A.コーヒーとアップルパイを二つずつ

@nero1224

第1話

毎週水曜日。学校帰りに喫茶店に行くのが朝日の唯一の楽しみだ。

喫茶店というのは何故か勉強が捗るし、休憩するときに周りの会話を盗み聞きするのがいけないことをしている感じがして少しの昂揚感があった。

今日は水曜日。重いリュックを背負いながら汗ばむ額を拭い、そしていつもの喫茶店に足を踏み入れた。

クーラーの涼しさが一気にきて思わず思わず息が漏れる。

店内は全て木のブラウンのテーブルで纏められていて、椅子は木の椅子、それから落ち着いた緑色のソファで統一されている。少しだけ薄暗くLEDではなくオレンジ色の白熱球。誰もが思い描く喫茶店、という感じだ。


「いらっしゃい。朝日君が来ると水曜!って感じするのよね。」

「えー何それ。」


毎週行っているのだから数少ない従業員とは全員顔見知りだしこんな風に軽口を叩けるくらいには仲がいい。

この感じ、通、というか何というか少し大人になったような気がするし常連認定は喫茶店において居心地の良さを上げているような気がする。


「ごめんね、いつもの席空いてないの。別の席でもいい?」

「うん。大丈夫」


いつもの席とは、一番隅の2人用の席。そこを見ると恋人同士であろう男女が楽しそうに談笑をしながら座っている。結構今日は人が入っているようで、というより今日は1人で来ている人が少ないのだろう。カップルや女子高生二人組。同じく勉強目的であろう男子高校生が四人、朝日からすると祖父母くらいの年齢に当たる人が六人程。だからか空席は少なく感じた。

少し残念だがそれを悟らせまいとこくりと大きく朝日は頷くと、窓際の端の席に案内された。

日当たりが良くてここも良いな、なんて単純過ぎるだろうか。

リュックを机に置く。教科書やノートの重みでどん、と少し音が鳴ってしまい恥ずかしさに窓の方を眺めた。

今日は暑いからか半袖の人と長袖を捲っている人。皆どこか気怠そうに歩いている。そんな中でクーラーの効いた部屋にいると言うのは少々の優越感を朝日に齎せた。が、恥ずかしいことには変わりない。


「朝日君、いつものでいい?」


とお冷やを持ってきた従業員に言われると照れたように肩を竦めて朝日は笑った。

いつもの、とはコーヒーとアップルパイ。両方ともこの店の中で一番安い飲み物と食べ物だ。

四五〇円のコーヒーと四八〇円のアップルパイ。

朝日の学校はバイトが禁止だしお小遣いも微々たるものだ。本当は毎日でもお店に行きたいのに行けないのはここに理由がある。喫茶店の中でもここはコーヒーに拘っている方だから一週間に一回でも学生の朝日にはきついのだ。

だが、毎回一番安いものとなると流石に罪悪感があり、基本従業員にはタメ口である朝日はいつも「お願いします」なんて敬語で答えてしまう。

「はーい」と従業員が厨房に戻ったのを確認すると今日勉強するものをリュックから出した。

今日は数学。朝日は数学が大の苦手だからこそ、このカフェでやる分だけでも頑張ろうとワークとノートを広げシャーペンをかちかち、とノックして芯を出す。目標はワーク十ページ分終わらせること。

しかし十分も立たない頃に朝日はシャーペンの芯を叩きつけるようにして戻した。苦手科目というのは集中出来ないし解けないしで苛々してしまう。思わずああ、と声が漏れた。

そのタイミングで「コーヒーとアップルパイです」とそっとその二つを置かれた。

丁度いい、朝日にとっては嫌なタイミングだ。恥ずかしさから「ありがとうございます、」と小さな声で答える。

苛々してばかりじゃだめだ、と一旦ノートを退かしてコーヒーとアップルパイの皿を自分の方に引き寄せた。

コーヒーの下に添えられている皿にはポーションタイプのコーヒーミルクが乗っていて、それの蓋を開け、コーヒーの中に入れる。朝日は大人になりたい、と強く思ってしまうタイプで背伸びをしてコーヒーを飲んでいるようなものだ。最近コーヒーの美味しさに気付いてきてはいるものの、苦いのはあまり好きじゃない為に、コーヒーにはミルクも砂糖も入れる。ミルクを入れた時に作られるマーブルが朝日は何となく好きだった。ゆっくりとスプーンで混ぜていく・完全に混ざり切らないタイミングでその作業をやめる。コーヒーを飲む前にアップルパイを一口食べて、飲む直前になったら砂糖を入れる。そのタイミングで完全に全て混ぜてしまう。これが朝日のコーヒーを飲む時のルーティーンだ。

アップルパイに目を移すときらきらと光っているような気もするパイ生地。此れがバターの風味が強くそれとともに水分を奪われるようなサクサク感が堪らないことを朝日は知っている。そして中に入っているりんごは甘酸っぱくてとろとろによく煮込んであって、それでいてシナモンが丁度よく風味付けがしてあって最高だ。しかもこの店はアップルパイにバニラアイスが乗っているのだ。温かいアップルパイに冷たいアイスの相性は言うまでも無いだろう。

フォークを手に取りアップルパイを一口に切り、アイスを乗せる。最高だ。口の中でバランスよく全てが合わさって、勉強で疲れた脳を糖分が癒してくれるような、そんな言い表しようのない感情が脳を支配する。全員にこの感覚を知って欲しいような誰にもこの感覚に気付いて欲しくないような、そんな感情。この瞬間の為に無駄遣いせずにお小遣いを貯めているのだ。一口食べたら、コーヒーを飲まなくてはならない。朝日は角砂糖が入っている瓶を手に取り、コーヒーの前に置いた。そこで気付いた。シュガーポットの下に何か悪戯書きのようなものがいくつも書かれている。

一番上に書かれたものはこれだ。


「Q.貴方が考えるI love you の訳とは?」


夏目漱石がI love youを月が綺麗ですね、と訳したのは有名な話だ。「死んでもいいわ」とか。愛というのは文学だけでなく芸術においてとても論点に置かれることが多いものだ。これを書いた人の走り書きのような、でもどこか丸い可愛らしい文字から女子高生の雑談の中で出てきたのだろう、と朝日は勝手に推測した。

その下には恐らくそれに対する答え。意外と色んな人が書いているんだな、とこの席に座るのが初めてだから色々発見してしまった気分になる。従業員は気付いてるのだろうか。気付いていないなら言うべきだろうが、敢えて残している可能性もある。人の書いたものというのは消しずらいものだし、それにこの問いは遊び心があって面白い。

目標であった数学のワーク十ページなんてそっちのけでそれを眺めてしまった。


「A.キスしたい」


とか率直なものもあれば


「A.寂しいのは苦手です」


きっとひとりにしないで、とかまだ一緒にいたい、そういう意味なのだろう。相手と離れている寂しさを伝える素直な言葉だ。


「A.ちょっと遠回りしようか」

「A.また明日ね」


なんて、日常的な会話なのにどこか恋心を秘めた言い方がぐっとくる。

ちょっとした会話が恋には大きな意味が含まれている。


「A.今日は帰りたくありません」


そんな少しエロティックなものもあって男子高校生でもある朝日はどきどきしてしまった。

こういった回りくどさというか奥ゆかしさは男性だけでなく女性、全ての人の心を擽るのだ。

日本人らしさ、というと違うかもしれない。きっと世界中どこであってもきっとそうだと思う。日常の何処かしらで誰かが言っているような、そんな言葉が美しい。

朝日はシャーペンを手に取った。まだ恋なんて分からないけれど、それでも愛を伝えるならこれがいい。

自分なりのI love youは


「A.コーヒーとアップルパイを二つずつ。」

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