第38話 1/25
円形に広がった空洞のど真ん中を、重力に従って流れるように通り抜けていく。海の中で波に揉まれるように、風が身体中を乱雑に横暴に撫ぜて、全身にへばりついた血の粒を剥がして舞っていく。
やがて、落下した全身を地面が打った。壁か何かに真正面から激突したかのように錯覚したが、受け身を取れずに正面から着地しただけだと気づく。
それと同時に理解する。この感覚は死、ではない。むしろ、一時は欠損していた手足が胴体の左右それぞれに、確かに付着している。黒猫の不可視の牙に喰いちぎられた左手も、元通りに戻っている。
「どこだ...ここ?」
視界は薄暗かった。
どうやら陽が差していないようで、天井は塞がれている。そこは密閉された空間だった。輪郭は不鮮明だが、その地形や構造は洞窟のそれに近しい。
「修復が、間に合ったってことか?」
ギルとの会話で、修復は物理的要因による気絶なら無意識のうちに行われるという話は聞いていた。けれど、こうしてさっきまで死にかけていたにも関わらず、目が覚めたら傷ひとつ残っていないのは、
身体のありとあらゆる箇所の回復が、意識を手放した一瞬にて終えられているという現状をこの身で体感してもなお、やはりにわかには信じがたかった。
「ん?」
そのとき、鼓膜に深く沈み込むような、血脈が低くうなる震動音。密閉空間の中に残響がひしめいて揺れる度、足元が微かに震える。
「な...」
そして鹿芝は、喉の奥から声を漏らした。何かが、真上を見上げたその目に留まっていた。
「なんだあれ?」
それは、光を放つ物体だった。あまりに強い閃光に包まれていて、まるで直視できない。
けれど、少しずつ、目が光に慣れていくに連れてその輪郭が、放射状に伸ばされた白一色の中から浮かび上がっていく。
「心...臓...」
閃光の放つ視界を焼くような白色に塗り上げられた心臓が、宙に浮かんでいた。周囲には、それを守るように、もはや大岩のように膨大な胸骨が、両手の平でそれを左右から包み込んで隠すようにして空中で鎮座している。その光景が、一つではない。一つ一つが篝火のように空間に光を灯していて、点々と無数に鎮座していた。
その光景に、鹿芝は目を奪われていた。
心臓が引き絞られると、光が強まると共に血脈の震えるような音が空間を反響して響き渡る。天井、壁、床へと震動が伝播し、残響を四方八方から振り撒きながら霧散する。
そして、光の放出が弱まったかと思ったその瞬間に再度、心臓が脈を打つ。その繰り返しだ。
しばらく、それを眺めていると、噴き出す血流が尾を引きながら何かの塊が、鹿芝の視界を縦に裂くように降ってくる。
「ペイン...?」
胸部に大穴の開いた状態で、ペインの身体が重力に従って地面に打ち付けられ、そのまま転がっていた。
すると、不意に地面を突き破って白骨の腕が二本、素手の状態で姿を現した。
(なんだ...?)
それは空中で脈を打つ、光輝く心臓へと手を伸ばし、胸骨を掻い潜るように押し退けて、やがて心臓を強く握り締めて。
「え?」
直後、鼓膜が引き裂かれるほどの音が、宙に浮かぶ心臓から発せられた。閃光から溢れた白色が視野の全てを阻害した。
咄嗟に腕で目の前を隠す。だが、それでも視野は回復することなく、それどころか心臓の脈打つ間隔は短くなり、徐々にその震動音も肥大化して――
(耳が痛い...目が熱い...眩しい...)
――心臓が握り潰される音が聞こえて、それら全てが止んだ。
刹那、目の前に映る視界を象る色全てが血液の鮮紅色に満たされた。溢れ出た血液量は、心臓のその体積からは想像もつかないほどのもので、垂直に降下した液体の筋は正しく滝のようだった。
そして、その血液は真下にいたペインの全身を呑み込んで、地面に触れた血液は飛沫を上げた。粘着質な音を立てて波紋を広げながら、滑るように同心円状に足場を伝っていく。
「え?」
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