第41話 2/12

「なんなんだ」

 膝を地面に付けたまま、両手で頭を抱えて。

「なんなんだよ。意味が分かんない。なんでフィアは死んだんだよ?なんでペインは死なないんだよ?アンナって誰だよ?ここはどこだよ?俺、ここで死ぬ?死ぬのか?」

 目の前が良く見えない。霧に覆われたように朦朧としていて。

 悶える鹿芝を嘲笑っているみたいに、揺らめいて。

「嫌だ。嫌だ。嫌だ」

 色も形も無い世界が、身体中を満たすかのように。

「嫌だぁああ!!」

 そこに差す、赤い色。首筋から噴き上がる筋を描いて、鮮明な激痛が意識を塗り潰す。


――修復


 青白い閃光を拭い去って、痛みを抹消する。無意識下で行われるその一部始終に伴う感触が、刺し貫くように脳裏を駆け巡る。

「全部が...嫌だ...」

 涙で瞼の裏を焼いた。

「生きることも...嫌だ...」

 ただその感覚が頭蓋の内側を満たすのみだった。

「死にたい...死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」

 ひたすらに、この時間が終わることを願った。

「死にたい...」

 そして、思い出した。

――至極石を使ってはいけません。

 ギルの言葉を。

――あれは一見、単なる諸刃の剣のように思えますが、実際のところ、至極石は最終的に使用者を死に至らしめるただの猛毒です。

 ペインはフィアを殺した。

――どんな状況であろうとも、生き抜く術としてそれを使ってはいけません。あれは、人が使うべきものじゃない。

 なら、今、何をするべきか。

「道連れに...してやる...フィアのためにも...フィアを死なせたお前を...」

 少しずつ、視界が晴れる。

 壁と天井に包まれた閉塞的な空間。ペインの虚空を見つめるような眼差し。数百をも上回る数の、金色の骨で象られた腕。

 全てが、鮮明に映って見えた。

「至極石...俺に、力の全てを...」

 懐から取り出す、歪な色彩を宿すその結晶を掲げて。

「寄越せ」


 瞬間、視界が歪み、崩落する。光に包み込まれて、色彩が白一色に染まる。

(なんだ...?)

 やがて、視界が色を取り戻す。

 目の前に広がる光景には、どこか覚えがある。けれど、その正体が良く分からない。

 雰囲気として近しいのは、西洋の教会。部屋の広さは十数メートルくらいで、吊り下げられたシャンデリアが天井に灯りで円を描くように、放射状に鈍く光を放っている。四方にある壁は正面にのみドアがあって、材質は深みのある黒色の木の板が敷き詰められていて、植物由来の香りが充満しているのが感じられる。

 そして、碧く染め上げた煉瓦をはめ込んだような艶のある石畳の床の上には、肉眼で認識することすら難解なほどに複雑な紋様が、シャンデリアの真下である部屋の中央から円形に広がるように描かれていた。

「え?あれ?え?教室が燃えて...ええっ!?」

「何が起きてんのマジで!?」

 立て続けに、部屋の中を反響する二人の少年の声。

(え?)

 その声の主は、他ならない鹿芝将鐘、そして文芸同好会の先輩である土鯉だった。

(目の前にいるの...俺?)

 同じ空間に、もう一人の自分がいる。意味が分からない。理解が追い付かない。だけど、声を出そうとしても、出ない。そして気付く。

 ここにいる誰にも、この身体は認知されていないようだ。色も形も、姿も声も。

「落ち着け二人共!一旦、状況を整理しよう」

 鹿芝と土鯉を制するのは、同じく文芸同好会に属する先輩である須床。

「さっき、俺たちは同じ協同学習室にいて、机の上に置かれていた誰かのノートパソコンのソフトを起動した途端、爆音でノイズが響いたけどすぐにフリーズした。そこで、鹿芝くんと一緒に運ぼうとしたところで、ノートパソコンが発火した。そこまでは、皆同じだよね?」

 そう告げて、鹿芝と土鯉の二人に視線を送る。

「間違いないと思います。でも、その瞬間になぜかここにいて...ほんと、どういう原理でこんなことになってんのか...なんか頭が追い付かないです」

「ほんっとそれな。パソコンが燃えた最中に気を失って、気付いたら見たことのない場所にいた、とかならまだ納得できるけどなあ...仮に誰かが仕組んだとして、パソコンが発火した一瞬でこの場所に運び込むとか、普通に考えて不可能だよな」

 鹿芝に続いて、土鯉もそう述べて、三人共に頭を悩ませている。

(さっきまで、協同学習室にいた...?パソコンが発火した瞬間には、ここにいた...?)

 その様を、その一部始終を、誰からも認識されない視点から覗く鹿芝は、一心不乱に見つめていた。

(俺は今...何を見ているんだ?)

 思案に耽る彼らに漂う沈黙を破ったのは、須床の一言。

「パソコンが発火した瞬間に、ここに飛ばされた。そうとしか言いようがない。いや、きっとそれが事実なんだ」

 その言葉が響いて、またしばらく沈黙が続いた。

 しかし――

「ようこそ。日本の学生たち」

 少女の澄んだ声が、部屋の中を響く。

「私はミリシアと申します。突然の出来事に困惑なさっているでしょう。ですが、どうか落ち着いてください。私はあなたたちに敵意などありませんので、不安がらなくても大丈夫です」

 艶やかな桃色の髪を覆う、ヴェールの施された細身の神々しいドレスのような白装束。見紛いようの無い容姿。彼女は、農村の廃墟で襲い掛かってきた襲撃者の腕を砂に変化させた少女、時空の管理者だった。

 目元は、薄く白い布地が隠れていて見えないが、その視線がどこに向いているのは分かる。

「ミリシア、さん...?」

「はい」

 須床が目を見開いたまま、白装束の少女の名を呼ぶ。

「あの...ミリシアさんのお名前って、どう書くんですか?漢字とか、平仮名だと...」

「この世界に日本語の概念はありません」

「え?」

「この世界では、あなたたちの故郷である日本のみならず、地球のどの文化圏にも属さない言語体系が成り立っています。皆さんがそれを日本語と認識し、日本語を話しているつもりで言葉を発するだけでこの世界の人間と話せるのは、私が時空に干渉する際にあなたたちに与えた施し、もとい魔法によるものです」

 三人共、皆揃いも揃って絶句していた。

「それって、そんなのまるで...」

「異世界転移。文字通りの意味で、あなたたちはそれを果たした」

 鹿芝の発した声を遮って、ミリシアはその事実を突きつけた。

「なんか、実感湧かないけど...あのソフト、マジで人間を異世界に飛ばすソフトってことだったのか?」

 土鯉は頭を抱えながら。

「フィクション...だよな、異世界って。人が創った、空想上にある世界で、そもそも...は?いやいや...」

 須床は表情を引きつらせながら。

「本当に、俺...」

 鹿芝は呆然と、視線を虚空に向けて。

「異世界に、来たのか...!」

 けれど、須床や土鯉とはっきりと違っていたのは、その瞳に宿る期待。不安の色すらない、純粋な眼差しが爛々と輝いていた。

「こんな場所で立ち話をしていては疲れますでしょうし、この話の続きはまた今度にしましょう」

 そのとき、幾重にも鉄を擦り合わせるような重厚な足音が重なって部屋の中に響く。

「皆様方、こちらへ」

 鋼鉄の鎧を全身に纏う、ファンタジーさながらの騎士が六人。ドアの向こうから現れるなり、先頭の一人がそう声を発した。

 鹿芝、土鯉、須床の順に、各々、気持ちの整理を付けて、ドアの向こうへと足を踏み出す。

 その様子を眺める、ミリシアの視線が――

「ミリシアさん?」

 須床が、ミリシアに声を掛ける。

「いえ、なんでもありません」

――その光景の一部始終を見詰めていた、この場にはいないはずのもう一人の鹿芝将鐘の瞳を捉えて、彼女は微笑みを浮かべていた。

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