの、理事長さんお電話です。」
と、利用者がジョチさんに言った。ジョチさんは急いで電話のある応接室へ行って、受話器を取った。
「はい、お電話代わりました。曾我でございます。」
「あの、すみません、突然で。こないだ、写経会でお会いした、岡本かおりです。岡本茉利の母親です。相談しようか迷いましたが、あの方の黙っているのは行けないという言葉を思い出して、なにかしなければ行けないと思いまして、、、。」
先日あった岡本かおりさんだった。
「ああ、岡本さんですか。どうしたんです?私立の保育園にアクセスはしてみましたか?」
と、ジョチさんが言うと、
「そのことで、お話を伺いたいのですが、あの、どこかでお会いしてお話できませんか?できれば、カラオケボックスとか、人が来ない場所で話をしたいんです。申し訳ありませんが、茉利をそちらで預かってもらうわけには?」
とかおりさんは言った。
「そうですか。カラオケボックスは、会議をするのにふさわしい場所ではありませんね。それでは、製鉄所に来てくれませんか?富士山エコトピアの近くございます。」
ジョチさんはそう話した。
「じゃあ、今日の二時でもいいですか?二時に、茉利と一緒にこさせていただきますから。」
そういう香りさんに、
「はいわかりました。住所は富士市大渕、、、。」
とジョチさんは、製鉄所のところ番地を言った。かおりさんは、ありがとうございますと言って電話を切った。それからお昼すぎになって、
「こんにちは。岡本です。」
玄関先に女性が一人やってきた。もし子供が一緒なのなら、もう一回こんにちはという声がするはずなのだが、しなかった。杉ちゃんとジョチさんが、玄関へ行ってみると、小さな女の子が一人いた。でも、彼女は口をへの字に結んだまま、声も出そうとしない。
「はああ、無言症か?」
と杉ちゃんが言うと、かおりさんは小さく頷く。
「そうか。よほど、辛いことがあったんだね。」
と、杉ちゃんはいうと、茉利という小さな女の子は、杉ちゃんの方を見た。
「じゃあ、僕が彼女を見るから、ジョチさんはかおりさんの相談に乗ってあげて。」
杉ちゃんは、にこやかに笑って、
「じゃあ茉利ちゃん、おじさんと一緒に、音楽しよう。」
と言って、茉利を四畳半に連れて行った。ジョチさんはその間に、かおりさんを応接室へ連れて行った。
杉ちゃんと茉利さんは、四畳半に行った。四畳半には水穂さんが待っていた。茉利さんをきらきら星変奏曲で出迎えたが、茉莉さんは何も反応しない。水穂さんがもっと子供らしい曲が良いかなと言い、シューマンの子供の情景を弾いたのであるが、茉莉さんはやっぱり何も反応しなかった。
「おい、茉莉ちゃん。シューマンは面白くないの?」
杉ちゃんが言っても答えない。
「じゃあ、子供が好きなディズニー・アニメの曲でも弾いてみてくれ。」
水穂さんは、アラジンのテーマを弾いた。茉莉さんは、悲しそうな顔をした。
「はあ、ディズニーは嫌いかなあ。なにか理由を話してくれれば良いんだけど、何も彼女が話してくれないから。」
と、杉ちゃんが言うと、彼女は、どうして大人というものはこういう事を言うのだろうというような顔をした。多分、話すということで怒りを現しても無意味だったという経験をして、話せないんだと思う。
「そうなんだね、よほど、悲しいことがあったんだね。でもおじさんも杉ちゃんも、あなたの事を何も悪く言うことはしませんから、安心してくださいね。」
と、水穂さんが演奏を止めて、彼女にそう言うと、彼女はまた表情を変えた。
「そうか。こんな大人は初めてみたか?」
と杉ちゃんが言うと、
「何も怖いことはありませんよ。大丈夫です。あなたが聞きたい曲はなんですか?」
水穂さんが優しくいうが、茉莉さんは何も言わなかった。それと同時に、ピアノの上に置かれている譜面を見た。それを怒りを込めた目で見つめていた。
「はあ、なるほど。これは僕の勝手な想像だけど、もしかして、楽譜が読めなくて、怒られたか?」
と、杉ちゃんが言うと、彼女はまた驚いた顔をした。
「図星か。まあ確かに保育園の先生なんて、阿羅漢ばっかりだし、変に舞い上がってしまうやつばっかりだからな。ちょっとでも従わないやつが居ると、直ぐ大声上げて怒るしな。だから、教育者ってのは嫌いなんだよ。音楽は、楽譜が読めなくても楽しめるはずなのに、教育者が変なところで順位をつけるから、音楽が嫌いになっちまうんだよな。じゃあ、楽譜を必要としない、音楽を聞かせてあげよう。」
杉ちゃんは腕組みをしていった。
「そんなものあるんですか?」
水穂さんがそう言うと、
「あるじゃないかよ。キュイに電話かけて。」
杉ちゃんは即答した。水穂さんは少し考えて、
「わかりました。ちょっと彼に電話をしてみます。」
と言って、杉ちゃんのスマートフォンを借りて、カーリー・キュイに電話した。キュイは、無言症の女の子がいるというと、直ぐ行くと言ってくれた。
10分ほど待って、キュイがやってきた。ジョチさんたちは、まだお母さんの相談が終わっていないのか、反応はなかったが、キュイはすぐにバラフォンを持って、やってきた。
「こんにちは。」
とはいってきたキュイに、茉利さんは、何も言わないまま、不思議そうな顔で見ている。確かに彼女に取って、外国人を見たのは初めての経験かもしれなかった。それが、いつもにこにこしている黒人のバラフォニストなんていうくらいだから、余計にびっくりするだろう。
「彼女が岡本茉利さんだ。なんでも楽譜が読めないせいで、音楽どころか、人生も楽しめなくなってしまっているようなんだよ。だからちょっと、楽譜が要らないバラフォンを教えてやってくれ。楽譜がなくても、音楽できるということを示してくれよ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「わかりました。じゃあ、まずマレットの持ち方から始めましょう。」
キュイはバラフォンのマレットを取った。茉利さんは、その原始的な楽器に興味を持っているようだ。木の板を紐で縛って並べて、その下に共鳴用として、ひょうたんがぶら下がっているバラフォンはとても金持ちの国の西洋楽器とは、ぜんぜん違う形だった。キュイは、茉莉さんにマレットを持たせて、
「まずはじめに、きらきら星を叩いてみましょう。」
と、茉莉さんの手を取って、そっとバラフォンを叩き始めた。そのひょうたんで共鳴させる、素朴な、でもちょっと悲しい感じのする音色に茉莉さんはとてもおもしろいと思ってくれたようだ。何回か叩いてみると、今度は茉莉さんが自分できらきら星を叩き始めた。もうドドソソララソの位置もすぐに覚えてしまったようだ。夢中になって楽しそうにドドソソララソとバラフォンを叩きながら、彼女はとても楽しそうな顔をした。それにあわせて水穂さんが、モーツァルトのきらきら星変奏曲を弾き始めた。彼女はそれにあわせて、楽しそうにバラフォンを叩いた。それを何回も繰り返したので、結局第八変奏を除いて、第十二変奏まで弾いてしまった。
「とても楽しそうですね。」
と、水穂さんがそう言うと、彼女はまたバラフォンを叩き始める。
「よほどバラフォンという楽器が好きみたいだな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「じゃあ今度は、TVアニメの風のとおり道を叩いてみましょうか?」
キュイがもう一度マレットを持たせて、別の鍵盤を叩かせた。茉莉さんはそれもすぐに覚えてしまって、すぐに風のとおり道を叩けるようになってしまった。また水穂さんが即興でピアノで伴奏してあげると、茉莉さんはとてもうれしそうな顔をした。
「どうもありがとうございました。私、こういう子供の育て方というか、国の補償制度とか、何も知りませんでした。理事長さんに教えていただいて嬉しかったです。」
と言って、お母さんの岡本かおりさんが四畳半にやってきた。それにも気が付かないで、茉莉さんは、風のとおり道を叩き続けている。そのくらい夢中になれる集中力も、また彼女のもつ力だろう。
「はあ、お前さんは、本当に宇宙人だな。バラフォンというUFOに乗って、どこかに行ってしまったようだ。まあ地球の女の子だったら、ここまで夢中になることはない。まあいいさ。それでは、宇宙人をずっと貫けば良いんだ。」
と、杉ちゃんがカラカラと笑った。
「でも、こんなもの習えるほどのお金が無いし。」
かおりさんが残念そうに言うと、
「大丈夫ですよ。アフリカの楽器ですから、そんなに、高価なものではありません。一万円あれば十分です。もし、可能であればで結構ですから、ぜひ、私のバラフォン教室に来てください。」
とキュイが優しく言った。そして、かおりさんに自分の名刺をそっと渡した。
「でも、こういうところで、習うとなりますと、お金もかかるでしょう?それに先生は、高名な先生でしょうし。そんな方に、わざわざ教えてもらうなんて。」
かおりさんがたじろいでそう言うと、
「いや大丈夫だよ。せっかく、バラフォンを叩けるほど才能があるんだから、それを大人が摘み取っては行けないとおもうけど?」
と杉ちゃんは直ぐ言った。まだ迷っている顔をしているかおりさんに、
「お母さん、娘さんはバラフォンの才能をお持ちです。それに、バラフォンは、神聖な楽器ですから、いい加減な事はお伝えしません。私も、娘さんの事は、真剣に考えています。ここに居る、水穂さんも、杉ちゃんも。幸せじゃないですか。こんなに娘さんの事を考えてくれる人が居るって。」
とキュイがにこやかに言った。色の黒い人なので、ちょっと表情が読み取れなかったが、キュイは優しそうに茉莉さんをみた。
「大丈夫だよ。読み書きができないんで馬鹿にするようなやつは、ろくなやつじゃない。そんなやつの言葉に一喜一憂していたら、これから先、やっていけなくなっちまうよ。それよりも、彼女がどこで楽しくしてくれるか、そっちを見つけたほうが良いのではないかな。」
と、杉ちゃんが言った。
「ええ、どんなに辛いときでも、生きがいがあれば、やっていけるものです。それはご自身のためかもしれないし、娘さんの事を、考えることでもいい。杉ちゃんの言う通り、大人が勝手に可能性を取ってしまうのはいけないことです。日本では、それを教育だと思い込んでいる人が多いのですけど、その被害者が、良く私のところに来るので、困っております。」
杉ちゃんの言うことにキュイが付け加えた。確かにそのとおりなのだ。教育ってなんだろう。なんだか裏ビジネスというか、本当は、先生とか大人が、自分たちの都合のいいように動かしているだけに過ぎない。成績が優秀であるということは、いわゆる大人の言うことを聞きすぎているということである。
「できれば、一言だけでもなにか喋ってくれれば良いのですけど、、、。」
と、お母さんである岡本かおりさんが言った。
「まあ、大丈夫だよ。いずれにしても、彼女のことを、地球人だと思って育ててはいけないよ。それよりも、彼女は、宇宙人で、UFOに乗っけて挙げられるようにしてあげてね。」
杉ちゃんがカラカラと笑った。
UFO 増田朋美 @masubuchi4996
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