第39話 2/5

 それが、視界に映った刹那。

 身体中を駆け巡る悪寒が、絶えず脈打つ心臓に死の予感を冷酷に囁く。

 未曽有の気配を纏いながら、血みどろから這い上がるように姿を現していく、黄金色の骨格で象られた腕。もたげるようにその五本の指先が動いて、表面を伝う液体の粒が弾け飛ぶように落ち、赤く染まった地面の中で水面を打ち、波紋を幾重にも広げる。

 黒髑髏の口腔から出現したものと形状は等しいが、違うのはその色彩、そして何より数だった。

 数百どころか、千を上回るであろう本数の骨で象られた人間の腕が、血に染まった地面からその黄金色の色彩を覗かせる。研磨した刃先の如き光沢を映したそれらを、視界一面中に撒き散らしながら。

 やがて、黄金色の骨格で象られた無数の腕を引き連れて姿を現す、それら全ての根幹部分――

「ペイン?」

――それら全てを背中から生え伸ばす、人の影。

 足元に広がる血液に埋もれていたその身を起こし、液体の感触と熱を背中から全身に浴びながら、人の輪郭を織り成す何かが二本足で立ち上がる。

 その皮膚の上を、全身に浴びた血液が伝っていく内に、少女の影は上体に纏わりついた血の塊を振り解き、その風貌を曝して見せた。

 少女は、ペインであることには間違いない。だが、髪の色が白色に染め上げられていて、短髪だったはずの彼女の毛先は真っ直ぐ、背中を縦断して生え伸びる長さのあるストレートヘア。

 何より、ワンピースの色が真紅へとはっきりと変色している。血液が付着したからではない。霧のようにぼやけた半透明のヴェールが、ワンピースを背から覆うように纏っている。

 神秘的な風貌を纏う彼女の、その瞳は、ただただ空虚を映していた。死んでいるのか生きているのかも不明瞭なまま息をして、微動だにもしないで静止した眼差しでただ前を見詰めていた。

 ペインは、そのままで、何もしてこない。

 十秒ほどが経過して、鹿芝の思考はようやく脳内で言葉を紡いだ。

(何が、起きた?)

 あまりに急な出来事に、認識が滞っていた。

(いや、そんなことはどうでもいい)

 そして、すぐに身体中に湧き立つ、殺さなければならないという意志。

(もう一度、ペインにしたことを、それを同じことを同じようにただやればいい)

 鹿芝の背を粘着質な赤黒い色彩が突き破り、左右へと生え伸びて両翼を形作る。直後、両翼の内側から放たれる、投擲物。

 その輪郭は、斧。重厚な鋼の光沢が、円を描いて宙を転がり、軌道上の空間を縦に薙いで、切り裂いて突き進む。

(左の手足、続いて右の方を切断し、傾いた胴体を真ん中から貫く)

 その数、五つ。一斉に、斧の放った斬撃がペインの肢体へと注がれて。

(なんだ?)

 細長い黄金色の腕が不可視の速度で空中を斜めに過り、不明瞭な残像が宙を転がる斧と交錯した。

 鋼を打ち返す衝突音と散りばめた火花の閃光と衝動が、ペインの眼前で生じて、翼から放った斧の軌道は真横へと屈折するように反れた。

(弾かれた?)

 それが連続して五つ。円を描いて回った斧は、そのまま地面を突き刺して、ゆらゆらと黒ずんだ灰のような瘴気を湯煙のように上げて輪郭を消失する。

「まだ...まだだ...」

 けれど、鹿芝の双峰に灯された殺意は消えることなく。

百岐大蛇ヒャクマタノオロチ!!」

 百もの鎖の束を両翼の内側から、解き放った。暗雲が豪雨を垂れ流しているかのように、鎖に括られた先端の群れた集合体がペインへと、一斉に真っ向から飛来する。

 しかし、それら全ては到達することは無かった。

 鎖の全てが、同時に断面を曝して、先端の短剣は頭を垂れたように地面へと落ちて、金属の高い音が連続して足元から鳴った。

「なんで...どうして...」

 どうしようもない、やり場のない怒りと怨嗟を両翼に込めて放った。

 鉄の切り裂かれる音、弾き落とされる音が、狭い空間を叩き壊すほどの轟音となって幾度も響き渡った。

 その全てが無意味に散っては、赤黒い瘴気を吐いて溶け消える。

「おかしい...」

 鎖の速度は、回数を重ねるほどに落ちていく。体力の限界が、少しずつ近付いてくる。それを刻一刻と感じる。

「おかしい...こんなの...」

 四つん這いになりながら、鹿芝は荒々しく吐息を漏らしながら、気付かぬ間に地面を向いていた視線を弾き上げるように己が殺意の標的へ、ペインへと向ける。

――それは余りにも、一瞬だった。

 その瞬間。ペインの身体中から生え伸びる細長い黄金色の腕の数々がこちらへと伸ばされていたことを、その指先が鹿芝の首筋を通る骨ごと抉る感触を自覚した、その瞬間。

(え?何が...)

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