第42話
鹿芝、土鯉、須床の順に、黄色い紋様の刻まれた赤色のカーペットを踏み締めて通路を進み、その後ろでミリシアが歩く。彼らを先導する六人の騎士たちの重厚な足音が、鎧の擦れる雑音が一糸乱れぬ律動を保ちながら、目的地へと向かっていく。
視界の端には、窓越しに広がる空の茜色。時刻は夕暮れ時のようだ。
「こちらです」
先頭に立つ騎士の一人が、廊下の壁沿いに立ち並ぶ三つの扉の前でそう告げる。
「え...?これ、一人で一部屋ですか?一部屋で三人じゃなくて?」
「はい。ご自由に使っていただいて構いませんよ」
須床とミリシアがそんな会話を繰り広げていると。
「うわー。マサ、これ見てどう思う?」
土鯉は自分用に用意された部屋の玄関扉を開け放ち、その広々とした内装に驚愕していた。
「いやなんか、急展開過ぎて脳味噌が現実に追い付かないです」
「だよなあ」
鹿芝と土鯉が感嘆の声を漏らしたところに、ミリシアが。
「部屋にお通しする前に、皆さんに三つの約束についての話をさせていただきます」
「約束、ですか...?」
須床がミリシアの言葉に反応する。
「はい。私とあなたたちとの約束。あなたたちが不必要な苦しみを味わうことの無いよう、あなたたちに最善の道のりを示すことは、私が担う役割の中でも最重要事項に分類される一つですから」
「不必要な苦しみ...って、その忠告に従わなかったら死ぬとか、そういう系のやつ?」
土鯉がそう疑問を呈すると、ミリシアは変わらず微笑みを浮かべたまま答える。
「いいえ。私が尊重するのは、あくまであなたたちの自由意志です。なので、私は仮にあなたたちが私の意思を拒むのなら、それに干渉するつもりはありません。これは例の一つですが仮に、あなたたちが自らの意思で死を望むのだとしても、私は自由意志の範疇に及ぶとし、それを許容します」
ミリシアは扉の開け放たれた土鯉用の部屋を指さして、その内装の壁際にあるクローゼットを指さして。
「あなたたちの身に着けている制服を、それぞれの部屋にあるクローゼットに仕舞っておいてください。寝間着や普段着を含む代わりの衣服は、ベッドの上に畳んでありますので、これからの生活では制服は使用せずそれらの衣類を使用してください。これが、最初の約束です」
「どうしてそんなことをわざわざ...」
鹿芝が戸惑いながらそう尋ねると。
「先程述べた通り、私はあくまであなたたちの自由意志を尊重します。ですから、従わなくても構いません。二つ目と三つ目の約束を伝える際も同様、あなたたちが拒むのなら私はそれを許容します」
約束の内容に疑問を感じるのなら、従わなければいい。
それを暗に伝えていることぐらい、鹿芝でも理解できた。
「二つ目の約束は、何ですか?」
「話すべきときに話しますので、どうかこれからも焦らず日々をお過ごしください。今ここで何を思考したところで、未来は何一つ、変わることはないのですから」
須床の問いにも、ミリシアが応じる気配は無く。
「では、私はこれで失礼します。是非、この世界での生活を満喫して下さい」
ミリシアの白装束に包まれた背中に追従する、騎士の重々しい鎧の放つ音が遠く離れていく。
その後、三人は少し談笑してその場で解散したのち、各々の寝室に足を踏み入れることにした。
「うわー、贅沢過ぎんだろ。これ」
一人一人、別々に寝室が用意されている。極平凡なただの学生に、こんな贅沢が許されてしまっていいのだろうか。
しかも、床も壁も天井も黄金色の装飾が施されていて、ベッドも一人用とは思えない感覚の大きさで、目にしたもの全てが新鮮に映るような、夢を見ているんじゃないかと何度も思うような時間だった。
「すっげえ...テラスがある」
玄関から向かいにある窓ガラスの奥には半円状に出っ張ったテラスがあって。
「これ...夢じゃないんだな...」
そこから見下ろした、西洋ならではの街並みを一望できる眺めも。
「夢じゃないんだ...」
全身で浴びる夕焼けの眩しさに織り交ざった緩やかな風も。
「すっげえ...!」
全て知っている。覚えている。
(どうして、一度見たはずのこの景色を、こんなにも懐かしく思えるんだろう)
この世界に感動を覚えるその瞬間の表情を、過去の自分が浮かべる満面の笑みを、『現実』の時間軸を生きる鹿芝将鐘の視点は、ただ無表情に見詰めていた。
――静寂に包まれた朝だった。
瞼を擦ると、そこには見慣れない天井。
視線を下げると、そこには自分の身体がベッドの上に寝そべっている。身に馴染みの無い寝間着を身に纏っていて、部屋の香りや色合いもどこか、目新しいような。
「あれ...?どこだここ...」
視界が色と輪郭を取り戻した瞬間、少し間を置いて昨日の記憶が脳裏を駆け巡る。
城の客室にて、鹿芝は目を覚ました。
「そうだ俺...異世界に来て...」
ベッドから身を起こして、靴で床を踏んで室内を歩く。柔らかなカーペットのその感触、それが靴裏の向こうから両脚に伝ってくる感覚。それが自分が今、この世界に生きているという事実を物語っている。
「本当にこれ...現実、なんだよな...」
一晩を過ごしてもなお、やはり信じ難いことだった。
いつもなら、七時前ぐらいに目を覚まして、二階の寝室から一階のダイニングテーブルまで階段を下りて向かって、そのままテレビでニュースを観ながら母の用意してくれる朝食を摂っていた。歯を磨いて、胸元に校章をあしらった赤い刺繍の入ったワイシャツに袖を通し、ズボンを履いてベルトを締めていた。
「父さんも母さんも...家も学校も、スマホも勉強も何も無くなった」
自転車に跨って、コンクリートの上で、左右交互に一定のリズムでサドルを踏み込んでいた。下駄箱で靴を履き替えて、教室に向かって、その日の時間割に沿って室内のロッカーから教科書を取り出して、机の中に仕舞い込んでいた。
「全部消えた、って当たり前だよな。違う世界なんだから。欲しいものを気軽にコンビニで、なんてことも出来ない。そう考えると不便極まりないよなあ...」
そんな鹿芝にとっての何気ない日常は、もう、この世界には存在しない。
「いやいや、剣と魔法のファンタジーな感じの世界に来てまでそんな夢の無い話するとか、俺どんだけ悲しい人間なんだよ。もうちょい夢持とう。せっかくの異世界だし」
鹿芝は部屋の脇に置かれたクローゼットを開け放ち、鹿芝に用意された中世さながらの衣類上下セットを取り出して、ベッドの上に放り投げて、ふと。
「制服とも、もうおさらばか」
クローゼットの中にある、畳まれた学生服一式をしばらく見詰めて、静かに扉を閉ざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます