第51話

―—数分が経って、身体は少しずつ痛みに慣れてきたようだ。


 薄い色彩を帯びた視界の中に、ギルの姿が浮かび上がる。

 ギルはこれ以上鹿芝に危害を加えられないよう、奮闘しているようだった。ティークと剣を交えて、そのたびに互いの刃から斬撃の衝突音が放たれて辺りの空間を甲高く何度も震わせ、再度斬撃をぶつけ合う。戦況は拮抗していた。

(身体に上手く力が入らない。修復が、できない)

 ただただ血が流れ出ていく。痛覚が全身を呑み込んでいく。しかし―—

「...おい!お前大丈夫か!」

 馬の蹄が骨に満ちた地面を打ち鳴らす音が聞こえたのち、男の声が降ってくる。どこかで、聞いた覚えのある声だった。

「平気ですから早く!ここを離れてください!そこにいられるとマサカネ様も巻き込んでしまう!」

 ティークの振るう騎士剣の衝撃を伸縮刀で受け止めながら、ギルが叫んだ。

「いやこいつの身体どう見たって...ああもういい!連れてくぞ!」

 男は馬を下りて、脱力しきった鹿芝の身体を抱きかかえた。

「くっそ...ギルには同情するよ。片手の感覚がねえってこうも不憫なもんなんだな...ったく!...行け!」

 そのまま、投げ飛ばされるように馬に乗せられた鹿芝は、今にも消し飛びそうな気力で馬のうえに跨る態勢を保った。男が鞭を振るうとともに馬は走り出し、蹄を打ち鳴らしながら南西の方角へと地上を駆け抜けていく。


 薄く瞼を開けて、視界を満たす青空の色を眺めていると。

「気が付いたか!ここがどこか分かるか...って俺も土地勘ねえからよく分かんねえけど...」

 男が語りかけてくる。息も絶え絶えの、疲労を感じさせるトーンで声を発している。

「それにしてもお前、前と変わらず丸腰だな。俺がやった短剣と斧と、あと鎖とかどうしたんだよ。売り払っちまったのか?」

 その言葉で、鹿芝は気づく。彼は、異世界を訪れてから初めて鹿芝と会話した男だ。短剣や斧や鎖も、思えば彼が与えてくれたものだった。そこまで思い出して鹿芝は、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。

「ええと...おそらく体内に、吸収しました」

「は?え?何?お前食ったの?刃物を?」

「いやたぶん...食べたわけじゃないんですけど...」

 表情からして、驚愕というより困惑に近いものを表した顔だった。

「あ...あとお前、急に身体が光ったと思ったらさっきまで無かった手足が急に生えて、仕舞いには腹に空いてた穴もいきなり塞がったし、あれどういう原理で治したんだ?今まで見たことねえぞ、あんなの」

「自分でも良くわかんないんですよ、あれ。偶に俺が意識しなくても勝手に身体を治してくれるときもあるし、なんていうか気まぐれなところがあるというか...正直上手く説明できる自信はないです」

「なんだよそれ。まあいい。ところで一つ聞きたいんだが...俺が持っていた至極石がどこいったか、知ってるか?知ってたら教えてほしい」

「あ。えっと...」

 鹿芝の額を冷や汗がなぞった。思えば、ペイン相手に使った至極石の所有者は元々この冒険者の男だ。初めてこの男と出会った夜、鹿芝に至極石の特徴を口に出されただけであれだけ憤っていたのに、至極石の力を全て使い果たしたなどと言えば本当に殺されかねない。鹿芝にはそう思えた。

「もしかしてお前、あの死極石の力を使い果たしたりとか、してねえよな?」

「いや...そんなことは...(ギルとも似たやり取りしたな...なんかデジャヴだなこれ...)」

 弾かれるように、男から目を逸らす。その様子ではもはや態度で『はいそうです』と言っているようなものだが。

「まあ...もう別にいいよ。元々、あれは俺には荷が重すぎた。お前と初めて会った日の夜、俺の仲間たちを殺して回ったあの物騒な野郎を呼び寄せたのは、たぶん俺だ。至極石の気配をあいつは、嗅ぎ回ってたんだろう。そういう体質を持っている人間がこの世界にはいるから、死極石をうっかり拾っちまったやつは用心した方がいいって話は聞いたことがあったんだがなあ...あの時は、浮かれてたんだろうな」

「そんなことは...」

「気なんて使うな。これでも俺は一端の冒険者だ。命狙われようが片手を失おうが、泣いて喚いてる時間なんてねえんだ。それと、お前が安静にしていられるように今まで馬を遅く走らせていたが、身体の調子さえ平気そうなら少し速度を上げる。ひとまず、なるべくあそこから距離を取るぞ」

 男が、視線を馬の向かう方角とは反対へと向ける。その先には、ロイリア邸。ティークとギルは未だ、戦闘を続けているようだ。三本首の竜の姿も、地平線に沈みつつあるが伺える。

 けれどそれとは別の光景が鹿芝の脳内には少しずつ、滲むように広がっていって。

「あれ...なんで俺、今になって...」

 そのとき。


―—我が同志よ。敵を、鹿芝将鐘を喰い殺せ。


 ティークの声音が、脳の奥から耳へと湧き上がるようにして、鹿芝には聞こえた。その場にティークはいないのに、声が聞こえた。はっきりと。強い思念の込められた、彼女の指揮下にある者に対する命令が。

「ティーク...」

 それから十数秒が経過して、不意に、肌の表面に怖気が満ちた。それは、自らの生存本能に則したものか、あるいは―—

「どうして...俺は...」

 遠くから何重にも人間らしかなぬ奇声が鳴り響く。ロイリア邸のある方向から甲高い咆哮が鳴り響いて、鼓膜を揺さぶる騒音の群れが徐々に、翼が空中を叩く音の気配と併せてこちらへと迫ってくる。


―—やがて、数十匹にも及ぶ飛竜の群れが地平線の奥から飛び出て、こちらへと距離を詰め始める。


「くそ...追ってきたか...振り切るぞ!」

 男が片手で握り締めた鞭を振るい、空気抵抗を殺すべく屈んだ体制で加速を重ねる。蹄が土砂を打ち鳴らす音色のテンポがけたたましく速まっていく。

「おい!そんな顔しねえでも大丈夫だ!振り落とされねえよう俺の身体にでもしがみついてろ!」

 どうして、今になって思い出してしまうのだろう。

「違う...」

 息を震わせながら、鹿芝は遠くの地平の奥をか細い眼差しで力なく見詰めた。

「俺は...取り返しのつかないことを...」

 その瞬間、脳の奥に響くような音が、聞こえた。杖を地面に突くようなそんな音が一つ、遠くから鳴り響くのを感じ取った。その余韻が、曖昧な気配がなぜか、音を放った者の正体を感じさせた。

(ギル...?)

 刹那、視界の中にいた全ての飛竜の肢体が横に六等分される形で、滑らかな断面を晒して唐突に断裂した。舞い落ちる鮮血に覆われた臓物を散らして、断末魔すら発する余裕もなく。そのまま、視界の中に存在していた飛竜十数匹が一斉に、翼を羽ばたかせて舞っていた空中にて一瞬にして、無残にも死骸へと成り果てた。

 零れ落ちる血の粒が、雨のように無数に空の上から降りてくる血の粒が一滴、理由も分からず反射的に地平線の向こうへと伸ばしていた指先へと、触れた。

 そのとき、理解する。ティークの、言葉の意味を。

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