第40話 1/29

 意識が肉体から弾かれて宙を舞ったように、身体中の感覚を喪失していく。目の前が霞んで、色彩が剥がれ落ちていく。

――修復

 その寸前で、心の中でそう唱える。

 それと同時に、鹿芝の背に赤黒い翼が広がる。その表面を、網目状の青白い光が埋め尽くして、やがて光は全身を包み込んだ。

「なんだ...今の...」

 手放しかけた意識が回復すると共に、目に映るもの全てが徐々に色を取り戻す。呻くように息を漏らしながら、ピントの乱れた視界を睨みつけるように目を凝らす。

 鹿芝はうつ伏せの状態で、地面を這っていた。

 その背に広がる翼は、先程よりも十数センチほど収縮している。

(早く、起き上がらないと...)

 だが、鹿芝は逃れることができなかった。地面に手を突いて、起き上がろうとしていた態勢で、それを理解した。

 ペインの視線が、将鐘の頭上から降り注ぎ、それが鹿芝の瞳を捉えていた。

(しまった...)

 視線が重なった刹那、再び全身を駆け巡る、白く迸るような眩暈めまいの感覚。

 その数秒後に訪れる、喉が焼けるような叫び。傷口から皮膚の上を伝う赤い血液の感触。意識が歪んで砕け散るような、痛覚の絶頂に達した瞬間に訪れる、死というものに近しい色と味。

(嘘だろ...)

 ペインの背から生え伸びる黄金色の腕が、その爪先が、皮膚を千切り裂きながら斜めに胴体を抉り、その内側から血肉の湿り気と異臭がはだけていた。

 その全てを、鹿芝の瞳が認識して。

――修復

 二本の脚、手、腹部、頭。

 鹿芝の翼を起点にそれらを順々に巡った青白い光が、人の形を象るその輪郭から流れ落ちて、傷口や血の痕すらも時を遡ったかの如く元通りに抹消される。

(駄目だ...目を合わせたら...)

 意識が蘇ったその瞬間に、鹿芝は自分の両眼を掌で覆い隠した。

「将鐘。目を開けて」

 暗がりに落ちたその視界に、ペインの声音が鳴り響く。

 鹿芝は、何をすればいいのか分からなくなった。目を合わせれば、ペインの瞳が有する暗示の効力で動けなくなる。けれど、このまま視界を塞いだままでは、移動することすらままならない。

 どうしようもない。

「じゃないと、余計に痛みが長くなるよ」

 直後、黄金色の腕二本が、鹿芝の肩を左右から掴み上げ、両脚は足場を失った。

「ほら、私の目を見て」

 理解させられる。

「私を感じて」

 抗う意味などないことを。

「身体の痛みで、全身全霊で、私を感じて」

 胴体に五つ、丸太のように太い物体が貫通し、臓物を穿たれる感触。それが一瞬で脳天を突き抜けた刹那、喉を焼いていた絶叫は徐々に収まって、霧散して。

 意識を失う直前、その全てを認識する。黄金色の腕五本が、次々と鹿芝の胴体を突き抜けて、肉を抉りながら腹部から背へ、そしてその向こうへと到達していたことを。

 薄く開いた瞼から滲む、不明瞭な視界の中で確かに映る、微笑んだペインの両眼に浮かぶ歪な赤い色彩。

 腹部を貫通していた黄金色の腕から滑り落ちるように外れて、身体が落下し始めて。

――修復

 光が鹿芝の姿形を呑み干して、その傷口を繋ぎ止める。

 仰向けに倒れ込んでいた鹿芝の視界は、脳の奥深くにまで響き渡る頭痛と共鳴して、歪み切って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る